『生ましめんかな』 | 助産師&整体師が伝える 個々のからだ快適子育て法と健幸セルフケア@広島廿日市

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助産師・整体師として、そしてひとりのママとして・・・
妊娠期〜ママと赤ちゃんのからだがホッとできるその人らしい子育て法を提案。
女性全般に『自分のからだは自分で守る』を基本にセルフケアの方法や体操をお伝えしています。

こんにちは

 
ママと赤ちゃんのからだにやさしい育児サポーター
 

マミィケアひだまりのひだまりママです。

 

 
広島の助産師はみな知っている、栗原貞子さんによる原爆詩『生ましめんかな』




もちろん

あの当時惨禍のさなかにも、いくつも出産はあったわけで…


自らが被爆しながらも、必要あれば介助する

そんな助産師(助産婦)たちの姿が、1988年の中国新聞に取り上げられていました。











1988年
私は父の転勤で、広島から山口に転校して 小6あたり?
まだ助産師になる夢も描いてない頃です。

実際にその頃この記事を目にしていたかはわかりませんが、これはとても貴重な特集記事だと思いました。



敬子先生、大事に取ってらしたんですね。


記事を読むと
今私の住む地御前地区が記事の中にも出てきたり…
広島市から廿日市市まで避難して来た方も大勢いらっしゃったようですね。



『生ましめんかな』は、実際の出来事を元に作られた詩です。
実際の助産師は生き延びて、22年後に当時の母子と再会したそうです。


千田町のそのお産現場となった建物は取り壊されましたが、爆風で焦げたタイルと『生ましめんかな』の詩と共に、今は白島の地に。



敬子先生が以前、なぜ助産師の慰霊碑はないの?と助産師会内で活動されていたのを思い出しました。

あの当時は、私は広島県に戻って来たてで良くわかってなかったのですが、あっても不思議ないのに…何故かないんですよね。


代わりに
『生ましめんかな』の碑が、助産師の魂が刻まれた慰霊碑として、広島の助産師の心に宿っています。



77年前
あの惨禍の前後では、助産師の立ち会いもなく生まれるいのちも多かったことでしょう。
それでも元気に生まれてくれたいのちが、今の広島に繋がっています。


生まれてくるいのち・産み出すいのちにそっと寄りそい、母子をサポートするのが助産師です。

あの時代を生きた先輩助産師さんの魂に触れ
私もいち助産師として、母子を支える仕事に誇りを持って生きたいと思います。




こちらの展示
8/8 15時半まで
広島市まちづくり市民交流プラザにて開催されています。
お時間ある方は、是非足を運んでみてください。




 

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