早朝の母の事でいつもお世話になっている隣の方に電話をかけました。
母が「8時ごろ来てほしい」と言っていたのでその時間にかけつけてくれました。
母に優しく言葉をかけてくれてしばらくお話していました。
母の顔を見て涙を流していて母もそれを見て「泣かないで」と泣いていました。
またしても「昼間は一人なの。二人とも仕事で上にいるの。だから一人なの」
また言ってる・・・
「おばさん、私いつでも来ますから。電話してね。私はおばさんに会いたいの。顔見たいの。」そう声をかけてくれていました。
それから二人がかりで母を抱き上げてベッドに座らせて、その後トイレに連れて行ってくれました。
お隣の方のお母さまを在宅で看取られていました。
旅立たれてから家を改装して残されたお父様と同居していました。
お父様は父が旅立ってすぐに病院で旅立っていきました。
両親とお隣のご両親はとても仲良しでした。
「いつでも声かけてね。飛んでくるからね」
本当に助かります。
「昨夜ね、おばさんと美香ちゃんの夢見たの。そしたら朝電話があったでしょ?びっくりしちゃた。」
そんな事も言っていました。
介護は大変ですよね。
息が抜けません。
すぐにケアマネージャーさんに連絡を取り今後の母に良いものを探してもらいます。
主人も母の様子を見に来てくれて、久しぶりに親子3人で話もできました。
母の病気で・・・というよりは、その進行より筋力の衰えを感じます。
浮腫みがあるために歩きづらいこともあります。
食べる量も少ないので体力もありません。
安全を最優先させつつもベッドに寝たままにはしたくはないです。
母も「カクカクする」と言いながらも「ポータブルトイレは嫌。自分で行きたいの。」
父は利尿剤の点滴をつけていました。
夜中でも点滴をつけたままトイレに行っていました。
尿の量を測りメモをしていました。
やはりだんだん歩けなくなりトイレに行けなくなり尿瓶で用を足そうとしたら夜中だったためにパジャマやシーツを汚してしまいました。
父にはかなりショックだったようでした。
その時に「トイレに行くのは大変でしょう。もう歩いてトイレに行かなくていいですよ。」と尿管から管を通しておしっこを流すようになりました。
私はその時にとても複雑でした。
主治医に「あれは取れるのですか?また歩いてトイレに行けるようになりますか?」と聞きました。
主治医は答えませんでした。
確かにトイレに行かなくて良くなりました。
でも父はそれを「良かった」「楽になった」とは言いませんでした。
「こっちのが楽でしょ?」と言われたことに違和感を感じました。
父の浮腫みは母の比ではありませんでしたので、利尿剤の多さとトイレに行く回数はとても多かったです。
そこから父は歩けなくなりました。
歩けないですし。
食事も摂らなくなりました。
父もトイレに行く途中で倒れたりもしていましたので、無理に歩かせることはなかったのでしょう。
でも・・・
父は歩きたかったようです。
愛用の杖を見ながら「歩きたいなぁ~。これがついてなかったらなぁ。」と尿の袋を杖で刺していました。
できることとできないこと。
誰のなんの負担を軽くするのか・・・
病院だからできること
自宅だからできること
排尿、排便は「生きること」です。
生きているからこそです。
母が歩けるうちはサポートしたいです。
陽だまりのしっぽ 美香