My way diary 父なる神 子なるキリスト 聖霊なる神の御名によって‥ -34ページ目

なぜ誘惑を受けるのか⑤



2.誘惑を受けることの意味

~忠実さのテスト~

当然考えられることだが、神は、目的を持って私たちが試みられるのを許しておられる。

まず、初めに、誘惑には恐ろしい敗北の可能性はあっても、神が私たちの忠実さを試すテストであることを覚えよう。

だれかのために難しい選択をするようでなければ、その人を愛しているとは言えない。また、執拗な誘惑を退けたことがなければ、神を愛しているとは言えない。

神は難しい選択をさせることによって、私たちが神への愛を証明できるようになさった。

困難とは、私たちがこの世よりも神を選ぶ機会なのである。

あなたは神を愛しているだろうか? 「はい」と答えてくれれば嬉しいが、難しい判断を迫られた時は、どうなるだろう‥‥

誘惑ヘの反応は、神への愛のバロメーターである。

誘惑に対して最初にとるべきことは誘惑を神への忠実さを試す良い機会として見ることである。

私たちはこの世の快楽と、神から与えられる楽しみと‥どちらを大切に思うのか?

身の回りに起こる罪を犯す機会、

内面のよこしまな性質、

私たちを取り巻く悪魔の力

それらは、この問いに答える無数の機会を与えてくれる。

~つづく

(マナ7月号より抜粋)

なぜ誘惑を受けるのか④‐2



~もし、神の計画が変更されたら~ 2

神は私たちが罪を犯しやすい状況に陥らないようにはしてくださらない。

試みを受けるためにキリストを荒野に導いたのは聖霊であった。

主の祈りの中で、イエスは「私たちを試みに会わせないで悪からお救いください」と祈るように弟子たちに教えられた (マタイ6:13)

私たちは、罪に陥りそうな事態から救ってくださいと神に願うべきである。

だが、罪を犯しかねない環境に神が導き入れる事実は認めざるを得ない。

もちろん、神はサタンのように私たちを試みたりはなさらない。

「だれでも誘惑に会ったとき神によって誘惑された、といってはいけません。

神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません」 (ヤコブ1:13)

私たちは、自分の行為を神のせいにすることはできない。

罪を犯したら、それは罪深い性質のせいであり、責任は自分にある。

しかし、神が私たちを試されるのは事実である。

神は、サタンが私たちを誘惑するのをお許しになる。
サタンは私たちの生活に入り込んでくる。

罪の性質には制限も警告もなく、気がつくと罪を助長するような状況に身を置いていることがよくある。

なぜ誘惑はこうも強力なのか‥‥。

~つづく

(マナ7月号より抜粋)

なぜ誘惑を受けるのか④‐1



~もし、神の計画が変更されたら~ 1

神がサタンを追放されず、私たちの罪深い欲望を弱めてくださらないとしても、誘惑に近づかないように導いてくださってもよいではないか。そうすれば罪を犯しそうになる環境に立たされなくても済む。

ダビデがバテ・シェバとの罪を犯したのは、屋上で休んでいた時に彼女がたまたま隣の家で入浴していたからではないか。

神は彼女が2時間早くか1時間遅れて入浴するようなこともおできになっただろう。

アカンが罪を犯したのは、エリコ攻略の後に美しい外とうが見張りもつけずに置かれていたのを見たからではないか。

アブラハムが嘘をついたのは、その地に飢饉があり、命の危険を感じたからではなかったのか。

サムソンは魅力的なデリラに引かれたからこそ、秘密を漏らしたのではなかろうか。


~つづく

(マナ7月号より抜粋)