デイジーが旅立ってしまった事は、とても悲しく辛いです。
でもミントの時のようなペットロスにはなっていません。
それはデイジーとの12年間の歩みや学びを実践できた自信と誇りとデイジーの疾患や旅立ちからのギフトを溢れんばかりに受け取っていて、動物はこれほど愛を与え続けているのか…と改めて感謝でいっぱいなのです。
1ヶ月と言う私にとっては短い期間でしたが動物医療についてデイジーを通してたくさん学び考えました。
私は獣医ではありませんので動物医療についてあれこれ語る立場にはありませんので、そちらは藤原先生にお任せします。
飼い主さんにとっての医療は人それぞれです。
高度な医療が受けられる人もいる。
医療費の問題で諦める人もいます。
遠くて通えない場合もあります。
「どんなに高額でも命が助かるなら」
「どんなに遠くても命が助かるなら」
動物からしたらどうでも良い事です。
飼い主さんが納得し決断する事です。
デイジーは腎不全がわかってから一気に状態が悪くなりました。
遠くの病院に行くにはデイジーの様子を見るとそれはできませんでした。
腎不全がわかっても前日と変わりないようでしたら藤原先生のところへ行ってました。
しちふく先生のところへも直接行って注射での対応をしてもらっていました。
でもデイジーが一気に「私、良くないんですよ」アピールをした事で「私を動かさないでね。体力落ちていくからね。」と言っていると感じたので自宅療養にしました。
人は「生への執着」があり、それが目覚ましい医学の発展になりました。
動物医療も同じです。
それは素晴らしい事だと思います。
そのおかげでどれほどの命が救われて飼い主さんの喜びと笑顔になっている事でしょう。
でも、それも動物からしたらどうでも良い事です。
人も動物も「寿命」があります。
長いとか短いとか関係ありません。
自分で決めた寿命の中で生きています。
それは誰にもコントロールはできません。
私はデイジーに少しでも回復して欲しいと、まずそうなご飯や薬をシリンジで入れました。
最初は「しょうがないなぁ」と受け入れてくれましたが、すぐに「まだわからないの?」と言われて「そうだよね。でも…」
「おかあさんは何がしたいの?」
ここで「理想と現実」のギャップをつきつけられました。
それでも「デイジーの嫌な事はしない」
その覚悟を決めました。
ご飯や薬をシリンジから入れられる事を頑なに拒んだデイジーがハーブティーだけは自分の口から飲みました。
入院して点滴をしたほうが良いのでは?と考えた時もありました。
少しでも食べられるようになるのでは?
デイジーは
「入院はしない。身体が楽になるかも知れないけれど、私のメンタル(精神)を大事にしたい。」
動物はみんなそうなのではないでしょうか?
入院した方が良い場合もあります。
それで一時でも回復して家でご飯を食べるようになる事もあります。
デイジーの言葉は母の時と全く同じです。
動物は自分の身体に大きな不調が現れて治らないものである時、その身体を受け入れます。
治療は飼い主の意思であり希望です。
治療をやめる事は飼い主の意思と覚悟です。
私の悪あがきでいろんなものを取り寄せましたがデイジーは全て「いらない」としました。
「何もいらない。」
「おかあさんはわかっているはず。」
「わかっているなら行動して。」
デイジーのお別れを覚悟して受け入れてベッドに一緒に寝ながら、たくさんの「ありがとう」と少しの「ごめんね」を伝えました。
「ごめんね」はもっと早く気づけなかった事、無理にご飯を食べさせようとした事…
でもすぐに「デイジーが見せてくれた事」だと思いそれも含めて「ありがとう」に替えました。
最期の時、腕の中で目を合わせて精一杯の笑顔で「ありがとう。ばいばいね。」そう伝えると「それでよいんだよ」と静かに穏やかに旅立って行きました。
動物の終末期に向き合う事は飼い主の覚悟が
問われる時。
動物は何を望むのか…
デイジーに教わりました。
陽だまりのしっぽ