33年前の最も悔しかった瞬間 | 資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる【白鳥光良の Work Life Fusion】

資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる【白鳥光良の Work Life Fusion】

100キロマラソン、フラメンコの唄と踊りとギター、創作落語、将棋、ファイナンシャルプランなど、様々な世界を融合(fusion)させる【白鳥光良】が「資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる」を研究&実践中

「負けました」

と、自らの負けを認める「投了」という瞬間が将棋にはあるのだが、記憶に残っている最も悔しかった投了は33年前の高校1年のときの「高校竜王戦 個人戦 東京予選決勝」だったと思う。当時、居飛車相手には「升田式石田流」(裏芸は米長流急戦矢倉)、振飛車相手には「相振り飛車」(裏芸は玉頭位取り)をメイン戦法として序盤から激しく動いて経験値の高さでリードを奪った後は一転して手堅くまとめるのが理想の勝ちパターンだったが、決勝まではその展開でスムーズに勝ち進んだ気がする。

でも「この一局を勝てば(全国大会が行われる)憧れの天童に行ける」と思ったら変な緊張感が湧いて盤面を広く見ながら先を読む集中力が濁っていた。序盤から終盤までいい勝負で、勝てるチャンスは何度もあった気がするが読み切れず決め切れずチェスクロックによる秒読み勝負になり、最後は無表情で冒頭の言葉を発して頭を下げている自分がいた。本当は物凄く悔しかったのに悔しくないフリをして「いやー、負けちゃったね」と軽く笑っている自分がいた。

いま私がそのときの自分に声を掛けるなら「今のお前は実力が足りなかったから負けたのだ。もっと執念深く準備すれば都予選を勝ち抜けたぞ。笑うな。真顔で悔しがれ!」と敢えて厳しい事実を含むメッセージを伝えたい。

それにしても真剣勝負の世界、実力勝負の世界は潔くていいね。負けた場合に実力不足以外の言い訳が何ひとつ効かない世界って、美しくて清々しくて痺れるほど大好きだ。