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059 宇佐市安心院の三女神社は筑紫の君の支配下にあった

久留米地名研究会 古川清久

20140331



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宇佐神宮には、筑前大分の大分八幡宮、中津の薦神社、香春岳の香春神社、宇佐市の鷹居神社、安心院の妻垣神社など多くの元宮候補があるのですが、いずれにせよ、道鏡事件と和気清麻呂で知られる大和朝廷との只ならぬ関係からか、まずは近畿朝廷の直系と考えられているようです。

あろうことか、九州王朝論者においてさえ、横目で睨みながらもそう考えているふしすらあります。

しかし、右の宇佐市安心院の三女神社の縁起を読んで見て下さい。  

以前より、この安心院、院内、山香の一帯こそ現在の宇佐亀山に先行して開けた宇佐の“まほろば”=ハートランドと言われ、自身もそう考えていました。

特に、この安心院の地には、現在、宇佐神宮に於いて公式に二の御殿(比売大神)の祭神とされる宗像三女神が三女神社として鎮座しており、この社の縁起には今も堂々と“芦原の中国の宇佐嶋とは宇佐郡安心院邑のことで、その地を支配していたのは筑紫君であるとしているのです(縁起)。


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筑紫君とは筑前、筑後に分国される以前の話のようですが、言うまでもなく九州王朝論者の中では常識に近い久留米市三潴町の三沼(三潴)の君のことであり、決して、高々千三百年の歴史しかない近畿朝廷のことなどではないのです。

 無論、三女神は天照とスサノオとの誓約により生まれたとする神とされており、形式的に見れば筑紫の君にとっても祀るべきもののようにも思えますが、重要なのはこの安心院の地を実際に支配していたのが筑紫の君であったということの証言です。

この三女神社は安心院温泉のある「家族旅行村」の直ぐ下で手軽に確認できますので、自分の目で調べてられてはいかがでしょう。

また、一の鳥居は二女神社との改竄(実はこちらが正しいのかも)の跡もあり、イチキシマヒメ他が新たに加えられているようにも思えます。

鳥居の設置年代ごとに神額の三女、二女(三女→二女、二女→三女)改竄(修正)の跡が認められますので神額に注意して見学されることをお勧めします。

恐らくその背後には大国主命の妃となった、ならないといった問題が横たわっているのではないでしょうか?

宇佐については既に長文に取り掛かっていますが、もうしばらく調査が必要ですので、ここでは、宇佐にも築紫君が事実上の支配者として君臨していた時代があったことだけをご紹介するに留めます。

「日本書紀」の足一騰宮、「古事記」の一柱騰宮=妻垣(トモガキ)神社、安心院、院内に残る北辰神社、住吉神社、宇佐周辺に広く分布する春日神社が、上宮の囲いの中に各々祀られていること、謎の摂社大尾神社、勅使道、姫大神とは何か、摂社鷹居神社、追放された大神、比企、辛島、そして到津家、さらには御許山の存在…と、宇佐神宮の謎は尽きません。

宇佐には過去何度も権力構造の変化が生じているのですが、安心院、国東も含めまだまだ謎は深く、また、多くの謎を解く鍵も落ちているようです。