自分でも忘れていた資格 | 鮎釣り師のひとり言

鮎釣り師のひとり言

鮎釣り師ガバチャの綴る悲喜こもごもな日常。
聞いてやってください。

この夏、卒業以来初めて高知の母校を訪ねた。

昭和55年に卒業して以来である。

 

たまたま母校の近くに出張があり、同級生が教授になっていることもあってそいつの研究室を訪ねることにしたのだ。

 

私はそいつK教授の案内で久しぶりの校内を見せてもらい授業風景をも見せてもらった。

やはり後ろの方の席の奴らは私たちのころと同じで、机に突っ伏して爆睡していた(笑)

 

研究室に戻って昔話に花を咲かせていた時、K教授が突然何かを思い出して立ち上がった。

 

「そういえば、この前事務室の改装で片づけしておったら、こんなもんが書棚の裏から出てきたんや。お前のと小林のが」

 

と、差し出されたのは、空手二段の認定賞状だったチーン

 

さすがに驚いた。

こんなものがあったとは!!

 

私もK教授も同じ空手部でよく組手をした中だ。

 

二人でこの賞状を渡された時のことをおぼろげながら紐解いた。

 

「確かみんな事務室に呼ばれて、先生がいなくなった後茶菓子で宴会をしたんやなかったか。その時お前と小林だけその表彰状をそこにおいたままにしていたんやろ(笑)」

 

後々成人してからもいろいろな表彰状はもらったが、無頓着でほとんど残ってないほどのプラグマティズムだ。

 

しかし、もう一人が小林というクラブでも一番ワルだったのが笑える。

 

あのころはブルースリーが流行って空手ブームだった。

チビで非力な私は強くなりたいと練習に励んだ。

というか、女の子にもてたいという気持ちも半分(以上)はあったに違いない。

事実ちょっとモテたけどなーゲラゲラ

 

あのころは髪型もブルースリーみたいにしてチャイナ服とか着てなりきってたな。

目を閉じれば頭の中では自分の顔とブルースリーの顔がドンピシャ一緒だった。

 

 

 

 

それが今なぜこんな感じにしかイメージできなくなったんだろう。

情けない世代に突入した自分には

このようなお笑いでしか生きていくすべがないのかもしれない。

 

まぁそれもそれでエエけどな笑い泣き

 

 

 

 

 

 

 

あちょーっ

 

アァァチョチョチョチョ~

 

 

の チョーッ とこりゃせ