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166 久留米地名研究会天ケ瀬温泉五馬市高原研修所周辺の神社 ① “塚田の阿蘇神社”

20150123

久留米地名研究会 古川 清久


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久留米地名研究会天ケ瀬温泉(五馬高原)研修所から南に一キロも走り左に入ると塚田集落があります。

 まず、このような高原地帯にこれほどの集落が…との印象を持ちますが、天ケ瀬温泉や杖立温泉のような洪水や崖崩れなどに襲われる危険地帯に比べれば、むしろ平地は山上にあり、農業以外に生きる術のなかった時代においては、日照量を考えれば穀物の収量も倍になり、高千穂や日之影などの高原地帯同様、遥かに安全で住みやすい場所だったに違い無いのです。 

 塚田地区は直ぐに分かります。ちょっと大きすぎるのではないかと思えるような塚田小学校があり、200円で休業なしで入ることができる共同浴場(一般も可能)があり、土日にはすこぶる級の良質の高原野菜や卵から米までも手に入るため、最近は、共同浴場には入らず野菜の購入に利用しています。

 神社巡りをされている神社ガールと言わず、本格的神社研究者から観光で来られる方までも、穴場とはこのような場所を言うのだと思います。

 天ケ瀬温泉から杖立温泉に抜ける道に入り、すり抜け戦犯笹川のBG(バクチ&ギャンブル)財団の施設を横目に3キロも走ると日田から延びて来た広域農道と交差するポイントに到達しますので、さらに3キロ進み左に入って下さい。

 塚田阿蘇神社は集落の中心部にあります。

手入れも行き届いており、日本の古き良き農村とはこのようなものだったと再認識させられますが、かなり広めの社域の一角には素晴らしい湧水池があります。

 寒季=乾期でも満々と水を湛えていますが、水の多い季節にはその勢いも増すのだと思います。

 社殿は二つあります(一つはお堂と兼用かも)。

 これといった変り映えのしない神社と言ってしまえばそれまでですが、社殿の上には左三つ巴が打たれており、元は八幡社だったことが分かります。

 時期から考えて、その後の南北朝期に阿蘇系が進出し、阿蘇神社となったものであることが分かります。

 豊後と言えども、高原地帯となると阿蘇から近い事もあり、阿蘇氏の影響下に置かれた地区だった事が見えてきますが、まだ、集落の檀家寺や墓地に入り、土着の古族の姓名、家紋などを詳しく見ていないことからこれ以上踏み込むことは止めておきましょう。

 では、何故ブログに取り上げたのか?と言われそうですが、豊後=宇佐八幡といった定式が、地形や地域によっては単純には当てはまらないという事を知っていただきたかった事と、阿蘇の小国(両神社には速瓶玉=大山咋が祀られている)にも山越えで考えれば非常に近い(菊池にも車で45キロ余り)場所であることを認識してもらいたかったからです。

 と言うのは表向きで、なによりも心安らぐ「日本昔話」に出てくるような古き良き日本の農村風景を発見した事から心が動いたと言ったところが本当でしょう。

 ここには、161 金凝神社 “日田市天ケ瀬町五馬市の古社”で取上げた金凝神社のような凄い話はありません。

 あくまでも、集落の共同風呂の延長のような共同温泉センターと頗る付きの良質の高原野菜、ほっとするような良い風情の鎮守の神様…を知って頂きたかったのです。


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