My way diary 父なる神 子なるキリスト 聖霊なる神の御名によって‥ -35ページ目

なぜ誘惑を受けるのか③



~もし、私たちの情欲を弱くされたら~

クリスチャン生活から挫折する者を少なくするための第2のことは

私たちの内面を誘惑の矢を神が鈍くしてくださることが考えられる。

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて誘惑されるのです」(ヤコブ1:14)と言われている。

道徳的な純潔をもっと実現しやすくするために、神は私たちの情欲を弱めてくださらないのだろうか。

私たちは罪の性質を持って生まれてきたので、外から刺激を受けると、内から貪欲、自己中心、怒り、反抗、肉欲といったよこしまな欲望でこれに応じてしまう

正直なクリスチャンならだれでも、魂の遍歴の途上のどこかでこれらに負けたことを認めるだろう。

神は私たちの脆さをよくご存じなのだから、そんな欲望を少しは弱めてくださればよいのだ。

そうすれば私たちは勝利を味わうことができ、主の御名を傷つけずに済む。

「自分のすべきことは分かっている、だができない。努力したし、神の助けも求めた、それでもだめだった‥‥。」 という声を聞いた。

パウロは彼自身の戦いについてこう書いた。

「私には自分のしていることがわかりません。

私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。」�

(ローマ7:15)

~つづく

(マナ7月号より抜粋)

なぜ誘惑を受けるのか②



~もし、神がサタンを追放してくださったら~

第1に、神がサタンを抹殺してくださればよいではないか、という考えがある。

神が天地創造の時にそうしておいてくださったら、

アダムとエバは人類を罪に陥れることもなかっただろう。
アダムとエバが自由意思を持った存在だったとすると

なぜ神は彼らが蛇という外部の干渉なしに選択できる機会を与えてくださらなかったのか。

私たちの知る限りでは、アダムとエバはサタンの存在を知らされていなかった。

そのために、突然の対決に心備えができていなかったのは当然のことである。

もし蛇がエデンの園に入ることを禁じられていたら

アダムとエバは神に従いやすかったし、禁断の実を食べないほうを選んだかもしれない

エデンの園にサタンがいたことと、この地球上で活動を許されていることは

人間が悪を選択しやすい条件を作っている。

もし悪魔が地球から締めだされたとしたら、

私たちは誘惑を容易に拒絶できて、一歩進んでは二歩下がるという生き方をしなくても済むだろう。

それなのになぜ、神はサタンを抹殺されないのだろうか?


~つづく

(マナ7月号より抜粋)

なぜ誘惑を受けるのか①



イエスキリストを信じて罪贖われた者とされたにもかかわらず、

今も 罪への誘惑を受けるのはどうしてだろうか?

アーウィン・ラッツァー「悪習慣を断ち切る法」(いのちのことば社刊から学んでみよう。

1.強力な誘惑の力

「肉欲って、どうしてこんなに強いのですか?」

と、一人の青年が自分の罪の力に打ちひしがれて尋ねた。

彼は性的な罪に陥いってしまったのである。

「自分が信用できないのです‥こんなまずいことはすまいと誓っていたのに、またやってしまったのです」

彼の質問には解答が必要である。

なぜ誘惑はこうも魅力的で容赦なく強力なのだろう。

なぜ神は誘惑の力を減らして、私たちをもう少し楽にしてくださらないのだろう。

クリスチャン生活は、時として必要以上に困難なものに思えることがある。

神はすべての力と権威を持っておられる方なのだから、神を愛する者の人生をもっと容易にしてくださるはずだ。

多くのクリスチャンが何らかの罪に屈服し、ついには破局に至ることも少なくない現状を考えると、

神が一歩先に進んで、行く手の障害を取り除いてくださるのが理にかなっているように思われる。

~つづく

(マナ7月号より抜粋)