小さな証 | フラメンコギタリスト樫原秀彦のブログ 

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日々の気づき
忘れるもの忘れないもの
変わるもの変わらないもの

東日本大震災と福島第一原発事故からもうすぐ2年が経とうとしている。
多くの後悔と自戒の意味を込めて正直に言葉を残しておこうと思う。。。。

震災直後、被災地に行きたい、何でもいい。 自分に出来る事を今すぐにやらなければと思った。
友人や知人を含め全国から世界中から被災地へ赴き真摯に汗を流す人々は
あっという間に増えていった。 
でも僕はそれを横目に、飯を食って家賃を払う為に働くというギリギリの生活を守ることを優先させた。
余震が続き、津波や福島第一原発が次々と爆発していく映像をテレビで見ながら感じた
得体の知れない恐怖と不安。 
心のど真ん中に突き刺ささってしまった悲しみ。 
あの時の僕はただ、そばにいてくれる妻と、互いをかばい合うかの様に身を寄せあい、
家族や友達や見ず知らずの人さえ愛しく思えてしまう感情に少し戸惑いながら、
その人達に以前よりも少しだけ優しく接してみることが僕に出来る精一杯で、
傍観者でいる自分が本当に情けなくて、悔しくて、涙が溢れた。。。

それからは、せめてもの義務として、いろいろな事をちゃんと知っておこうと
被災地のその後の現実を注視したり、無知、無関心だった事を恥て、原発について学んだり、
ネット上で原発被害に関わる署名をしたり、その他諸々、
とにかく当事者意識と責任を持ち続ける事に努めた。

そして自分の中でいろんな事が整理出来る様になってから、
「流れ行くさきに3・11」というタイトルでCDを作り、
このブログで個人的な未来への思いを綴ってみたりしてきたけれど、そのどれもが
被災をされた方達や、いまだに避難生活を強いられている方達に直接繋がるものではない。
この手が彼らに触れる事は一度もなかった。。。。
僕の言葉や音楽は、たまたま、あの震災で被災をまぬがれ、誰かの尊い犠牲の上に生かされ、
誰かが闇の中で苦しんでいる傍らで、
今も平然と生きている自分自身の魂の深淵に向けて
これからも綴り奏でられていく。。。

神様の悪戯だろうか、
昨年末から外出中に3人の見ず知らずの人が、店先で、駅の改札で、ブラットホームで、
偶然に僕の目の前で倒れた。 直接的、間接的に救急車を呼ぶことにはなったのだが、
駅の改札で倒れたお婆さんのことがどうしても気になる。。。

その時、お婆さんに近づくと体からは異臭が放たれ、唇は青く、目は宙をさ迷っていた。
「大丈夫ですか」という間抜けな僕の問いかけに無論、応答はなく、
もしかしたらこの人は今、僕の目の前で最期の時を迎えようとしているのではないか、
もし、そうならばどうしたらいい? 
・・・・僕はお婆さんの手を、ありったけの優しさを込めて両手で握りしめた。
その手はひどく冷たかった。 手を握りながら何度も「大丈夫だよ」と僕は言い続けたが、
お婆さんの息はどんどん薄くなり、やがて静かに目を閉じて動かなくなった。
それから何分ぐらい経ったのかは覚えていないが、お婆さんは突然に僕の手を
物凄い力で握り返してきた。
そして目を大きく見開きながら僕に何か呟いた。。。
それから先は駆けつけた駅員さんに任せ、その場から立ち去った。
自分に何か特別な能力があり、お婆さんは蘇生したという様な類いの話しでも、
何か美談の様なものを書きたいのでは決してない。 
ただ、「生きたい」という人間の本能を鮮明にこの手が受けとった事と、
以前は倒れている人に声はかけども、手を取り握りしめることなどなかった自分が、
あの時は何の躊躇いもなくそうしていた事。
たぶんそれは、3・11を経験した後に、自分が少しだけ変われた事の一つ。
その小さな証なのではないかと感じている。。。