この手が触れてきたもの | フラメンコギタリスト樫原秀彦のブログ 

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日々の気づき
忘れるもの忘れないもの
変わるもの変わらないもの


大学を4年で中退し、ある女性と一緒にニューヨークに逃避行した(笑)。
結局、20代のほとんどをニューヨークで過ごすことになるのだけど、その間、深く関わっていた人達が
僕の心の中に幾つもの言葉を残してくれた。
それは時に救われない程に悲哀に満ちていたり、未だにその意味を問い続けていたり、
疑い様のない真理であったりと色々だ。。。

最近、ふとレストランで一緒に働いていたKさんのことを思いだした。
Kさんは僕と同じく逃げる様に(笑)家族を捨て、単身ニューヨークに移住してきた抽象絵画の
アーティストで当時50歳手前ぐらいの情熱的なおばさんだ。
他の同僚達からは何故か疎まれる存在の厄介者だったが、僕はKさんのことが大好きだった。
時々、包丁を片手に目を輝かせながら芸術とは何たるかを切々と語ってくれる。

Kさんの持論は、「真の芸術は労働者階級の中から生まれる」だった。
「秀くん、絵描きは絵だけ描いてちゃだめなのよ、汗水垂らして働いて、誰かと一緒に泣いて笑って
いろんな経験をして・・・・」 
振り返るとそれは、ブルジョア階級や権威主義への批判と、朝から晩までレストランのキッチンで働き、
寝る時間を削ってただひたすら絵を描き続けるKさんの、自己救済、肯定の意味も込めた
自分への言葉だったんだと思う。
そんなKさんを僕なりに励ましたくて 「僕は何者かではなく本物になりたい」と言ったのを覚えている。
Kさんは満面の笑顔で僕の言葉を受けとめてくれたが、なんとも青臭く恥ずかしい。。。
20代とは、まあ一事が万事そんなものなのだ。(笑)

もうひとつ。

Kさんは時々、長時間ギターを練習する事で陥没している僕の左手の指先に触れてきては
「いい手だねー」といつも嬉しそうに言ってくれた。
たぶんどんな言葉よりも僕の手はKさんを励ましていたんだと思う。。

自分の手について考える。

当たり前の事だけど、この手はギターを弾く為だけのものではない。
ものを食べたり描いたり、誰かと握手したり、誰かを抱きしめたり・・・ 
ここ6年ばかりはホームヘルパーの仕事をしているので、介護の現場で手は大切な役割を
果たしてくれる。 
言葉を全く持たない知的障害者に接する時は特にだ。
何か理由があって暴れている時は力づくで押さえるのではなく、ただ背中をさする。
身体を洗う時はゴシゴシ擦らない。顔を拭く時はそっと拭く。排便後にお尻を拭く時も優しく拭く (僕は
手袋を使わない主義なので、ギターを弾く為に少し伸ばしてある右手の爪の中にウンコが詰まってしまう
事がある)。 
たったそれだけの事で、彼らの怒りや寂しさや不安を抱えた(あくまで僕の主観)表情は和らぎ、
時には笑顔に変わっていくのを何度も見てきた。
たったそれだけの事でだ。。.

あれから随分と時が流れた。

振り返ると、あの時のKさんの言葉に抗う様に僕はギター弾きがギターだけを弾いていられる状況を
求めてずっと生きてきたけれど、そうする事が出来ない状況も含めて、
在るがままの自分を、もっと信頼してあげることも必要なんだと気付いた。
自己救済、肯定、大いに結構。凡人はそこから始めないと誰も救えない。誰の支えにもなれないよ。。。

Kさんありがとう。 ようやく僕の心が歓びを感じ初めています。
爪の中に詰まったウンコも含めて(笑)。
この手が触れてきたもの、それが僕のフラメンコなのだと。


 




 




 
この凸はガングリオンくん。