10歳を目前にして様々な症状が出始めていましたがそれでもご飯をもりもり食べてよく寝てくれて穏やかな日が続いていました。
でもある日、恐れていたことが起きました。
ミントに口をパクパク開ける金魚のような「神経症状」が出ました。
発作というよりは常時口をパクパクされるのです。
これではご飯も食べられません。寝ることもできません。
目もうつろです。
「これはまずい・・・」
仕事を休んで朝一で病院に行きました。
「水頭症が悪化している。発作が常時出ている状態。」
がっかりする私にその時もミントの先生は
「ステロイドを増やしましょう。それで治まるから。」
薬が飲めないようなら点滴をすると言うことでしたが、水が飲めるようでしたので再びステロイドを再開しました。
「大丈夫ですよ。抑えられるから。」
先生の言葉に勇気付けられて帰りました。
夜になり先生から電話があって「明日の朝、もう一度連れて来られますか?電解質の数値を知りたいので」
土曜日で主人がいたので運転は任せてその日の朝は私がミントを抱っこして病院行きました。
自宅の玄関を出た途端におしっこをしてしまい慌てて家に戻りシャワーを浴びて病院に行きました。
思えばその時も合図を送っていたのでしょう。
「もうそろそろだよ。もう一度おうちに入ろう。」
検査をすると、先生と私を顔を見合わせました。
「なにこれ?」
数値がオールパーフェクトだったのです。
いつだって命に関わるような電解質の値が正常値になっていました。
正常値を見るのは初めてでした。
「健康そうにみえる・・・」二人で笑ってしまいました。
「ステロイドも効いているようなので次回は通常通りの診察で良いですよ」と言われて「私また一からやり直します。あの時を思い出してまた頑張ります。」
先生にそう告げました。
帰りの車の中のラジオで「東京の桜が開花しました」と聞きました。
ミントを抱っこしながら「桜が満開になる頃にはまた元に戻っているね。ママ、また一からやるからね。」そうミントに話しました。
帰宅するとちょうど12時を知らせるチャイムが鳴り、私たちのお昼ご飯の用意をしました。
ミントをベットに置くとすぐにおしっこ、ウンチをしました。
綺麗にして私の後ろのソファーに寝かせて「ママがご飯を食べたらミントもご飯にしようね」と言いました。
介護が始まった時と同じ缶詰が前日からご飯に戻りました。
「ミントを病院につれて行く」と日記に記したので、たくさんの方が心配をされていました。
ご飯の写真を撮って「ミントは大丈夫です。これからご飯です。」と書こうと準備をして「ミントご飯にしようね」
そう言った時・・ぐったりしているミント。
抱き上げるとクタっとしています。
「死んじゃった」
「ミント、ミント!!!」と呼びかけますがクタっとしたままです。
あっさりとミントは旅立ってしまいました。
これがミントが考えて練りに練ったシナリオでした。
私を最高に安心させて、先生の声を聞かせて、これからご飯を食べなくなる私にしかりご飯を食べさせて・・苦しむ姿を一瞬でも見せずに・・・
後を追ってこないように突然に・・そして家族がいる時に。
ミントを精一杯診てくださった先生には「合格でしょ!」の最高の血液検査結果を授与して。
それがミントの先生への「ありがとうございました」でした。
泣いてばかりの私には娘と楽しくご飯を食べる笑顔を焼き付けて。
また一からやればいいや!
そんな私に「もういいよ。これで終わりにしよう。」
きっといつまでも諦めのつかないだろう私にミントは「もう逝くからね!」と卒業証書を握りしめて暴走族のように突っ走っていってしまいました。
私も悲しいのですが唖然とするように。
「あれだけ介護してこれ??」みたいな。
桜の花が一気に散ってしまうようなミントの旅立ちでした。
いまならばそれがミントの「最高の愛」だとわかるのですが、あの当時の私は「置いていかれしまった」その思い(重い)が強く、ペットロスまっしぐらとなります。
2008年3月22日 ミント永眠
桜の季節になるとミントを思い出し桜を追いかけるようになりました。
今年も桜の季節がやって来ます。
あまりに試練の多かったミントの一生でした。
犬らしい生活はほぼなかったです。
ミントはそれを「個性だ」と後に教えてくれました。
私にあまりに大きな宿題を残し「これを終わらないと来ちゃだめだよ」としました。
私の宿題はまだ終わりません。
「ミントとの軌跡」にお付き合いありがとうございました。
最後二話は私とミントからのメッセージで締めくくりたいと思います。