078 「愛宕」「田子」はアイヌ語起源のタップコップか?   | ひぼろぎ逍遥

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078 「愛宕」「田子」はアイヌ語起源のタップコップか?       


久留米地名研究会 古川清久

20140514



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右の写真は佐世保港の東隣、田子の浦(タゴノウラ)の高島です。


大村湾から早岐の瀬戸を抜け、狭い水道を西に進むと、正面に印象的な島が浮んでいます。

佐世保道路を西に進んでも高速道路から容易にこの島を見ることができますので気に留めておいて下さい。

以前から、この島があるから田子の浦と呼ばれ、高島も実は田子島ではないかと考えているのですが、理由は単純です。

九十九島には高島があり同名では不自然だからです。 

さて、アイヌ語では、「たんこぶ」のことを「タップコップ」と言います。

日本語の「たんこぶ」がタップコップになったのか、「たんこぶ」がアイヌ語起源なのか難しいのですが、たんこぶの「たん」の意味が判らない以上、アイヌ語説は魅力的です。

ここで、アイヌ語研究の大家、山田秀三の書いた小論から見ていただきましょう。


・・・数年前に、福岡県の糸島郡を歩いていたら、浦志とか、波呂とかいった地名があってびっくりしました。浦志は先ほど北方に多くのウラミナイやウラシベツのあることをご説明しました。波呂に似た名は、北海道の北見に芭露(ぱろ)という地名があります。パロ(Paro)は川口や沼の口という意味でよく地名に使われる語です。また、パ行音が和人に引き継がれる時にハ行音になることも先ほど申しましたとおりであります。

だが西のほうに、こういった形の名がところどころにあるというだけでは、そのままこれをアイヌ語系地名であると判断する勇気はまだ出てきません。・・・

『北方の古代文化-アイヌ語族の居住範囲』山田秀三


山田秀三と言えば押しも押されもせぬ高名なアイヌ語学者でしたが、福岡在住のアイヌ語研究者の根中氏も自らの著書で山田秀三氏の『北方の古代文化-アイヌ語族の居住範囲』を引用しながら、西日本におけるアイヌ語地名の存在をかたくなに否定する山田秀三氏その人も含む地名学の重鎮達のアカデミズムに対して疑問を投げかけておられます。

お分かりでしょう。びっくりはされていますが、結局は否定されているのです。この背後には、アイヌの日本列島への進出を北方からの南下ルートにしか求められない、金田一京助以来のアカデミズムの延長上に考えておられるからですが、二万年前のウルム氷期、朝鮮半島と九州が陸橋で繋がっていた時代に南回りルートによるアイヌの進出の可能性をそろそろ考えるべき時期が来ているのではないかと思うものです。

 そこまでご紹介した上で、改めて高島の画像を見てください。

 有明海から諫早の船越地峡を越え(「延喜式」に船越の駅がおかれていますから、古代には確実に「船越」をやっていたはずです)、波静かな大村湾から早岐の瀬戸を抜けると、正面にこの島が見えてくるのです。

 確かに高い島ではあるのですが、古くは「タコシマ」と呼ばれていた可能性はあるのではないでしょうか。

前述のように佐世保港沖にはフェリーが通う高島があるのですから、やはり、タコシマのように思えます。こう考えると、大きなタコが頭を擡げたようにも見えてきます。

以前、人吉で行われた地名研究会において、故谷川健一氏や村崎恭子教授(横国大)さらには、太宰幸子氏(宮城県地名研究会会長)と同席したことがありました。

その際、アイヌ語の「タップコップ」や「インカルシュベ」(いつもそこにあるもの=巌)に関する話が出たことがあったのですが、私が「タップコップ」は佐世保市相浦の愛宕山や福岡市西区の愛宕神社などにも該当しますか?と、直接お尋ねしたところ、快諾を頂いたことがありました。

山田秀三はともかく、現代の主流派のアイヌ語研究者から九州のアイヌ語地名についての可能性を承認されたことから、今回の高島=タックコップを取り上げた次第です。

最後に、九州のアイヌ語地名を論じた本を紹介しておきます。もう、三十年にもなりますか。

一九八三年に出版された『九州の先住民はアイヌ』新地名学による探求 根中治 (葦書房)です。


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九州にアイヌ語地名があるなど誰一人として考えない頃ですから、一部のマニアにしか振り向かれなかったと思います。

私もこの本を手にした一人でしたが、数日で読み終えた記憶があります。

まず、福岡周辺にはどう考えても理解の及ばない地名があります。

那珂川上流の米冠(シリカンベ)、下代久事(ケタイクジ)、内河(ナイカ)…といったものですが、この話は「波呂」としていずれお話ししたいと思います。