165 後の九州王朝東遷の神社で当方をご存じの場合はご連絡下さい。 “情報を求めています”
「ひぼろぎ逍遥」、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載 20150123
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川清久
“神武東征はなかったが、神武御巡行はあった”“神武東征を行ったのは贈)崇神天皇だったが、その後の九州王朝東遷は存在した”…が当面の基本認識です。
ただ、百嶋由一郎先生は「奈良に九州王朝が現存しております。九州王朝との約束によって出版しないということを守っています。…」また、「全ての研究データを奈良県のある神社に送り続けています。…」とも語っておられました。
これらについては、二次に渡った九州王朝東遷(初代神武による「神武巡行」とは別)によって移動し(主として第二次東遷による)、奈良に自ら九州王朝の末裔とする秘密の神社(自らはご存じと思いますので)があり、もし、そちらの目に留まれば当方へとご連絡頂けるものと考えています。
この神社がどちらかについては、当方もある程度の見当は付けておりますが、百嶋由一郎先生は最後までその神社の宮司様とのお約束を守られ、私達にもその神社がどこかを告げずにお亡くなりになりました。
このメッセジだけで、もしお分かりになれば、先生の残されたデータ(恐らく、60年以上の調査内容の全てを送り続けておられたものと思いますので、当方の手持ちの何十倍もの資料をお持ちの事と思います)の存在を確認させて頂きたいと考えています。
そちらがお持ちでないものを当方で持っている場合もありますので、もし、当方のブログをご存じの場合は是非ご連絡頂きたいと思います。
少なくとも、そちらがお持ちでない生の音声データを数十時間分保管していますので、それらを全て寄贈したいと考えています。
勿論、そちらには一切ご迷惑をお掛けするつもりはありません(09062983254)。
今回は保安上の問題もあり、この嘘つき国家の下ではこれ以上の事を書けません(既に戦前の「国体明徴運動」以上の酷い状態にありますので…)。
余白を埋めるためと言っては申し訳ありませんが、代わりに吉田耕一先生のデジタル絵画「本日晴天」をご覧いただきます。画質はネット配信の都合上ある程度落としてありますので悪しからずご容赦。
