(本記事内の画像はすべてアマゾンへのリンクです)
私がこの国から逃げ出すのは、今現実に私の身体が「痛む」からだ。
痛いのは嫌だし苦手。我慢なんか大嫌い。
少しでも早く楽になる場所へ移動する。
それは、真夏の砂漠で>太陽の暑さに我慢できず一時木陰で休もうとするのと同じ原理である。
言い換えれば「少々の忍耐もできない性格」なのである。
ただ、そんな私も311ディザスター当時は関東住みですぐに移住はしなかった。
放射性物質は目に見えないし、当時痛みも特に感じなかったからだ。
その後体調が一気に変化する(それはもう笑えるほどの変調、メタモルフォーゼだった)事態となり、[我慢・忍耐力に欠ける] 私は即刻九州へ移住した。
という話は以前にも書いた。
以下で掲載しているものは、いまさらここで私が訴えなくても、もう誰もが気づいて知っている現実。

人は自分と似た境遇の人をみつけることで安心できるのです。ジコマンゾク。
* * *
実際こんな方がいらっしゃるようです。(この方に比べたら私の症状は軽い方ですが)
富士山ニニギさんの日記の転載(http://spiritcat.blog.fc2.com/blog-entry-60.html)という別のblog記事から
沖縄に被曝で避難されてる新潟市の方から現実のお話を聞くことが出来ました。原発事故当初から新潟市に在住だったYさん(中略)現在脳もやられてしまい、体重も10キロ減ってしまってます。
体調はいたって不良で、体中が痛くしびれも有り、特に骨がいたくてどうしようも無いといわれてました。典型的な白血病です。現在ラジウム石とビタミンで、積極的な治療をしております。沖縄に逃れてかなり良くなったといわれてました。
ご本人に確認しましたら、新潟ですでに医師の診断書で「被曝による傷害」を取得しており、役所に届出をしたら全く無視されたそうです。どうしても被曝は医師の診断書があっても認めないようです。挙句の果て警察に通報されて変質者扱いだったそうです。
これが現実です。
なお家族のなかでも小学校6年生のお子さんがおられるのですが、体重も10キロくらい減って、咳が止まらずもう骨と皮だけといったほうがいいような状態で、学校の体育で走らされたら、吐いて倒れてしまいました。奥さんは風邪をこじらしたからだといいますが何で夏に風邪をひくのか。明らかな被曝なのですが、学校も奥さんも風邪の一点張りで、遂には警察沙汰になってしまいました。
そして遂に家庭崩壊覚悟で彼一人が沖縄に避難することになりました。
しかし一人息子の被曝は忘れられません。先月様子を見に行ったら相変わらず咳き込んでおり、もうこの先長くないように思えて悲しくなったそうです。それでも奥さんや学校は彼を変人扱いしているのです。
彼の持ってるロシア製の「ラレックス」で測定した結果、現在でも新潟市内の空中線量で0.20μsv/h(インスペクターではこれより大きくなります。アルファ線が測定されて無いからです)。市役所の建物内部では2μsv/hもあるそうです。
昨年の3月には喉が痛くなり、6月に寝込んでしまいその後改善することなく体重が減り続けていったそうです。そして現在は体中が痛くてどうしようも無い状態です。これは被曝したかた全体に共通して言えることです。
…ここまで みんなでスピリチュアル(原発推進議員を落とそう) さんのblog記事より
~ ここからはツイッターのこぴぺです ~
※セミパラチンスクとは
セミパラチンスク核実験場(Семипалатинский ядерный полигон)は、旧ソビエト連邦のかつての主要な核実験場である。カザフ共和国(現カザフスタン)の北東部、セメイの西方150kmの草原地帯にあり、面積は約18,000km²(四国の面積にほぼ等しい)。
1949年から1989年の40年間に合計456回の核実験に使用された。施設は最初の核実験からちょうど42年目にあたる1991年8月29日に正式に閉鎖された。市民の被曝による影響はソ連政府によって隠蔽され、1991年の実験場の閉鎖間際まで明らかにされることはなかった。(Wikipediaより抜粋)

私がこの国から逃げ出すのは、今現実に私の身体が「痛む」からだ。
痛いのは嫌だし苦手。我慢なんか大嫌い。
少しでも早く楽になる場所へ移動する。
それは、真夏の砂漠で>太陽の暑さに我慢できず一時木陰で休もうとするのと同じ原理である。
言い換えれば「少々の忍耐もできない性格」なのである。
ただ、そんな私も311ディザスター当時は関東住みですぐに移住はしなかった。
放射性物質は目に見えないし、当時痛みも特に感じなかったからだ。
その後体調が一気に変化する(それはもう笑えるほどの変調、メタモルフォーゼだった)事態となり、[我慢・忍耐力に欠ける] 私は即刻九州へ移住した。
という話は以前にも書いた。
以下で掲載しているものは、いまさらここで私が訴えなくても、もう誰もが気づいて知っている現実。

人は自分と似た境遇の人をみつけることで安心できるのです。ジコマンゾク。
* * *
実際こんな方がいらっしゃるようです。(この方に比べたら私の症状は軽い方ですが)
富士山ニニギさんの日記の転載(http://spiritcat.blog.fc2.com/blog-entry-60.html)という別のblog記事から
沖縄に被曝で避難されてる新潟市の方から現実のお話を聞くことが出来ました。原発事故当初から新潟市に在住だったYさん(中略)現在脳もやられてしまい、体重も10キロ減ってしまってます。
体調はいたって不良で、体中が痛くしびれも有り、特に骨がいたくてどうしようも無いといわれてました。典型的な白血病です。現在ラジウム石とビタミンで、積極的な治療をしております。沖縄に逃れてかなり良くなったといわれてました。
ご本人に確認しましたら、新潟ですでに医師の診断書で「被曝による傷害」を取得しており、役所に届出をしたら全く無視されたそうです。どうしても被曝は医師の診断書があっても認めないようです。挙句の果て警察に通報されて変質者扱いだったそうです。
これが現実です。
なお家族のなかでも小学校6年生のお子さんがおられるのですが、体重も10キロくらい減って、咳が止まらずもう骨と皮だけといったほうがいいような状態で、学校の体育で走らされたら、吐いて倒れてしまいました。奥さんは風邪をこじらしたからだといいますが何で夏に風邪をひくのか。明らかな被曝なのですが、学校も奥さんも風邪の一点張りで、遂には警察沙汰になってしまいました。
そして遂に家庭崩壊覚悟で彼一人が沖縄に避難することになりました。
しかし一人息子の被曝は忘れられません。先月様子を見に行ったら相変わらず咳き込んでおり、もうこの先長くないように思えて悲しくなったそうです。それでも奥さんや学校は彼を変人扱いしているのです。
彼の持ってるロシア製の「ラレックス」で測定した結果、現在でも新潟市内の空中線量で0.20μsv/h(インスペクターではこれより大きくなります。アルファ線が測定されて無いからです)。市役所の建物内部では2μsv/hもあるそうです。
昨年の3月には喉が痛くなり、6月に寝込んでしまいその後改善することなく体重が減り続けていったそうです。そして現在は体中が痛くてどうしようも無い状態です。これは被曝したかた全体に共通して言えることです。
…ここまで みんなでスピリチュアル(原発推進議員を落とそう) さんのblog記事より
~ ここからはツイッターのこぴぺです ~
以前の私たちは、この爆発が危険なものだと知らず、誰も予告もしてくれませんでした。この爆発の後、子供たちや孫たちは病気になり、貧血や皮膚病や気管支炎、心臓病、関節などを患っています。【セミパラチンスク(※) 周辺住民女性H】
— Tweet Log — (@okanori75) 11月 15, 2012しばらくすると人々は頻繁に病気にかかるようになりました。消化器系の病気、皮膚病、血液の病気が出てきました。障害のある子供が生まれることが多くなり、心臓の機能障害にかかる人々も増えました。【セミパラチンスク核実験場 周辺住民女性L】
— Tweet Log — (@okanori75) 11月 16, 2012子供たちは体が弱く常にだるさや頭痛や皮膚病、皆、貧血でイライラし禿げが出来るほど髪が抜けました。子供は障害や病気をもって生まれてきます。人々は42~50才ほどの若い年齢でガンで死んでいます。私の妻も常に関節に痛み、頭痛、膵臓、腰痛を患っています【セミパラチンスク 周辺住民男性B】
— Tweet Log — (@okanori75) 11月 15, 2012私自身、10年以上甲状腺腫を患い、現在では手術が必要だと言われています。私達カイナル村の子供たちはみな、貧血、癌、白血病、甲状腺腫、血圧の病気を患っています。【セミパラチンスク核実験場 周辺住民女性R】
— Tweet Log — (@okanori75) 11月 16, 2012RT、友人のアメリカのテレビディレクターより「カナダ、米、英、オーストラリアなどの英語圏の報道では、日本政府は嘘をついて国民を被曝させていると報道しているし、チェルノブイリ以上の人的災害になるだろうといった認識で受け止めている。日本人が平然と暮らしている意味がわからない。」
— Tweet Log — (@kucyan) 11月 14, 2012やはり1桁ベクレル以下推奨。全世界の心ある医師はそう言っている。 → ウクライナ調査報告|第3回ウクライナ調査報告書ができあがりました bit.ly/UMAtKH
— Tweet Log — (@Ani2525) 11月 18, 2012※セミパラチンスクとは
セミパラチンスク核実験場(Семипалатинский ядерный полигон)は、旧ソビエト連邦のかつての主要な核実験場である。カザフ共和国(現カザフスタン)の北東部、セメイの西方150kmの草原地帯にあり、面積は約18,000km²(四国の面積にほぼ等しい)。
1949年から1989年の40年間に合計456回の核実験に使用された。施設は最初の核実験からちょうど42年目にあたる1991年8月29日に正式に閉鎖された。市民の被曝による影響はソ連政府によって隠蔽され、1991年の実験場の閉鎖間際まで明らかにされることはなかった。(Wikipediaより抜粋)






