060 井戸は横にも掘れる! | ひぼろぎ逍遥

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060 井戸は横にも掘れる!

久留米地名研究会 古川清久

20140403


水とは“何十キロも離れたダムから運ばれ、捻るどころか手を差し出すだけで出てくるもの”と考える現代人に向かい、今時、「横に掘る井戸」などという話を持ち出すことにどれほどの意味があるのかとは思うのですが、まずは、ご覧いただきましょう。



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大きさの比較ができるように人物付きの画像にさせて頂きました。

 正面右手の崖には、防空壕か芋釜か、はたまた横穴墓かとでも思うような穴が穿たれ、中からは清冽な水が滔々と流れ出しています。

 横掘の井戸というものにはなかなか出くわさないものですが、それは、一般の人々(山際や崖傍に住んでいる人より平地の真中に住んでいる人が一般的だという意味です)がその様な環境に住み着いていないからであって、昔はがけ崩れのリスクを負いつつも、そのような水の得やすい場所に居を構えることは珍しくなかったものなのです。

 確かに平地で水を得ようとすると、下に向かって垂直に井戸を掘るしか方法がありません。

 しかし、山際に住む人は垂直に井戸を掘って汲み上げるよりは、横に井戸を掘り地表に水を引き出す方が、はるかに掘りやすく、利用しやすい事は言うまでもありません。

 このような井戸は、崖から水が染み出しているような場所に横穴を穿ち、少しずつでも湧き出す水を貯めて使うものから、ちょっと掘りこんだ場所でこんこんと湧き出すような自噴井戸、十メートル以上横穴を掘りこみ、大量に良質の水を利用するような事業用の横井戸なども存在します。

 この、本格的に掘り込んだ横井戸で大量の水を利用する必要性があったのは味噌、醤油、酒などの醸造業者であり、余程良い湧水地は別として、人工的な湧水を得ようとしたのです。

 現存している地方の酒屋などにはそのような井戸がまだ現役で稼働しているところもあるのではないでしょうか?

便利な電動ポンプがなかった時代、交通の便の良い、海際や、川傍の大きな里山に大きなトンネルを穿ち、作業場に水が引けることは収益に相当の差が出たはずなのです。

 横井戸は岩を穿つ重労働になるため地域の共同作業で造られる事も多く、一般には集落で管理されているようです。

 これ以外にも、農業用の横井戸を大牟田市で見たことがあります。

 見たのは山中の小規模な個人の水田に水を引くものとして造られたものでした。

さすがにこれを見たときは米作りへの執念のようなものを感じた記憶があります。

 畑ではなく、岩を穿ってまでも水を引き、なおも米を作りたいという思いです。

 きっと先祖伝来守ってこられたものだったのでしょう。

類型のものがないかと探すと、住宅関係と思われるサイト月刊「杉」WEB版75に興味深いものがありました。

谷津(千駄ヶ谷、渋谷、市ヶ谷、日比谷などの谷はこの谷津がルーツです)という単語が出てくることからお分かりのように関東地方の例であり、一概に九州のど真ん中のものの引き合いに出すのは憚られますが、非常にクリアに分かるためご紹介します。

電動ポンプという便利この上ないものが一般家庭に登場するまでの間、日常の生活空間に安定した清冽な水が引けるということは夢のような有難いことでした。

これは温泉でも同様で、自噴泉でもなければそのままには利用できないものであり、ほんの半世紀前までは温泉が湧いている場所に、できるだけ湯口より低い処に浴槽を設え、湯を導き入れそのまま利用する以外方法がなかったのです。

このため、お湯が出やすい川底にそのまま湯船を造り利用する温泉が今でも散見されるのです。



1-1 歴史的背景

古代では人々は台地の上に生活し、稲作を営むようになってから低地の近くに住居を構えるようになった。治水していない平地では、大雨が降れば水浸しになり、嵐が来れば暴風と洪水の危険性があった。昔は、そういう意味で山間の谷津(やつ)のほうが気候が安定しているため、また、粘土質の谷津田の米の方が、砂質の平地で採れる米よりもおいしかったということもあって、人々は、まず山間の谷津に水田を求め、山裾の斜面に家を建てたという。

1-2 地理的背景

1.水はけ、地盤を考慮

水はけを良くするために15mほど敷地を高くする。また、盛り土ではなく、山を削った上に載せると地盤が強いため山裾へ建てる。しかし、それだけでは斜面の高い位置に家を建てる必要性を十分説明できない。

2.農地を、より条件の良いところへ

農村では、農作物が最も大切なものであるから、それを使先させ、家などは多少日当たりが悪いところでも良いということである。谷津といわれる土地(「5.分布」を参照)は、平地のようにいくらでも田畑を広げられるというわけにはいかず谷の底辺に最大限に水田を取った。さらに、畑での自給自足用の農作物が水はけの良い、水田より少し高い位置に必要になる。そして、母屋より日当たりが良い家の前の斜面に来ることになり、家屋はその後ろの高い位置に来る。したがって道路と母屋の間に距離が生じ畑を迂回して山裾に沿って歩く道が曲線を描く「じょうぼ」になる。



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3.山裾の水を求めて

豊富で安定した山の水を求めて山裾へ家が建つ。谷津の一番奥には必ず貯水池があり、そこから各農家の水田に、上から順々に水を引いていたが、それは限られた水にすぎず、谷全体に行き渡らせることなどできなかった、そこで潅漑用水として各家が山の斜面の横井戸から水を確保することが重要であったからである。「上総堀り」という技術が普及してからは、深い縦井戸も掘ることができたが、それ以前には、山間では山の斜面ということを利用して横井戸(下写真)を掘って水を得ていた。下に掘り抜かなくても、横に掘り進めば山の上方から浸透した水がそこに溜まる。その横井戸をいくらか高い位置に取れば、高低差を利用して自然に水が吹き出させることもできる。手動ポンプを用いて縦井戸の地下水を上の横穴に引き上げて、給水棟として使うこともできた(写真3)。また、腰の高さに横井戸を掘れば、しやがみ込まなくても水を使うことができた(写真2)。横穴を30間も掘って、潅漑用水にしている家もある。また、家の横に小さな池(写真1)を持つ家が多いのだが、それらは、横井戸から常に水が供給されている。中には池の下を横に掘り込み、実際に地表から見える池の倍の体積の水をためている弛もある。これらは、防火用水や、観賞用の池として使われている。このように山の斜面に建てる原因として、水はかなりの比重を占めていたと考えられる。また、このあたりでは、横穴を掘って養蚕時の桑の葉の保存倉庫として、堆肥を発酵させる場所として、天然の冷蔵庫として、防空壕として、また古墳として使っていた(写真5)。山はなんと利用価値が高く、尊いものだっただろう。



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