昨日の続きです。
「このマスコミの官僚バッシングと同じ陰湿で卑怯な方法で、数十年に渡り蔑ろにされ不当に貶められてきた組織があります・・・」
そうです、自衛隊です(`・ω・´)ゞ
皆様も自衛隊の地震や他災害での献身的な活躍は、ご記憶の事と思います。
ここで、(2度目で恐縮ですが)あるお話を紹介させて下さい。m(_ _ )m
-以下ブログ記事より-
10年前、私たちが尊ぶべきサムライが逝った。
平成11年11月22日、航空自衛隊のパイロット2名が、埼玉県狭山市の河川敷に墜落、殉職した。
エンジントラブルを察知し、あらゆる手を尽くしたが、もはや脱出しかない、と判断を迫られた瞬間、彼らの眼下には民家が広がっていた。
見知った飛行コースである。
自分の生命が助かったとしても、それとひきかえに市街地はどのような惨事となるか。
「ベールアウト(緊急脱出)!」
管制塔に脱出を宣言してからも、彼らは脱出することなく、コントロールのきかない機体を人のいない河川敷までどうにか運んだ。
だが、エンジンの止まった飛行機はどんどん地上に近づいていき、彼らは草むらに叩きつけられ、亡くなった。
その直前、高圧送電線を切断し、近隣都市が停電した。
世間は自衛隊を責め、防衛庁長官(当時)を詰め寄り、空自関係者は謝罪に奔走した。
なぜ、彼らを讃えない?
彼らには助かる選択肢もあったのだ。しかし彼らは自分だけ助かろうとはしなかった。
地上の生命・安全を守りきって、彼らは逝った。もしこんな時代でなければ彼らは〈神〉であった。
事実、台湾の「飛虎将軍廟」に神として祀られた帝国海軍のパイロットがいる。
彼は昭和19年10月、台南上空で米軍機と戦闘中に猛攻を受け墜落しかけるが、 地上の集落への被害を避けるため脱出せず、必死で機体を上昇させるや無人の場所まで飛び続けたために敵弾に散った。
その一部始終を見ていた台湾住民たちは、身を捨てて村を守ったパイロットを「飛虎将軍」として崇め、現在も朝は「君が代」、夕には「海ゆかば」を歌ってお祀りしている。
また昭和5年には、英国留学中の帝国海軍パイロットは、ロンドン上空を操縦中、空中火災事故にあって全身火だるまの重傷を負いながらも脱出しなかった。
ロンドン市街に被害を出さないよう機体を捨てず郊外まで飛行を続けたのである。
このニュースは英国中を感動させ、英国人子弟の道徳教育にも資された。
これが日本人の武士道であり、尊ぶべき歴史なのだ。
日本の武士道、日本人の心というものは、世界の良心が絶賛しているのです。
歴史を奪われなかった台湾の人々はいまも彼を敬い、
一方の日本では、自衛隊機の墜落がいかに民間に迷惑をかけたか、こぞって報道した。
何かおかしくはないか?・・・
-以下ブログコメントから-
(主に、平成11年11月22日、航空自衛隊のパイロット2名が埼玉県狭山市の河川敷に墜落し殉職されたお話と20年程前、浜松で航空自衛隊アクロバットチームのブルーインパルスの5番機が、市街地に墜落する事故を起こしたお話に対し寄せられたコメントからです。)
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狭山の自衛隊の件知っています。
ご紹介有り難うございます。
今は引っ越しましたが、その当時、私は狭山に住んでいましたから・・・。
結構停電長かったです。何でかしら?と最初は不安でした。
そして、その墜落した場所も後で見に行った記憶があります。
彼らを批判した住民はいたかも知れませんが、私の周りでは、彼らが命をかけて住民を守ったことを、感謝し、感動していました。
こちらの人が多かったのではと思います。私も狭山市民です。
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あの事故の時は、突然の停電。いったい何が原因かわからず、信号も何もかも消えてしまいました。
しばらくすると付近の方が
『狭山で自衛隊の飛行機が墜落した』
と聞き、自衛隊に勤める先輩に確認の電話をしたところ、
『本当だ!忙しいから切るぞ』と言われました。
当時の彼女のお父さんは自衛官で、仕事を終えた私は彼女に電話をし、
『亡くなった二人のパイロットの事を、地域に住む者として忘れない。日本の自衛隊を誇りに思ってます。と伝えてくれ。』と彼女に話しました。
彼女は泣いていました。
テレビでは非難一色で、頭にきていたみたいで。
でもちゃんとわかってくれる人がいるんだと。
その時はまだ左よりの私でさえ、『自らの身は顧みず』の行動に心を揺すぶられました。
狭山では非難の声より、感謝というか、讃える声のほうが多かったと思います。
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自衛隊パイロットへのインタビュー記事でしたか、こんな記述を読んだことがあります。
記者:「ベテランのお二人は、最低安全高度については熟知されていた筈ですから、二人とも『自分が助かるため』に脱出装置を使われたとは思えないのですが」
パイロット:「被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります」
と言い切った上で、
「ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから」
産経新聞2000.8.3朝刊から「自衛隊半世紀」と題する記事のプロローグに、この事故が取り上げられています。
その冒頭で、なぜ、航空自衛隊のパイロットは「ベイル・アウト(緊急脱出)」を二回叫んだのだろうか、と、記しています。
「パイロットはベイル・アウトを通報した後、13秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいた。」
この13秒は、まさに上記の
「被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります」
に合致します。
そして、
「ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから」を、完璧に実現しています。
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もう20年以上前になるでしょうか??
浜松で航空自衛隊アクロバットチームのブルーインパルスの5番機が、市街地に墜落する事故を起こしたことがあります。
駐車場に墜落して、幸い市民への人的被害は避けられたのですが、当時のメディアで「もしも人家に墜落したら。。。。云々」と報道されておりました。
しかし、私は信じています。
あの墜落地点を上空から観察したら!!!!!!!
墜落機を操縦していたのは一般大学出身の高嶋1等空尉でした。
引き起こし高度が不足して、地上への激突が避けられないと判断した彼の頭にあったのは、
「空き地だ!空き地!」!!!!
それしか無かったはずです!!!!
入間で墜落した「T-33」と違い、高嶋1尉が操縦していた「T-2」には、十分安全に脱出できる射出座席が装備されていました。
人家を避けることができたと判断した瞬間、おそらく彼は
「整備員よすまん!時間がないんだ」
と心でさけんだのではないでしょうか。
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軍事評論家・佐藤守氏もこの件に関して言及されています。
コメントにお答えして・パイロットの犠牲精神
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050626/1119763747
何とか被害が回避できると思われるところまで来たので、
運を天に任せて脱出レバーを引いたが、操縦不能のため機体が高圧線に接触し
しかも高度が極端に低下していたので、当然落下傘は開かなかったから
機体から放出された二人はそのまま大地に激突して殉職したのであった。
航空自衛隊の飛行基地を見れば明らかだが、周辺がどんどん開発され、飛行経路上に家屋が密集しているところが多い。
特に入間は激しく、私も現役時代に、万一エンジンが停止したらどこの空き地に突っ込もうか?と考えて飛行していたものである。
浜松での操縦教育中は、毎朝『緊急手順教育』で『離陸直後にエンジンが停止した!どうする!!』と学生に質問する。
学生は「再スタート手順」を鸚鵡返しに答えるが
『高度がない!人家が迫っている!』と教官が迫る。
そして他の教官が『脱出!脱出だろう?』と誘いをかける。
そこで学生が『ハイ!脱出します』と答え様ものなら
『貴様!市民を殺すのか!生き恥をさらす気か!』と罵声が飛び『空き地に突っ込め!浜松球場があるだろうが』と脅迫する。
学生は『ハイ、球場に突っ込みます』と答えざるを得ない。
すると教官は『そうだ,始めからそう答えろ。出来たら垂直に突っ込め。そうすれば地上の被害は軽減される』と叫ぶ。
そこで真面目な学生は『ハイ、垂直に突っ込みます!』と答える。
これが毎朝の恒例行事であった。
しかしこの時はそんな我々の気持ちを『逆なで』するように,80万世帯が停電した!とか、スーパーのアイスクリームが溶ける被害が出た。と報道されたので、私は個人的に怒り心頭に発した。
だが、現役時代に常々『我々自衛官は国民(本当はメディアだが)から差別されても、国民を差別してはならない。
災害派遣で救出に向かった時に、その対象が例えXX党党首であったとしても差別することなく救助せよ。
それが自衛官魂だ!』と言いつづけてきたので、じっと怒りを飲み込んだ。
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昨年定年となりましたが、私の妹の連れ合いは陸自の隊員でした。
昔の話ですが、彼らの官舎周辺に自衛隊に反対するデモが押しかけ、幾度も汚い言葉を投げつけました。
またその子供達も日教組と思われる教師の言動に惨めな思いをしたそうです。
それに対して何の行動を取ることもなく、指示されたまま隠忍自重していたと言います。
当時(昭和50年代)は一般社会の人たちが自衛隊を見る目は現在とは全く違っていました。
その後二人で飲んでいる時に彼が言ったことを今も私は忘れません。
「それでも一丁事あれば、日教組であろうと、共産党であろうと日本国民である彼らを守る」と。
そのために日々訓練していると言っていました。
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狭山市の河川敷に戦闘機が墜落して、自衛隊のパイロットが亡くなった時、日本では停電の方が大きく報じられ、彼らが脱出を遅らせ、機体を河川敷まで誘導したため脱出が送れたことは、ほとんど報じられんませんでした。
しかし、其の時シンガポールに滞在していた友達が言っていました。
シンガポールの新聞には、亡くなった自衛隊員のことが大きく報じられ、現地の人は、やはり日本軍の伝統だと、感心していたそうです。
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我々の国を、そして国民を守るために戦って亡くなった人や、そのために日々過酷な訓練を続けている自衛隊員に感謝の気持ちを持つこともなく、逆に貶めるような言動をする人たちを私は許しません。
海外派遣も同じです。
満足な武器も持たせず、法律で手足を縛り、責任を取る指示もせず、あいまいなことを言って全責任を派遣された自衛隊に被せてしまうような、卑怯な自民党の議員達を軽蔑します。
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実は、事故当日、たまたま代休だった私は、妻と車で買い物に行く途中、事故機を目撃しているのです。
「ヤバイ飛び方してるなぁ~!」などと思っていたら。。。。。。。。
航空自衛隊員ではなかったのですが、海上自衛隊の現役パイロットとして、事故調査委員会での調書作成にも協力させていただきました。
メディアの取材の酷さも目撃しています。
お二人の内、どちらかは判りませんが、奥様に対し、
「奥さん、こんな重大な事故を旦那さんが起こして、何か、皆さんに謝罪の言葉とかありませんか?」と。。。。。。。。
懲戒処分覚悟で、張り倒してやろうと思いましたが、空自の隊員に押さえ込まれて止められました。。。。。。
「鷲さん、奥さんは俺たちが守るから、制服が違うあなたに迷惑はかけられない」と
でも、あの奥様、立派だったなぁ~!!
「主人は日頃から『国を守る仕事』に、誇りを持っておりました。
今回の事故でも、住民の方々に犠牲がでなかったことに、安堵していると思います。」
と、キッパリと仰っておられました。
亡くなられたご主人も立派ですが、奥さんも実に立派です。
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「ねずきちさん、日本人は、今も昔も変わっていないのですよ。
あの阪神淡路大震災の時、 あの惨劇を予想した人も、心準備した人も一人もいません。
いつものように、いつもの朝が明けると、露疑わず眠ったのに、早朝、世界がひっくりかえるような大揺れでがれきの中に閉じ込められた・・・
そこへ、火の手が迫った時、 「自分は、いいから、逃げてくれ!!」と、どれだけの人が、叫んだか・・・
熱くて熱くて焼かれようとする、その時にも
「助けてくれ、待ってくれ」と言った人は、ひとりもいませんでした。
「いいから、あなたたちは逃げて!」
力およばず、目の前で愛する人が炎に包まれた人には、語ることなどできないから、私に語らせてください。
日本人は今も尊厳をもっていると。
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以上、ブログ『ねずきちの ひとりごと』http://nezu621.blog7.fc2.com/
の中の
・「やっぱり日本が好き!」http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-626.html
・「日本の良心を守れ!」http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-635.html
から転載、抜粋させて頂きました。心よりの感謝を、有難う御座いました。m(_ _ )m
もう何度、この記事を読んだんだろう・・・
最初は、感極まりガラにも無く涙がチョチョギレてしまいましたが(・・。)ゞ
これは、誰かが作った創作物語でも何でも無く「事実」
そして、民主政権になり防衛大臣も任命されたのは、民主党北澤俊美。
(その父は旧社会党所属の北澤貞一氏)
別に、大臣が彼になって何が起ころうが驚かないが、皆は知っていて欲しいんです
自衛隊や官僚達の多くが、どんな気持ちでこの国を思い、覚悟と責任感を持ち、職務に当たっているのかを
そして、そんな彼らに対するマスコミの姿勢や考え方が、如何に無礼で陰湿で卑怯で不遜でしかも数十年もの間その存在を不当に貶めて来たのか・・・
まず時代の必然としてこれから求めるべきは、既存メディアとジャーナリズムの分離だと私は思います。
以上です。