@飯岡
今日は
伊藤さんとお別れの儀に参列してきました。
ずっと
田原さんに怒られるって言ってたそうです。笑
だから
たぶん
葬儀に、私が参列したとき
口癖の"ヤベー、ヤベー"って子供のように焦って逃げ惑ってたに違いない。
本来、天真爛漫でダイナミックで豪快な人だったに違いないけど、私と過ごした時間はほとんどが闘病や人生における岐路に立つ苦しい時間だったと思います。
すごくすごく楽しい人だったのに
少しも一緒に遊べなかったなんて。
それだけが残念でした。
こんな衝撃的な出会いなんてあるものかとも思いました。
そしてやっぱり…
私も少し疲れた。
そう感じるのも、また、生きているからだと思いました。
身体があれば休まなければなりませんね。
生きてるって
そういうこと。
有限のなかに"生"を見い出す。
これは一見残酷なようだけど
今は身を委ねようかとも思いました。
不思議と
時が解決してくれる
時が癒してくれる
生きてる故の"時"や"有限"を味方に付けるやり方です。
どうせ逆らえないものならば
味方に付けた方がいい。笑
そして、愛しく思う方がいいんじゃないかと。
過ぎゆく時を愛して
限りある身体を愛して
他人を愛する。
触れて
感じて
欲して
その中に、自分の"生"を確かめてみる。
喜び
悲しむのも
誰がいてこそ…だから、愛おしい。
もし誰かが
自分の生きた時間や証を受け止めてくれたら
とても幸せなこと。
そうやって
みんな生きて
そうやって皆過ぎ去っていき
誰かのなかで、生き続けるんじゃないかと思います。
サラッと今日も
波情報だけアップしようと思ったけど
やっぱり
今日このブログにも、私の生きた小さな証を刻もうかと綴りました
まだ
未完成な、ありのままの今の私を許す。笑
成長過程の自分を愛する。
飾らず
今の自分のままで溢れ出る言葉のまま。