優しい光 | フラメンコギタリスト樫原秀彦のブログ 

フラメンコギタリスト樫原秀彦のブログ 

日々の気づき
忘れるもの忘れないもの
変わるもの変わらないもの


フラメンコはインド北西部から放浪の果てに、スペインのアンダルシア地方に
辿り着いたロマの人々の被差別、貧困を強いられた過酷な労働と生活の中から
生まれた音楽(芸術)だ。
旋律とリズムは悲しみと憂い。時に怒りと歓喜に満ちている。
自分にはロマの血は流れてはいないが、民族や境遇の違いを越えて、
彼らに敬意を払いつつ、同じ人間として、自分の人生のうえに起こる全てから
普遍的な人間存在の意味を知り、心の闇を深く掘り下げる事で彼らと同様に
フラメンコを臆する事なく奏で表現できるものと信じ頑張ってきた。
少し詩的に例えるならば、僕は1人で絶望への航海をひたすら続けてきた、
という感覚なのだ。。。。
そしていつしか、もう充分に頑張って生きた、いつ自分の世界が終わっても
かまわない、という思いの中に埋もれていた。
人間として「こうであるべきだ」という自らが生み出した観念に捕らわれ、
絶望と自分を同一化する事が唯一の生きる目的になっていたのだから苦しいし
キツイに決まってる(笑)。。。



今年になって自分の内側で変化が起こった。
限りのない悲しみの循環に耐えきれず、僕は覚醒するしかなかったのだ。
せっかく生かされているのなら、そろそろ、この絶望を手放そう。
光があるならば光の中を生きよう。 全てが壊れてしまう前に。。。
光とは何か。
それは、形の有る物質世界(形而下)ではなく、形の無い精神世界(形而上)の中に、
今に在るという穏やかな調和と静寂の中に溢れているものだと思う。
勿論、それはこの目には映らず、ただ意識するしかない。
そして言葉にした時点で形と化す。。。

今に在るとは、どういう事か。
自分がそれを確かに感じられるのは、ギターを弾いている時。
音の瞬間、瞬間。
激しく速いリズムなら、まずは湧き上がる情熱と感情の高ぶりに委ねて音を弾き始める。
程なく歓喜の瞬間、瞬間は訪れる。
そしてふと気づくと、その場の全ては静寂の空間へと変容している。
悲しい旋律を弾いている時しかり、まずはその感情に委ねて音を弾き始める。
程なく歓喜の瞬間、瞬間は訪れる。
やがて悲しい旋律は、穏やかな調和と静寂の空間から生まれる優しい光(振動)となり
無限に拡がっていく。。。
自分が、自分と同一化しているエゴや執着や感情が溶けて無くなった後に解き放つ
音の瞬間、瞬間、こそが今に在るという事だ。
とは言うものの、必ずそうなるとは限らないんだな。。。
そこが何とも自分らしくて笑ってしまう。

音楽家(芸術家)の心と体が、エゴと執着と感情から離れ、優しい光(振動)を奏で伝える為の
媒体として存在した時に初めて、形あるものと無いものは融合し
過去にも多くの偉大な音楽家(芸術家)がそうであった様に
この地球上に素晴らしい音楽(芸術)が、これからも人間の手によって創造され続けていくのだろう。
これって凄いことだぞ。人間って本当に素晴らしい(笑)



もうすぐライヴの日がやってくる。
今度はどんな事が起こるのか、今から凄くワクワクして楽しみで仕方がない。
ライヴ当日は、悲しみや絶望では勿論なく、歓喜と優しい光に溢れたフラメンコを奏で
表現したいと思っている。
ライヴは僕にとってかけがえの無い夢の様な時間なのだけれど、
それは刹那に過ぎ行く非日常の出来事。
僕を人たらしめる大切なものは、日常の中で関わる人との触れ合い中に詰まっていて、
70億分の1の僕と70億分の1の誰かが出会った奇跡。
過去でも未来でもなく今ここに在る瞬間、瞬間に優しい光を共鳴させながら、
喜びを互いに分かち合うこと。
願わくば僕は、いつの日か優しさそのものになりたい。
これもきっとエゴと執着なんだな(笑)