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スポット090 「すだち」と「かぼす」のうしろにはヤタガラスが見える

20170317

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 豊後での生活に慣れてくると、どうしても、「椎茸(どんこ)」や「かぼす」…と接することが多くなってきます。

 そこで、考えていたのですが、徳島の「すだち」は「酢の橘」の意味である事はあまり考えなくても理解できます。


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スダチ(酢橘、学名:Citrus sudachi)はミカン科の常緑低木ないし中高木。徳島県原産の果物で、カボスやユコウと同じ香酸柑橘類。名称の由来は食酢として使っていたことにちなんで、「酢の橘」から酢橘(すたちばな)と名付けていたが、現代の一般的な呼称はスダチである。

ウィキペディア 20170317 22:03による


 問題は大分の「かぼす」の意味で、何故、「かぼす」「カボス」…と呼ばれているのか?が分からないのです。



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カボス(臭橙、香母酢、学名:Citrus sphaerocarpa)は、ミカン科の常緑広葉樹、または、その果実で、柑橘類のひとつである。

カボスという名の由来は明らかではなく、文献で確認できるのも第二次世界大戦後のことである。

ダイダイの一種に「カブチ」、「カブス」などと呼ばれるものがある。平安時代の深根輔仁による『本草和名』に、「枸櫞」「和名加布知」などの記述があり、現代でも和歌山県から三重県にかけてダイダイを「かぶち」と呼ぶ地域がある。また、1603年ごろ発行の『日葡辞書』にはCabusuの記載があり、1709年(宝永7年)に刊行された貝原益軒の『大和本草』にも、「カブス」についての記載があって、その名の由来は、「柑子」(かむし、かむす)が訛ったものとも、乾燥した皮をいぶして蚊よけに用いるからとも記されている。さらに、愛媛県の一部で三宝柑を「かぶす」、大阪府の一部で文旦を「かぼそ」と呼ぶ地域があった。しかし、これらの柑橘類の名称と「カボス」との関連も不明である。

漢字の「臭橙」は熟字訓、「香母酢」は当て字である。

ウィキペディア 20170317 22:03による


 立派に調べておられる事は十分に分かりますし評価に値しますが、何とも分かるようで分からない説明に留まっています。

 そこまでの話ならば、当方も一つの仮説を出しておきたいと思いたちました。所謂、言うたもの勝ち!

 そう考えた背景には、阿波=徳島と言えば忌部の国=ヤタガラス(豊玉彦)の国という概念が存在していたからでした。

ではお話に入りましょう。

まずは、一例になりますが、「阿波忌部の世界」をお読みください。阿波の神社調査に関しては一通り目を通している有力サイトです。


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阿波~和歌山~奈良が、忌部というよりも、豊玉彦(ヤタガラス)の領域であった事は百嶋由一郎氏の話と併せこれまでにも何度となく触れてきました。

 その阿波に於いて、① ダイダイを「かぶち」と呼ぶ地域がある。② 『日葡辞書』にはCabusuの記載があり ③ 貝原益軒の『大和本草』にも、「カブス」についての記載があって、その名の由来は、「柑子」(かむし、かむす)が訛ったものとも…となると、消し去る事の出来ない強烈なイメージが湧いてきました。

 それは、賀茂族=加茂族=鴨族=カモ族の酢橘だったのではないか?「カモの酢」という意味です。

 まず、橘一族が、白族と呼ばれる大幡主の一族であることが理解できれば、後は自ずからすんなりと分かってくるはずです。

 勿論、賀茂族とは、京都の上賀茂、下賀茂に象徴される大幡主~ヤタガラス(豊玉彦)系の民族と言った意味です。

 その一族こそ橘一族であり、中国の白族であり、九州王朝を支えた有力豪族だったのです。


 県犬養三千代

県犬養 三千代(あがた(の)いぬかい の みちよ、天智天皇4年(665年)? - 天平5111日(73324日))は、奈良時代前期の女官。橘三千代ともいう。

生涯『新撰姓氏録』『尊卑分脈』によれば父は県犬養東人とされるが、東人の事跡は不明で、母も不詳。出生年月日も不明であるが、出仕時期から天智4年(665年)出生の可能性が考えられている。県犬養氏は屯倉を守護する伴造氏族のひとつで、壬申の乱では県犬養大侶が大海人皇子(天武天皇)に近侍し、天武天皇13年(684年)に宿禰姓を賜った中堅氏族。

三千代の出仕時期は不明であるが、天武8年(679年)には氏女の制により豪族女性の出仕年齢が15歳前後に定められ、三千代も同年に命婦として宮中に仕えたと考えられている。配属先についても不明であるが、和銅元年(708年)11月には即位直後の元明天皇から橘宿禰姓を賜っており、また養老5年(721年)5月には元明太上天皇の病平癒を祈念して仏門に入っていることから、天智天皇の娘で草壁皇子の妻となった阿閉皇女(元明天皇)に出仕した可能性が考えられている(義江 2009)。

はじめ敏達天皇系皇親である美努王に嫁し、葛城王(後の橘諸兄)をはじめ、佐為王(後の橘佐為)・牟漏女王を生む。

ウィキペディア20170322 16:32 による


 目を瞑る(ツムル)と言う言葉と目を瞑る(ツブル)と言う言葉が、発音は全く異なるものの、同じ意味を持っている事はお分かり頂けると思います。

当然、「ひもろぎ逍遥」も「ひぼろぎ逍遥」も同じ概念ですし、「カムル」も「カブル」もそうです。「カムリつく」と「カブリつく」も「湯あみ」と「湯浴び」も同様です。

このようにM音とB音とが入れ替わっても意味が全く変わらない言葉が日本語の中には驚くほどたくさんあるのです。

 とすると、「カボス」は「カモス」とも考えられそうだとお分かり頂けるのではないでしょうか?

 そうです、賀茂族か列島に持ち込んだ酢橘こそ「カモス」であり「カボス」であるという話になるのです。

 大分県が中心だったことから当然ですが、現在、ガボスは96%が大分県で生産されています。

地域的には、竹田市、豊後大野市、臼杵市といった豊後地方を中心に生産されているようです。

 最近、神社を詳しく調べて行くと、この領域も阿蘇氏、大蛇伝説の大神氏、金山彦、ヤタガラス…の領域であった事が分かって来るのですが、ここから構造線を辿って四国の脊梁山脈、徳島、和歌山、奈良と金属鉱床のラインと共に、柑橘系の橘一族のラインも通じていたように思えてきます。

 故)百嶋由一郎氏は、生前、伊勢は大幡主の領域であったと言われていました。

 その伊勢も現在三重県と呼ばれている事にも関心を持っています。

 それは、豊後大野にも三重町があり、一説には松尾芭蕉も豊後の三重辺りの出身だったと言う話まであるのです。

 この間、豊後の最奥部の神社調査を進めてきましたが、伊勢とは神武皇兄五瀬命(イツセノミコト)の伊勢ではないのか?宮崎県五ヶ瀬町、五ヶ瀬川とも関係があるのではないのか?

カボスとスダチにも関係があるのではないのか?といった話にまでイメージの暴走が止まらなくなっています。

また、阿波の神社調査にも行きたいと思っているのですが、思考の暴走を繰り返している中で、カボスの語源を考えてみただけの思い付きに過ぎませんので、その範囲でご理解いただきたいと考えているところです。


かぼす(香母酢)

かぼすと呼ばれるようになった所以は、かぼすの果皮を細かく刻み、蚊やりとしていぶして使用していたため、「蚊いぶし」から「かぶし」に転じ、そして現在の「かぼす」という名称に落ち着いたのです。



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こういった気楽な話であれば簡単なのですが、お考えは自由です。

恐らく、かぼす(香母酢)はかもす(賀茂酢)が起源であろうと考えています。

そして、持ち込まれたルートも海南島の加茂(チャマオ)からだったのではなかったかとさえ考えています。


賀茂族=博多の櫛田神社の大幡主の一族は、雲南省昆明から海南島を経由して列島に移動した白族の後裔であろうと言う話はこれまでにも何度となくお話ししています。

再度お読みになりたい方は、ひぼろぎ逍遥から以下などを参照下さい。


209 阿蘇の草部吉見と博多の大幡主の御先祖がおられた海南島について“コピーペーストも活用しよう”


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