試しに「九成宮醴泉銘」をググってみると、欧陽詢のこととか書誌の解説とか臨書のコツとかが山ほど出てきますね。つまり言語化される部分はすごく多く、それを認識し頭のなかで意識して練習することってやっぱり大切なんだけど、どこか最終的に身体的なものが残るんだと思います。それは、同じ書体を真似して書いてるはずなのに、個々の臨書にどこか味わいの違いが出てくるところからもわかるかしら・・。
ちなみに、学校で教える(これが唯一正しいものだと文科省が認めた?)「筆順」って、漢字の生理に合っている限りにおいて(つまりは書きやすく形がとりやすい筆順である限りにおいて)とても重要だと思います。そうでない筆順、どっちでもいいやんと思わせる「正しい筆順」(「くさかんむり」の書き順とか)は、わたしはどう書いてもいいやんと思いますけどね。
というのは、漢字であれ仮名であれアルファベットであれ(世界にあるとあらゆる書記文字であれ)、文字はすべて「書く」=「(引っ)掻く」ことによってできる線の軌跡から成り立っているので、その軌跡をなぞる書道が文字の習得に役立つのです。
文字を「線の軌跡」ではなく「画像(の全体)」として認識して、めちゃくちゃな書き順で書く子(例えば右から左へ横線引いたり、つながってる線を一気につなげて書いたり)は、読むときはよくても書くとき覚えるときに難があるような気がしますね。
また、書き順は明らかに右利きに書きやすくできているので、左利きの子が書くのを端で見てると「うわ〜書きにくそう。気の毒・・」と思ってしまいます。この際だから鏡文字も習得してひとつの強みにしてはいかがでしょう?(レオナルド・ダ・ヴィンチのように?)


