168 久留米地名研究会天ケ瀬温泉五馬市高原研修所周辺の神社 ③ “玉来神社”
201412026
久留米地名研究会 古川 清久
久留米地名研究会の研修所が動き出した事は同会のHPでもお知らせしていますが、この研修所はJR久大線天ケ瀬温泉駅から五キロほど登った高原地帯の五馬市という多くの分譲別荘地が広がる地区にあります。
さて、「景行紀」「豊後国風土記」…に土蜘蛛の首長「五馬姫」が登場します。
五馬山がどこだったかは不明ですが、外に候補がないことから、今尚、五馬市の地名が残るこの地こそ、「五馬姫」がいた五馬山だったと考えて良いでしょう(M33「全国小字調査」未確認)。
この五馬市こそ「豊後風土記」において、
昔、この村に土蜘蛛の堡ありき。石を用いず、土をもちて築けり。 昔、この山に土蜘蛛あり、名を五馬姫といひき。人の声を聞けば、驚き怒りてあぐること一丈余ばかりなり。…
と書かれた「五馬姫」の拠点であったとしたいのですが、その墓なるものが置かれた「玉来(タマライ)神社」のある玉来地区こそ、その最大拠点だったのではないかと考えています。
「玉来」とは奇妙な地名に思われるかも知れませんが、既に、民俗学者の谷川健一氏によって、大分県豊後竹田市の玉来地名などについて「狩り集まらい…」との解読がなされています。
谷川氏は主として豊後竹田の玉来を中心に解読されていますが、当方でもその他にも九州で5~6件の「玉来」地名が存在している事を確認しており、久留米地名研究会のHPで「玉来」として読むことができます。
狩りの集合場所、山の神への狩りの許しを得る場所、狩りへの集まらう場所が、それであると考えますが、その分布から山岳修験の影響が見て取れる地域の地名と言えそうです。
また、「玉来」は「玉木」「玉置」と変化し、奈良県の「玉置神社」にまで繋がっているのではないかと考えています。
玉来神社参拝殿
神紋は左三つ巴であり、一見すると宇佐八幡宮の影響を受け八幡神を祀っているように見えますが、詳しく調べた訳ではないので保留します。
天ケ瀬町の教育員会は「景行天皇、五馬媛命を祀る」とはっきり書いています(下の写真)。
これでは、景行天皇が五馬媛命を祀ったように見えますが、先に五馬姫命が祀られ後に、景行天皇が加えられ合祀されたのです。
とすると、やはり五馬媛命の本拠地はこの玉来一帯だったのです。
興味があるのは、この玉来地区がいかなる氏(民)族の後裔であるのかという点ですが、古墳がある(神社自体が古墳)ことから、被支配、支配の関係が見て取れるはずで、さらに調査を進めたいと考えています。
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