私は、

 

 

慎重なタイプのくせに

滑りやすい場所を歩くときだけ

無謀かつ大胆になる

 

 

と、一緒によく神社仏閣を参拝する

ツインからいつも言われていて

「気をつけろ」と注意されます。

 

 

神様からも

 

 

ふさわしい靴を履きなさいと

注意されました。

 

 

 

 

前回のこの記事のつづきです。

 

 

 

 

寂光の滝上流の

パワースポットの沢へ降りて行ったあのとき

 

 

私が転ぶのを

神様が防いでくれていたとして。

 

 

私がそれをまったく知らないままだと

「悪い意味での成功体験」となり

私がますます無謀になってしまいます。

 

 

そうならないように神様は

何もないところで私を安全に転ばせて

 

 

私に気づかせなければならなかったんだな

とわかりました。

 

 

神様ってほんと思慮深くて頭がいい…

 

 

 

さてさてこうして3人は

若子神社から大通りまでの道を歩いていました。

 

 

右側には川が流れています。

 

 

途中で

なんの変哲もない景色を

なぜか写真に撮りたくなった

という場所がありました。

ここです。

 

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実はこの写真

スマホの調子がおかしくてなかなか撮れず

9回目でやっと撮れたものです。

 

 

スマホはその後、

全然問題ありませんでした。

なんだったんでしょう?

滝の下流だけど

まだ誤作動を起こすほどの高波動が続いていたのか?
 

 

 

 

 

さらに歩いていくと

右側に大きな石がひとつありました。

 

 

通り過ぎて振り返ったところ。

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苔むした石が大事に祀られていました。

 

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立札を見ると

池石(生石)

と書かれていました。

 

 

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消えかけた文字を一生懸命読んでみたら

説明はこうでした。

 

 

石の上面に周囲2m深さ30cmの凹みがあり、

水をたたえているので「池石」と呼ばれた。

ここに溜まった水は

あたかもこの石が生きているように、

1年中枯れたことがないから

「生石」とも呼ばれた。

池石の水をかきまわすと雨が降るという言い伝えがある。

また、この石は、

若子神社の遥拝所(前立)であり、

石の水が尽きないように無限の財益授けると言われている。

 

 

この大きな石は

さっきの若子神社の遥拝所でした。

 

 

そうわかって

3人で正面で手を合わせました。

 

 

ここは

若子神社から徒歩20分くらい

下りてきたところですが

 

 

昔、こんなよい道がなかった頃は

若子神社まで登って行くのは

大変だったでしょう。

 

 

そこで里からでも参拝しやすいように

こうして遥拝所を作ったのでしょうけど

 

 

わざわざ遥拝所を作るくらい

若子神社の神様の力が強いことを

みんなが知っていた

ということですよね。

 

 

ところで、

若子神社と寂光の滝ですが

 

 

じゃっこ神社とじゃっこうの滝って

読み方がほぼ同じです。

 

 

寂光神社と寂光の滝でいいのに

なぜあえて

異なる漢字の「若子」をあてたのだろう?と

 

 

私にはそれがものすごく謎でした。

 

 

若子神社は

空海さんが寂光の滝の神様を祀ったのが

はじまりだというのは

立札の説明と識子さんの本を読んで

知ってました。

 

 

 

 

 

 

 

帰宅して調べてみたら

若子神社はもともと

「寂光寺」または「寂光権現」と言ったそうです。

明治の神仏分離で「若子神社」と改名されたそうです。

 

 

おお~

たしかに言われてみれば

「寂光」は仏教的で「若子」は神様的です。

 

 

だからわざわざ「若子」へ変更したのか。

 

 

きっと空海さんは

寂光の滝の神様を

寂光権現として祀ったのだろうなと

これで納得できました。

 

 

もしかしたら

この石を遥拝所としたのも

空海さんなのかな?

見えない世界でつなげたりとかいういろいろを。

 

 

立札に書かれた

「池石の水をかきまわすと雨が降るという言い伝えがある。」

を読んだときとっさに

空海さんの神泉苑(京都)でのエピソードが浮かんだ。

 

 

 

池石の説明で

遥拝所のあとにカッコ書きで

(前立)と記されていましたから

昔は仏教的に拝まれていたことも

想像できました。

 

 

※前立 

仏教用語。

秘仏本尊の前に平素まつっていて

普段はそれを拝ませるその仏を前立本尊という。

 

 

 

 

 

 

さて30分くらい歩いた3人は

とうとう大通りに出ました。

 

 

当初は、大通りに出たら

バスに乗るなりタクシーを拾うなりして

日光東照宮まで行こうと思っていましたが

 

 

まだ機嫌のよさがありあまっている3人。

「ついでに歩くか」

ということになりました。

 

 

東照宮方面へと歩いていると

 

 

なんかこの雰囲気

どこかに似てる…と私は思いました。

 

 

箱根で湖を右側に見て歩いた道と

似ているのです。

あのときも次男が車酔いするからと

本来なら車で通る道を3人で歩いた。

 

 

「 ねぇ、なんかここ、箱根に似てない?」

 

 

と言うと、夫が

 

 

「ああ、似てるね。」と言いました。

 

 

やっぱりそうか。

私だけの気のせいじゃない。

 

 

似ているのは

景観のような、波動のような、

そこがよくわかりません。

 

 

箱根は、

湖、水、そして…、龍。

 

 

でもここは、山。

 

 

うう~ん、

共通点は特になさそうな気がするけど…

よくわからんな。

 

 

ま、いっか。

 

 

と考えるのをやめて歩いていたら…、

 

 

左に神社が現れました。

 

 

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なに?龍?

 

 

なんでこんなところに、龍?

それが気になりました。

 

 

時間がないので

参拝することはできませんが

 

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立札だけ読みました。

 

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空海さんが、滝尾、寂光を開いたとき

その弟子が仏法の守護として、

京都醍醐の青龍神を移し祀った

 

 

と書かれていました。

 

 

ところで

仏様と神様は、

見えない世界において

作用する世界が違うそうです。

 

 

そのため、

空海さんは仏の山である高野山に

わざわざ守りの神様を勧請しています。

(嶽弁天さんです。)

 

 

 

詳しくはこちらの本を。

 

 

 

 

それと同じように

 

 

空海さんとお弟子さんが

ここ日光で修行するにあたって

青龍神という神様が

仏法の守護神として祀られたのだろうな

 

 

とそのとき思いました。

 

 

でも、なぜ龍なのか?

 

 

あとから調べてわかったのは

 

 

青龍神とは

空海さんが中国から帰国するときに

空海さんについてきた龍だ

ということでした。

 

 

なるほど、それで龍だったのか。

 

 

もうひとつ

祀られたのが龍である

納得の理由があったのですけれど

 

 

私はまだこの時点では

全然気づけていなくて

 

 

このあと昼食で入ったお蕎麦屋さんの

店員さんの何気ないセリフで

やっと気づくことになります。

 

 

 

ところで

あのとき私が

「この道、箱根と似ている…」

と感じたのは、

 

 

「龍」共通の波動を

感じ取っていたからなのかどうか

 

 

それは自分でも

まだわかっていません。

いつかわかるようになりたい

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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