なぜ誘惑を受けるのか⑦‐2
もし あなたが執拗な罪に付きまとわれているなら今まさに神の恩寵を見ようとしているのかもしれない。
今は自分の悩みでいっぱいかもしれないが、まもなく神にすっかり心を占められることだろう。
神は行為の根底にある動機をついてこられる。
単にペンキを塗り直すように新しい規範を押しつけようとはなさらない。心を立て直し、新しい価値観を与えてくださる。
私たちの最も重要な部分は、神を除いては誰にも見えない部分である。
神は、そこからみわざを始めようと望まれる。
~つづく
(マナ7月号より抜粋)
なぜ誘惑を受けるのか⑦‐1
~私たち弱さ与えられる力1~
神は、私たちの罪を用いて恩寵と力を示してくださる。
罪の重苦しい影響力は神の恩寵によって相殺される。
「律法が入ってきたのは違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには恵みも満ちあふれました」(ローマ5:20)
パウロは高ぶらないように、肉体に一つのとげを与えられていた。
3度も解放してくださいと願ったが、神は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリント12:9) と言われた。
そこでパウロは、それが彼の上に神の力が与えられる機会となることを知って、自分の弱さを誇ったのである
「なぜなら、私が弱いからこそ、私は強いからです」(10節)と‥‥。
~つづく
(マナ7月号より抜粋)
なぜ誘惑を受けるのか⑥‐4
~私たちは変えられる4~
その時、神はずっと優れた者へと私たちを導いてくださる。
御霊の実と呼ばれる豊かな人格の資質が育つことを神は望んでおられる。
御霊の実とは、愛、喜び、平安といったものである。
神の目的は、私たちを御子の姿に似たものとすることである。
これを達成するには、
罪が表面からひき出されて、私たちが変えられなければならない。
誘惑は危険を意味する。
しかし危険が大きいからこそ、誘惑に打ち勝った時の報いは大きいのである。
誘惑を拒むことは、
それよりはるかに優れたものに「はい」と答えることになる。
~つづく
(マナ7月号より抜粋)