想像力と技術力の等価交換 | ひっこりーPのブログ

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目指せ累計10万再生!ボカロPの奮闘気!

一人の楽器プレイヤーが技術力を向上させるために日々練習に

明け暮れることはよくあることだろう。

自分も中学生から10年程度ずっとスクールに通い、

毎日何時間もギターの練習や理論の勉強をやってきた。

しかし自分は技術力が想像力とは等価交換していると思っている。

プレイヤーの技術は想像したものを表現するために必要だ。

だが同時にプレイヤーの想像力も奪っていることを忘れてはならない。

コードに対するスケール、弾き方、歌い方、

それらの正しいと言われる固定概念が個性を奪っている。

本当はどんな弾き方でも歌い方でも、めちゃくちゃなリズムでも音程でも、

それが驚きと感動を呼び込むのなら自由なはずだ。



現にスタジオミュージシャンといわれているミュージシャンは、

素晴らしい技術力をもっている。

でもギタリストの自分が聞いていてもまったくおもしろいと思わない。

正確なオルタネイピッキングも寸分違わぬギターソロも音程の合わせ方、

外し方、全てありきたりに思えるんだ。

(もちろんスタジオミュージシャンは仕事で指示されているのもあるけど)


そこに工夫がなければなにもおもしろくない。


音楽で感動を呼び込むものは悩み抜いて考え出した想像力だけなんだ。


もしも技術力で感動させようとするのならば、

それが個性といわれるほどの技術力を身につけなければ意味がない。

そこそこギターがうまいおっさんや歌のうまいおばさんなんて腐るほどいる。

どんなに練習しても眠りこけるまで努力しようと、

ここでこうするべきだという固定概念を捨てなければ

技術力なんて宝の持ち腐れだ。

逆に言えば、技術力なんてもってなくてもいい音楽を作ることができる。

現にボカロはそうやって人気がでたんだろう。

今言った言葉を自分への戒めとしてがんばっていきたい。








あ、デスクトップの画像最近変えました。



おしゃれでいいでしょ?