中村哲 著 『希望の一滴 中村哲、アフガン最期の言葉』
西日本新聞社(2020年12月初版) 、1650円(税込)
2019年12月4日、アフガニスタン・ジャララバードで武装集団に襲撃され他界された中村哲医師の活動を言葉と写真で綴られた本です。
西日本新聞社の表紙帯の紹介文です。
『「もう銃を持たなくていい」 食い詰めて兵士となった経験があるアフガン人男性は畑でほほえんだ。 戦乱と干ばつ、そして飢餓。 治療よりも水と食料が必要だと医師中村哲は1,600本の井戸を掘り65万人の命を支える用水路を建設した。 砂漠化した大地に緑がよみがえり家族があたたかな食卓を囲む人間の暮らしが戻った。 「平和には戦争以上の力がある―」
2019年12月4日 アフガンで凶弾に倒れた彼の活動を言葉と数々の写真で振り返る。』
目次です。
第1部 最期の言葉
第2部 73年の歩み
第3部 農村復興への道のり
第4部 水のよもやま話
心に響いた師の言葉を引用してご紹介します。
「水は子供たちが健やかに育つ基盤でもある。」(口絵写真)
「机上の空論はいらない。実行あるのみ。」(口絵写真)
「水は人を区別しない。誰とでも協力し、他に逃げられない人々が人間らしく生きられるよう力を尽くす。」(口絵写真)
「彼ら(米軍)は殺すために空を飛ぶが、我々は生きるために地面を掘る。」(口絵写真)
「PMS(Peace Japan Medical Services、平和医療団・日本)が提唱するのは、人権や高邁な理想ではなく、具体的な延命策である。踏みとどまれば勝算はある。広がる沃野を夢見てPMSの活動は続く。」(2018年6月)(P34)
「戦より灌漑、時間は限られている」(2018年、P34)
「戦よりも食糧自給」(2018年、P40)
「アフガン情勢と言えば内戦、イスラム過激派などの政治問題が語られるが、人々を根底から苦しめてきたのは気候変動に伴う水欠乏だ。」(2019年、P46)
「日本側の協力がこの忍耐を支えた。30億円に上る個人寄付は、額ではなく、この事業に結晶した数十万の日本の良心の健在を象徴する。技術だけではない。干ばつから19年、めまぐるしく変わる世相にあって、変わらぬ人の温もりこそが山田堰を築いた先人が伝える神髄なのかもしれない。」(2019年、P50)
「必要なのは思想ではなく、温かい人間的関心であった。」(2019年、P55)
「彼らの願いはただ二つ、1日3回の食事かとれること、家族一緒に故郷で暮らせること、それだけだ。」(2019年、P57)
「経済的な貧困は必ずしも精神の貧困ではない。識字率や就学率は必ずしも文化的な高さの指標ではない。」(2019年、P60)
「見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる。」(2019年、P64)
「他人様を助けるということは何かを捨てることである。与えるとは自分の何かを失うことである。」(1986年、P76)
「彼らは『戦闘を建設に、弾丸を薬品に』という呼びかけに心から共鳴した。」(1991年、P77)
「自衛隊派遣は有害無益」(2001年、P80)
「百の診療所より一本の用水路を」(2003年、P81)
「人は自分の力で生きているのではない。恩恵によって特別に生かされているのだ。ここでは謙虚さと感謝の気持ちもまた、大地に根差す。」(2009年、P92)
「「過酷な自然」とは、人間側が欲望の分だけ言うのであって、自然を意のままに操作しようとする昨今の風潮は思い上がりである。」(2009年、P94)
「国益だ、正義の戦争だ、軍隊の増派だのと、騒がしい世界とは無縁なところに平和に生きる道が備わってあるのだ。」(2009年、P99)
「彼らには「アフガンは支配が不可能。外国軍はいずれ去る」との確信がある。」(2009年、P100)
「命を軽んじて天意から離れ、人の分を超えた思いあがりや虚飾は、滅亡に至る道である。与えられた恵みを忘れ、殺戮に狂奔する姿は、哀れである。」(2010年、P109)
「自然はしゃべらないが、人を欺かない。高く仰ぐ天が、常にあることを実感させる。絶望的な人の世とは無関係に、与えられた豊かな恵みがあることを知らせる。」(2011年、P124)
「自然の恵みは、見捨てられた者たちの上に姿を現す。理念や理屈ではない。人が和すとは、暴力やカネ勘定を超える理があるのだ。」(2011年、P128)
「凍てつく寒風をつき、必死の作業が続く。その緊迫感は、戦に勝るとも劣らない。常々、「平和は戦争以上の努力と忍耐が要る」と述べてきた。(P131、2012年)
「筑後川の山田堰は、1790年、古賀百工という朝倉の庄屋の手になる。人口増加、飢饉と餓死が日常であった時代、幾度も改修を重ね、ついに現在の形を造った。調べるにつけ、現地が当時の日本と同じ苦悩に喘いでいたことを知った。あえて堰の原形をとどめてくれたのは我々には幸運だった。その解決法を提供してくれたからだ。」(2012年、P134)
「無責任な論評で事は進まない。平和とは座して待つものでなく、体当たりで得ることを知った。時には軍閥や私利をはかる政治家と対決し、時には自らの欲望や怯懦(臆病)と対峙し、天意を汲んで感謝することなのだ。」(2012年、P136-137)
「敗戦直後の深刻な飢餓は、わずかな時期を除けば、自らの食糧増産の努力で克服された。政治以前に、豊かな郷土の自然こそが、実は「生命線」だったことは、ほとんど教えられなかったと思う。(2012年、P138)
「用水路は建設以上に保全が重要である。東部アフガンの農村は自治性が強い。PMSではガンべりに開拓村を置いた。10年間従事した200人の作業員、職員に自活の道を与え、培ってきた技術を世代から世代へ伝える方針をとった。」(2013年、P142-143)
「戦がここで何をもたらしたのか、我々は知っている。かつて一世を風靡した「アフガン復興」は、混乱と退廃、国土の荒廃と敵対関係という惨憺たる結末を残したまま忘れられようとしている。誤りと向き合って教訓にする勇気を、我々は欠いていないだろうか。」(2013年、P144-145)
「多くの場所で取水堰を造り、「緑の大地計画」は15年目にして完成を目前にした。2020年までにせPMSは16500ヘクタールの沃野をよみがえらせ、65万農民の生きる空間を確保しようとしている。(2015年、P155)
「殺りくで糧を得ることなど誰も好まない。故郷で耕して生きるのが一番だ。戦乱の中で生きざるを得ない人々は、PMSの灌漑事業に平和への望みをかける。その祈りは切実である。」(2015年、P156)
「我々の仕事は自然を相手にはするが、自然とは戦わない。戦いがあるとすれば、人間の内部に潜む驕りと錯覚、技術文明そのものへの過度の期待であるきがしてならない。」(2018年、P166)
「自ら省みない技術は危険である。神に代わって人間が万能であるかのような増長、自然からの暴力的な搾取、大量消費と大量生産―これらが自然環境の破壊や核戦争の恐怖を生み、人間の生存まで脅かしている現実は動かしがたい。」(2019年、P176)
「我々が用水路建設で行う柳枝工は、すっかり定番となって、柳のない水路は物足りなく思えるほどになった。2019年4月、2003年に始まる「緑の大地計画」でPMSが行った植樹が百万本を記録、そのうち60万本が柳だ。」(2019年、P177)
「かつて「晴耕雨読」とは知識人の理想の生活だった。耕すとは、自然相手の農の営みで、知識に実を伴わせる知恵があったと思われる。人が自然の一部である限り、不自然な都市化は長続きしない。やがて人々がスピードや競争、派手な自己宣伝や奇抜さに疲れ、その空虚さに気づくとき、静かな郷愁を伴って本来の自然との関係が姿を現すような気がしてならない。」(2019年、P185)
「目の前に困った人がいれば手を差し伸べる。それは普通のことです。」(P190)
中村哲医師のご冥福をお祈りし、PMSを支援するペシャワール会の活動を微力ながら応援し続けたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございます。