呉へ。 | ろーずまりーのように♪

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ろーずまりーは若返りのハーブ、
記憶力や集中力を高め、いつまでも若く瑞々しく。

 

ほぼ一年前、呉に住む姉が、転んで足を複雑骨折してからというもの、

幾度この呉駅に降り立ったものやら。

 

昨日もJRで、午前11時前に広島駅を発ち、

呉駅からすぐのところにある病院に行って来ました。

 

   

 

       

 

悪いことは続くもので、姉の入院中、

今度は義兄(姉の主人で83歳)の病気が次から次へと発覚。

しかも、このコロナ下、千葉にいる一人息子が帰って来れない。

一番近しく、頼れるのは私だけという訳で、

何かがあれば、すぐ私が行かざるを得ない状況が継続中なのです。

 

義兄の一番最初の病気は、胆嚢炎、

ブルブルと震え、高熱が出て、

私が付き添い(姉は入院中の為)
救急車で病院に行くと、敗血症の一歩手前だという酷い状態でした。

その時の検査で分かったのが、胃と肝臓にできている大きなガン。

この時、医師から、

年齢が年齢なので、このままにしておくか、手術をするかという話になり、

どちらにしても、覚悟を持っておくようにと。

姉の入院中、リモート面会にも何度行ったことか。

 

それから義兄は、今年の始めから次々と、

胃の手術を二度(胃と腸のつなぎ目がくっ付いた為)、

肝臓にカテーテルで抗がん剤を入れる治療を二度。

そのカテーテルの二度目の治療が昨日だったんです。

 

その治療を待っている間、姉が言うには、

「私を置いちゃぁ死ねんから、どんな治療も受けるとゆうて、家でも庭木を切ったりして、

割と元気なんよ」。

 

まぁ、仲のいいのは結構なことだけど、

昔から、

病は気の持ちよう。

寿命がこないと病じゃ死ねない。

 

これが、ピッタリ当てはまるような義兄。



  

父は五十代、兄は四十代で亡くなりましたが、

いずれも3ヶ月くらいの闘病でした。


誰もが望むのは、ピンピンコロリ!

九十二歳で亡くなった母は、それに近かったな。

 

 

 

 

    

 

帰りが夕方になったので

夕食が作れなかった場合の為に、

呉名物、海軍さんのビーフシチューを買い、

急いで電車に駆け込みました。