My way diary 父なる神 子なるキリスト 聖霊なる神の御名によって‥ -37ページ目

信仰が揺れた日‥‥

先日、カトリック教会の土曜日のミサで司祭が話してくださったことです。

長崎の男性の方で、クリスチャンホームの家庭に生まれた方でした。その方はクリスチャンホームで育ち、幼児洗礼を受けられ、告解(罪の赦しの秘跡)の場で、司祭に話されました。

小さい時は、聖堂内に入らず、祈ることもせず、教会の外で、友達と遊んでばかりだったそうです。

親に怒られるのを怖れた彼は、親に対して「教会に行ってきたよ‥と、お祈りしてきたよ‥」と嘘をつき通していたようです。

で、そんな彼が‥大人になり、30年くらい経った後に
ある時、カトリック教会で司祭と告解(罪の赦し)を受けたそうです。

自分の親がクリスチャンで、ほとんど何も分からず洗礼を受けられたそうです。

洗礼を受けて‥彼はイエス様を知っていたにもかかわらず‥

「イエス様を自分の罪から贖いのため、救いの為に信じることができません‥ でも神様がいることは信じたいです‥」


‥と、告白したそうです。

司祭は、「よく告白してくださいました。その信じたいという気持ちをずっと持ち続けていてください。と‥

あなたは、それだけでも十分救われているんですよ」
と、答えられたそうです。
当時、彼が正しい聖書知識をどう間違えたのかはわかりませんが‥

神様に告白することによって、自分の重荷を軽くすることができましたと‥後で司祭に言っていたそうです。

日本の幼児洗礼者の場合、昔から親から言われ続け、日曜日に好きでもない教会に行かされ、日々の祈りを欠かさず生活されていた自分に、親も気付くことができずに悩み苦しむ方が多いと、司祭は話されました。
この話しを聞いて、僕が思ったことは、聖書信仰だけでは頭で理解しているだけになってしまっているので‥あまり良くないことなのかなぁと‥。

聖書に書いてあるから、御言葉があるからとかだけで‥ 信じるもの判断して良いものなのかどうなのか?ということ‥‥。

また、つまづいてしまいました^^;

これは、イエス様の十字架の死に関わる大きな問題です。 キリスト信仰の根幹に当たるものです。

より深く、自分が思うには、神様を知らない人達に、具体的に、この現実社会で、「イエス様が自分の為に死んでくださったと、贖い出してくださったいうことを証明しなければいけないんです」

これはただ、伝道ではなく、自分が知ることです。

「怖れ」と「恐れ」と「畏れ」について‥

ずっと気になっていたんですが‥‥。

「怖れ」と「恐れ」と「畏れ」という文字‥ことばにすると、同じ「おそれ」となりますが、漢字で書いたら、ちょっと意味が違ってくるらしいんです。

どういう意味か分かんなかったから調べてみたよ☆


まずはじめに、「恐れ」と「怖れ」について。

これは同じような意味で取り扱われ 「おそれること」「こわがること」を意味しているらしい。 ふたつ合わせると「恐怖」という字になりますが^^;

例えば、遊園地のお化け屋敷とかで感じる「怖さ」「恐さ」のことをいうのかな~( ̄▽ ̄)

まっ‥感じない人もいるんだろうけど(-.-)

「畏れ」という意味は

「畏怖する」という字もありますが‥

「いましめる」「かしこい」「もったいない」「かしこまる」とかの意味らしいです。

これは、自然や神など威力、霊力を備えているものに対して人間が感じるという意味で使われる漢字らしいです。

聖句のひとつにもあるように「神をおそれ、おののく」といった意味ではないでしょうか??

でも、この「畏」という字は、常用漢字ではないと書かれてありました。

なので、あまり一般的には使われていないようです。
「恐さ」や「怖さ」などはコンコーダンスで、調べてあったけど‥

「畏さ」という文字は見つからなかったです(^_^;)
コンコーダンスにも書かれていない文字を、聖書に書いてあるはずないじゃんね(´Д`)

当たり前だぁ~(;□;)!!
って‥ことで、、、

日本語の漢字の使われ方について、ちょっと勉強してました^^;

本当、いろいろと、知らないことばっかりなんですね~☆

ぉやすみ~(-_-)zzz


主の御名によって‥

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。

あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。

わたしはすでに世に勝ったのです。 (ヨハネ16:33)

パウロもその一人ですが、幾多の患難に立ち向かい、ムチを打たれても、殴られて、蹴られて、牢屋まで入れられました。


普通に考えれば、パウロも私たちと同じ人間ですので死んでいてもおかしくないない状況の中で、生かされ続けました。

あの、ステパノの死から彼は、主イエスを見て、回心し、「主イエスの御名」によって生かされた人生でありました。

また、使徒書12章には、ヘロデ王によりヤコブが殺され、ペテロも捕らえられました。

そのヘロデ王も「神に栄光を帰さなかった」ため主の使いにより殺されました。
何のためらいもなく、神はヘロデを打った。

瞬間死ともいうのでしょうか?

「主の御名によって‥‥」
クリスチャンにとっては、本当にたいせつな御言葉のひとつなんですね。

昔も今も、何も変わっていないんです。

今日も、聖書から教えられたことに、感謝します。
主の御名によって生かされる日々を、感謝し祈りつつ前に進んでいきたいなと思います。

いつの間にかこんな時間になってしまったぁ~

ぉやすみ~(-_-)zzz