水曜日は今年最後のレッスンでしたピンク音符
発表会で演奏するフランクの『前奏曲、フーガと変奏曲』をみて頂きました。

レッスンはスタインウェイのフルコンと、ベーゼンドルファーのフルコン(VC)、どちらでも好きな方で受けさせて頂けるのですが、私は写真の右側、扱いの難しいベーゼンフルコン(VC)の方で受けています。


レッスン前に少し指ならしをさせて頂く時間がありましたニコニコ
やはり素晴らしい響きキラキラ
(このピアノについては以前の記事をご覧ください)
以前の記事に書いた通り鍵盤のツボが浅いので、それを捉えるのは難しいけれど、それが掴めれば、エレガントで奥行きがあり包容力がある響きで応えてくれる楽器。

さて、レッスンについて。
私が途中まで弾き、まず師匠から一言。
「良い音では弾けるけど響きの種類が少ない。
ずっと薄味の和風、みたいになっちゃう。」
とのこと。

表情が乏しいということだよなぁ。
自分でも感じてた
例えば演奏者ではなく役者に置き換えたとして。
台本を読み込めば意識しなくてもセリフに自然と表情が現れるような作品(私の場合ショパンやラフマニノフの作品)もあれば、表情を出しにくい作品もある。
(この辺りはまた別の機会に書こうと思います)

でも師匠は、「この作品でももっとやれる」と。
例えば…と弾いてみせて下さった演奏は、ドラマティックでものすごい立体感だった。
私の演奏はツルッツルのゆで卵。
師匠の演奏は大理石の彫刻(ベルニーニとか?)のように深く彫られ、また細部は繊細に彫られていて、説得力と立体感に圧倒された。

弾いている師匠の背中から、身体の内側に燃えている熱いものが見えたメラメラ
この熱いもの、以前誰かの中にも見た…目
そう、チャイコフスキーコンクールの審査員をされているマキシム・モギレフスキー先生もそうだった(以前マスタークラスを受講)。
芸術家のエネルギーだメラメラ

こんなに燃えている熱いものを抱えていたら普通の社会では過ごせない。
師匠だってさっきまで見えなかった。
レッスン室に入りピアノに向かった途端、燃えたぎるものが見えた。

それが私にあるだろうか??
あるのかもしれない、あったのかもしれない。
でも、満員電車に乗り、仕事をして、日々の生活に追われている中で、灯が消えそうになっていた気がする。
いや自ら消していたのか、暗転幕のようなものを下ろして人様に見えないように自分でも見ないようにしていたのかも。
それに昨年より体調が良くなったとはいえ、冬が苦手で12月半ばからかなり調子が悪く、身体に力が入らない。

「演奏者から→楽譜へ向かう方向(矢印)があり、楽譜から→演奏者に向かってくる方向(矢印)もある。
そっち側(演奏者→楽譜)はやれて、正しいと言われる演奏をして、みんな同じじゃつまらないね。
こっち側(楽譜→演奏者)に向かってくるものにもっと敏感になって、もっと自分が何を感じ何を得ているかを表さなきゃ。僕はそれを大事だと思ってる。
エリカにはそれがあるし、もっとやれるはず。
もっとやっていい。もっと自由に。
もう一段上に上がって。
正しいとか誰かにどう言われるとかよりも、自分を信じて。Believe in you!」
と師匠。
突然英語やドイツ語やフランス語が出てくるのはよくある事。

「ものすごいエネルギーが要るんですね。疲弊していては演奏出来ないですね。」と私。

「あったりまえだ。演奏者は松岡修造だ!」と師匠。

そういう訳で、師匠の演奏と熱さに圧倒されて翌日はピアノに向かえず(違う曲を少し弾いたりしてた)。

この曲のこの楽譜からキャッチするアンテナをもっと敏感にして、それを響きで表現するため、作品と対峙するエネルギーが沸々と湧いてくるのを待っているというか、そういう状態に自分をもっていこうとしている。
大掃除をしながら爆笑
これがまた開けてはいけない扉を開けてしまい、大掃除が大変なことになってしまってアセアセ
でも掃除をしながら、私の弱って消えそうになっていた灯を、エネルギーの源を探り、育てているドキドキ 
熱い年越しになりそうチュールンルン

See you音譜
よいお年をキラキラ