「ことば」についてのお話は「ことば」というテーマを設けてそこに入れることにしました。「国語」とは分けて。

ところで「有機」×「無機」の対概念も大切な概念です。もとの化学用語から「有機的」「無機的」と比喩的に用いられるところまでね。    
随分以前ですが、なにかの記事を見ていて「有機野菜は体に良いと言われているのに有機水銀が毒なのはなぜでしょう?」とかいう質問があって、ちょっとぶっとびました。いや〜それはね、「有機」の意味がちがうんですよ。質問者はもっとちゃんと勉強しなさい、とか言う前に、この人は水俣病のことかなんかを読んでて「有機水銀?それってなんだか体に良さそうなのに…」とか思ったのかなぁ?そう思うと「語感」って怖いなあと思いました。
ことばって、なんらかの「イメージ」が結びついてしまい、それが「語感」になったりすることがあるので、むずかしい&おもしろいです。
ちなみにちゃんと説明すれば、「有機野菜」というときの「有機」はorganicの訳語で、「生物の」とか「自然な」とかいった意味から派生した「有機栽培の(化学肥料や農薬を用いない)」の意味。「有機水銀」というときの「有機」はあくまで化学用語で「炭素結合を持つ」。有機水銀は水銀という金属に炭素が結びついたもので猛毒です。

それでひとつ思い出したこと。
わたしは持病にアトピー性皮膚炎があるので、保湿剤が手離せません。オリーブオイルだの椿油だの馬油だのワセリンだのプラスチベースだの、同病の人たちはみなそれぞれ自分の皮膚や症状に合う保湿剤を探すのに苦労しているのですが、わたしが一番良く使っているのは無香料のシンプルな水性クリームです。
良さそうな(そして価格も手頃な…毎日使うので高級クリームなんか使った日には家計がパンクしちゃうのだ)商品を探していた過程で、成分表示なんか見てると、「ミネラルオイル」という表示が多いのに気づく。
「ミネラルオイル」?そう聞いて、ミネラルがいっぱい含まれた、体に良い健康的な油かな?とか思っちゃったあなた、「ことば」のイメージにしっかり騙されてますねぇ…。
ミネラルオイルって要するに鉱物油のことでしょ?鉱物(ミネラル=無機物)から取るから鉱物油。つまりオリーブ油とか椿油とか馬油とか生物から取る(つまりは「有機」の)油とちがって、石油から取られる工業用によく使われる油でしょ? それなのに「ミネラル」ということばが、微量栄養素としての「無機質」という意味で使われることが多いので、「ビタミン」と並んで、なんだか体に良さそうなイメージがある。それをええことに、何の説明もなく成分表示に「鉱物油」と書かず「ミネラルオイル」と書く。それって、嘘を書いてるわけではないけど、限りなくひとを騙していることに近いのではないかと・・。
ただ最近は、「ミネラルオイル」という表示でなく「鉱物油」とか「鉱油」とか「流動パラフィン」とか書くことの方が多くなっているようですね。情報が行き渡って騙される人が少なくなったか、なんらかの抗議があったのか?

そういえば逆説の英語訳はparadoxだけど(それ以外にないけど)日本で使われているカタカナ語としての「パラドックス」と使われ方が違いますね。
「パラドックス」は矛盾する命題とか逆理とか二律背反とかの意味で使われることが多く、「逆説」とか「逆説的」とか言う場合には、手元の辞書の定義の(1) に載っている「一見、真理にそむいているようにみえて、実は一面の真理を言い表している表現。『急がば回れ』など。」の意味で使われることが多いです。
ところが「逆説」を単なる「逆の説」の意味で使っている筆者もいて、単純な負の相関などを「逆説」と言ってたりしてることがあります。これは端的に誤用です。
(良い例が思いつかないけど・・例えば「男の子は背が高いほどモテるけど、逆説的に女の子は背が低いほどモテる」とかね)。(←誤用ですよ!誤用。「逆説」という言葉だけを問題にしてるんであって文章全体のホントかウソかを問題にしてるんとちゃいますで。)
で、なにが言いたいかというと、かなり以前のことになりますが、これが、かつて中学入試の問題に出たんですね。その文章じたいは忘れたんですけど…。
忘れもしません。ある塾の国語科の会議の席で、この問題が俎上に上がりました。
筆者は誤用してます。その「逆説」の言葉を含む文章がどういう意味かを選択肢で問うていたんです。
問題作った人は何を思ってこんな問題出したんやら? しかし筆者が誤用しているにしても、ここは筆者の意図に従って「逆の説」の意味で解釈しないと意味が通じないんです。文脈から考えてその意味を取るべきだろうというのが、わたしを含む大方の先生方の意見。ところが、一部の先生方は頑張るわけです。「逆説」の本来の意味はこうこうこうこうでしょ?(さっきの辞書的定義ね)だから、ここはこのように解釈しないといけないのでは? ・・それで侃侃諤諤の大議論になってしまって・・。(わたしはうんざりして早く帰りたいな〜と思ってました。端的に悪問やん。出題校にクレーム入れてもいいぐらいだわ・・。)
その学校は模範解答を公表してないんで結局正解はわからない。その会議の結論がどうなったかも覚えていません。
ああ、ところで、もちろん文の接続などでいうところの「逆接」とはちがいますよ。念の為。

 

先般のエントリー書き終えてから、そういえばわたしいつか「O(目的語)とC(補語)」の区別なんかつかんでもいい、みたいな話をしたよなぁ・・と思い出しました。
OとCの区別はつかんでええけど、generalとuniversalの区別はつけてほしい。矛盾してますかね?
つまりは目的をどこに置くかによって、厳密にすべきところとそうでないところがあるというだけの話。
そりゃーあなたが文法学者になりたいと思うならば、OとCの区別がつかなければ決定的にまずいですけどね。でも、英語読解に必要だからということなら、OとCの区別つかないでも英語スラスラ読めて問題なくわかるなら、別にそんな区別つける必要ないってことです。
ざっくりと読み解けばいいだけにゴールを置くならば、generalとuniversalは「だいたい同じ」でいいかも。でも、わたしは、もっと厳密に読み解いてほしいので、こういう話をするわけです。

(承前)

こうした概念的な差異とかニュアンスの差異とかをしっかり理解することは、文章やその文章に貫かれた思想や概念を正確に理解するときに不可欠です。
ところが、国語の苦手な子ほど、どうもそうした「差異」を見分けにくい子が多いようですね。
(他人(ひと)の批判ばかりしてるわけではありません。わたし自身も難解な哲学書など読んでると、どうしてもそうした「差異」がうまく飲み込めなくて、苦労することがよくあります。)
先日も「ある」と「する」の違いをなかなかわかってくれなくて「どこが違うんですか?同じでしょ?」と頑張った生徒さんの話を書きましたが、この「どこが違うんですか?同じでしょ?」という抗弁、特に国語力の不安なお子さんからものすごくよく聞かれるんですよね。
たとえば、国語の記述式解答であったり、英語の長文和訳だったり、解答に限らず文章の解釈であったりで、生徒さんが言ったことをわたしがちょっと正してあげると、この抗弁が出てきます。
そういうお子さんは、たとえば解答が唯一一つしかない数学などは得意であったりすることもよくあります。
いや、その、君のプライドはよくわかるし、その自尊心を傷つけるような意図は毛頭ないんだけどね・・。
その差異をわかってほしい。わからなければ、わかるまで徹底的に考えてほしい。と思います。
わたしだって散々苦心して苦心して苦心して考えているんです。
思惟の力です。

重要な対概念、ほかにも「主観 × 客観」「絶対 × 相対」などいろいろありますが・・。
参考書などの説明でイラッとさせられるのが、「普遍的」の説明で「一般的」とか書かれている場合。
確かに似ていますけど、本来別の概念です。
「一般的」は general の訳語で、「だいたいにおいて当てはまる」
これの対概念は special ですね。「特殊な」例外があるって話ね。
理科好きの子には、ここでアインシュタインの話をします。
特殊相対性(理論) special relativity
一般相対性(理論) general relativity
それに対して
普遍的は universal の訳語で、「宇宙の(世界中の)すべてに当てはまる」
で、みんな(特に関西の子は)USJは知ってるので、ユニバーサル・スタジオのユニバーサルだよ、という話をし、映画製作会社のUniversal Studiosの話なんかします。
映画の始まる前に地球のマークが出てくるでしょ?とかなんとか・・。
これの対概念は「個々によって違う」って話ね。
だからいくつか言葉があって「特定の」とか「個々の」とかになります。
particular specific individual とかね。
この対概念見ると、特殊(special)と特定(particular)の違いもわかりますよね。

国語の論説文を読解するために必須の語彙って同時に概念であり、概念は対になる概念とかとの網の目でできています。
また、日本の現代文の論説文によく用いられる概念って、往々にして西洋語(直接的には英語が多いけど、元はドイツ語だったりフランス語だったり、さらにそのまた元はラテン語だったりギリシア語だったり)からの輸入概念であったりもします。
で、なおかつ、その輸入概念を翻訳語にするときに、これまたネイティブの日本語ではない漢字(元は当然のことながら中国の概念)を用いるわけです。

そこでわたしが授業でやってること。たとえば
漢文で「蓋し」が出てきたときに。
「けだし」と読んで「おそらく」とか「思うに」の意味なんだよ、と教えたあと。
これは「蓋然性」の「蓋」であって
蓋然性は、元の英語は probability であること。
さらに
probability と possibility(可能性)は違うんだよ、と話をします。
さらに暇があれば
necessity(必然性)× contingency (偶然性)
の対概念の話をします。

詳しくはもっと詳しい説明している人がいると思うので調べておいてくださいね。

予備校の集団授業でこれやると、「それ受験になんの関係がありますねん?」と彼らの緊急関心事にあまり関係なさそうなこと話されても・・という顔されることが往々にしてあるので、ええ加減にしておきますけど、きちんと論説文読みこなそうとしている子には必須です。


予備校は新学期なり。受験生にとってはもう終盤の追い込み時。
夏休みのあいだずっと会わなかった生徒さんが、見違えるように成長して現れた。
一学期の最後の授業でアドバイスしておいたことを、しっかりきっちり勉強したらしく、読解にブレがない。
素晴らしい!
少しその生徒さん特有の思考の癖みたいなものがあり、あとはそれをうまい方向へ導いてあげるだけ。
こういうのはホントに嬉しい。

まだまだ英語読解の話が続きます。

英語読解の指導もまず音読させることが中心になります。
日本語も同じですが、まず単語単語、連語、文節の区切りが認識できているか、また節clauseであったり句phraseであったり意味のかたまりごとに読めているかどうか、音読の速度で文の意味が頭に入っていくためには、意味のかたまりごとに意味を頭に入れていくことが必要なので、要所要所で止めてこのかたまりがどこからどこまで続いているのか、それはどこにかかっているのか、述語動詞がどこにあるのかとか、確認させます。

たとえば but は語順通り「だけど」と言っちゃっていいんですが、Thoughと来たときにいきなり「だけど」と言っちゃう生徒さん(わりといます)に、いや、これは、ここまで読まないと「〜けど」にはならないんだよ、と、従属節の場合接続詞(または句)が先にきてその内容が後に来るとか、形容詞以外は被修飾語が先に来て修飾部は後に来るとか、文章中にいきなり, (カンマ)でくるんで思いつきで付け足す句や節が入ることがあるとか、英語文法の生理みたいなものを読み慣れるにつれて身につけていくことを目標にします。

論理でガチガチに説明しようと思えばできますけど、たとえば英語の生理のまだわかってない生徒さんに副詞句と形容詞句の区別とか、関係代名詞と関係副詞の違いとか、そもそも副詞節とか条件節とかいう言葉とか、なんの意味があるのかと思ってしまう。
文法は、ちゃんと英語の構造が身について、文章の意味が頭に入るようになった生徒さんが、説明されて理解して、さらに理解を深めるためにあるものではないかと思います。

英語指導の話を続けます。

小さい頃から海外経験の長かったおかげで読解力の相当ある生徒さんで、何度説明してもSV, SVO, SVCの文型を見分けるのが苦手だった生徒さんがいました。

ひと通り説明すればわかる。例題も正解する。でもしばらくおくと忘れてるんです。

それって、要は、その子が「なんでそんな識別をしないといけないかわからない」(識別なんかせんでもちっとも困らない)、つまりは勉強の意義がわからなかったからだと思います。

 

そもそもなんでこういう文型の勉強が必要なのかといえば、「格」をうるさく分ける他のヨーロッパ系言語(ドイツ語とかラテン語とかロシア語とか・・気が狂いそうになりますよね)に比べ、英語は語順だけで日本語の格助詞にあたる部分を表現しちゃうという、エエ加減な言語だからなんですね。

だから、英語に特徴的なSVOOやSVOCの文などちゃんと理解し、自分で綴ることができれば何の問題もないんです。

 

くだんのその子、入試でもし文型識別問題なんかが出たら全滅でしょうけど、もっと配点の高い読解問題や英作文で高得点取れるので、まったく気にせずにいました。

ちなみにその子の担当の先生はそのことをめちゃくちゃ気にしてらして、私の顔みるごとに「〇〇さんは文型理解しましたか?ちゃんと100%識別できるようになるまで文型問題やらせてくださいね」みたいなことをおっしゃるので、なんだか可笑しかった記憶があります。

そんなしょーもないことする前に、英語の良文をたくさん読ませた方がいいと思っちゃうタイプです。わたしは。

もうすこし外国語学習の話を続けます。
少し前に書きましたが、英語の速読のとりあえずの目標、音読のスピードで同時に頭の中に意味を入れていくことですが、これがなかなか大変です。外国語を一読して、すぐ意味が頭の中に入ってくるレベルに到達するのは。
外国語聞いて意味が直接頭の中に入ってくる経験をした人なら、しばらく意識して読む訓練をすれば、できるようになると思います。
つまりは英語の語順であったり文法であったりを、頭で理解するのでなく、感覚で(というのか「体で」)習得して、その語順のままで、順々に頭に意味が入ってくるように脳を鍛えるのですね。
(わたしはやったことありませんが、スラッシュリーディングもこの訓練に役立つのかもしれません。)

このことは、申し訳ないけど、それが「できていない人」の読みを見ると、一目瞭然です。
彼ら彼女らは、一つ一つの単語の意味なりは(習ってたり覚えさせられたりするので)わかります。
それをうまくつなげることができないで、おなじ単語をつかっていても飛んでもない意味の取り違えをしてしまいます。
こういう人たちが英語で文を綴ろうとすると、あるいは喋ろうとすると、またかなりのdisasterになってしまいます。(すみません。)
おそらく彼ら彼女らが体に深くしみこませている日本語の語順だったり文法だったりのまんまで、自分独自の工夫で英語を組み立てていこうとするので、まるっきり意味不明の文ができてしまうのですね。
特に接続詞や関係代名詞、過去分詞や現在分詞など日本語と語順がちがうものがむずかしいらしく、ほんまにめちゃくちゃな訳をつけてくださるので困り果ててしまいます。述語動詞の機能も説明するとわかるのですが、なかなか「体得」できないですね・・。
こういう方々には、もう、辛抱強く、繰り返し繰り返し易しい英文を読んでいただいて、英文の「型」を身につけていただくことから始めるよりほかにありませんが・・。

また、外国語能力は、母国語の言語能力にもつながっていますよね。
生徒さんで一人、ドツボにハマるとホントにわかってくれない方がいて(すみません、こんなとこでネタにしちゃってて)、「する」と「ある」はちがうでしょ?ということが、しばらくホンマにわかってくれなくて、困り果ててしまったことがありました。(「する」と訳さないといけないところを「ある」と訳し「何がちがうんですか?同じでしょ?」と食い下がられた。)