いつもお読みいただきありがとうございます。
この呼び出し後、私の呼び出しは校長室になりました。
この記事で校長室に呼び出しの様子書いてます。
「学校は会社でなく教育なんです」
「カリキュラムがあるんです」
「多くの子どもを見ないといけないんです」
先生が子供に言うことを聞かそうと上から目線で言ったり、時には押したり殴ったり。
先生のやり方はいろいろあるだろうし、そのやり方がどうであれいちいちクレームつける気は一つもないんだけど、そのことによって子供と先生がトラブルになり「どうしたらいいですか?」って考えを聞かせてくださいって言うから、馬鹿正直に学校に行ってきました。馬鹿正直という言葉ば出てくるのは、後に学校側が望んでいるのが「私の考えを聞く」ことでないと悟ったからです。
そんなこと初めから察しがついていていいものですが、私は私で言いたいことがあったので。
私の考えは先生がやり方変えたらここまでこじれなかったのになぁです。
教育だから?
力で押さえつけようとしてうまくいっていない、余計に関係が悪くなっているんですよね?
力に訴えてやるなら徹底的にやらないといけなくなるし、「それは問題だ、通じない」て言うならやり方を変えないといけないんじゃないでしょうか?
このようなことを話しました。
そうしたらできない理由ばかり並べ立てられました。
それが冒頭の言葉です。
「教育だから」「カリキュラムがあるから」「少数にかまってられない」(うちの学校は市内で一番大きな小学校です)
別にどういうやり方されてもいいんです。うちは子供がなぐられようがなんだろうがクレームは言うつもりはありません。
子供が「先生に背中押された」って怒って話していましたが、学校に何か文句を言うつもりも全くありませんでしたし、していません。
なので、いろいろ考えることができないというならそれでいいんです。
でも、学校での問題は学校でなんとかしていただきたいと思います。
警察を
「今後トラブルが大きくなり人に危害を加えるようなことがあれば警察を呼ぶこともあります」って教頭から脅しの言葉もありました。
えぇ、危害を加えたら警察呼んでください。それ以上のことにならないために大切だと思います。
ただね、力で抑えようとした結果が警察沙汰につながると思うんです。
やり方次第だと思うのですけど・・・
・・・・
うちの子調子乗ってるところあると思います。
でも、気持ちを聞いても「わからん」って言いますし、実際言語化できないんだと思います。いわゆる問題児だと思いますが、「先生の言うことを聞け!」って私が言ったからって聞かないし、そりゃ力で押さえつけようとしたらできなくはないけど、そうしたら私と子供の信頼関係がなくなる。
思春期らしくちょっと生意気になってきていますが、私とちゃんとコミュニケーション取れています。それが一番大切だと考えています。
・・・・・
一方的な「話し合い?」
一学期の「お母さんと一緒に話したい」と呼ばれた話し合いは全く話し合いではありませんでした。私は一言も話していません。
学校の答えがありきでこどもに「うん」と言わせる一見気持ちを聞いている風にみせた誘導と思えるものでした。
表向きは「みんな良い子」「子供と同じ目線で話をします」「子供の気持ちを優先してます」「今の時代は個性が大事」「自分の意見を言えるのが大切」って言うんです。
でも、本当は「ちゃんと学校のルールを守って枠からはみ出さない子」「管理しやすい子」を求めているんです。
私には家でもそういう指導をしろということなんですよね。そのために呼び出されました。
子供もバカじゃないから本音と建前の違い敏感に感じています。
先生が悪い
わかりやすいのが、「危ないからそこからおりろ!」という場所から先生が引き摺り下ろそうとしたこと。
「そっちの方が危ないやん!!」「先生が悪い!!」と子供は憤っていました。いや、あんたたちも言うことを聞かないとか教室を出るとかせんかったらそう言うことにはならんのやで・・・とは思いますけどね。
「教室にいないと危険でしんぱいです」っていうのに、一方では「でていけ!!!」って言うし。
これ教育なんですか?何を教えようとしているのですか?子供達には「言っていることとやっていることが違ってもいい」「自分が正しいと思っていたら人の嫌がらせをしてもいい」としか映っていませんが、それを教えるのが教育なんでしょうか?
先生と子供達の関係は最悪です。
唯一子供が「いい先生」と言うのは校長。「校長先生は優しい」と言います。子供たちがすることを頭から禁止せず、かんがえさせることから始めてくれます。
こんな場合どのような対応をとりますか?
例えば教室でボールを蹴り出したら・・・
止めますよね?ボールを蹴る場所ではないし、ボールがぶつかったら壊れるものもある。
私がどうするかなって考えた場合「壊れるものがあるからボールは違う場所で蹴ろう今はやめておこう」とボールを蹴らせないことを考えます。
校長は「周りを見てみな、これとかこれとかボール当たったら壊れるよな?上みてみな?蛍光灯もカバーかかってないと当たったら割れる。」だからやめろではなく「それを考えながらボールを蹴りや」とボールを蹴ると言う行為を止めないで行為を見守る。
うまいやり方やなぁって思います。子供達もしばらくは気をつけて蹴っていたけどすぐに蹴るのをやめたとのこと。
子供達も悪いこととかわかっているからちゃんと「考えて」動くんですよね。校長の行動は子供を信じてくれているからできる行動です。子供も「わかってくれている」と感じるから校長は好きで、話を聞きます。
他の部屋を準備できませんか?
もしかしたら普通の親は「先生すみません!子供にちゃんと言って聞かせます!」って言うんでしょうね。それこそ解決にならないと思うけど、もしかしたら先生はそれが引き出せたら納得できたのかもしれませんね・・・。
とりあえず、学校側の主張は「教室出ると大人の目がとどかないことがあるから危険」と言うものでしたので、「教室でないどこかの部屋に子供を誘導するってのはできませんか?」とお話させていただきました。他の学校ではそのような対応をしているという話も聞いたことあるので。廊下をうろつき他の教室の邪魔になることを懸念されているので危険と懸念を解消できるのではないかと。
そうすると「それはわかりますが、いろいろ協議しないといけないことがありまして・・・」並行してどうやって教室に戻すかの協議をするから時間がかかると言うこと。「???」これが一番わかりません。何しても教室を出てしまうんでしたよね?それが解決できないから呼び出しですよね?もしかしたら私が「教室からでたらあかん!!」って家で言い聞かせたら解決するとでも?
私は去年から「どうしても嫌になったら出て行かずに教室で本でも読んでいたら?」と子供に提案しています。先生もそれを了承してもらっていたみたいなのですが、いつの間にかそれもダメになったとか聞いています。外に出るように仕向けているのは学校側なんです。
うろつかれたら困るということならまずはどこか安全な教室に誘導して「危険と邪魔」という問題をまず解消。そうすると子供も先生も気持ちの余裕ができて次の「教室にもどす」ためのステップに入れると思うのです。先生のいう「信頼関係」もまずお互い落ち着いてから作れるかなと思うのです。
家で注意したら済む問題
教頭先生は「教室にもどす」ことにのみ焦点を当てているので「お母さんの言っていることわかります」と言いながら全く話が噛み合いませんでした。
教室なんて用意しなくても私が家で注意したら解決する問題と思っているからなんでしょう。
去年の担任からも「三男君はお母さんが大好きなんでお母さんの言うことは聞くから、これ言って聞かせてもらえませんか?」とよく電話がかかってきました。
なので教室から出ることについて「先生は出てほしくない、あんたは授業がつまらなくて出たい。授業がつまらない他のことができないと言うなら教室で本を読むってのはどう?先生にはそれでいいか聞いておく」と提案して子供と先生の折衷案をとらせせていただきました。これ、他の子からしたら「特別扱い」でずるいなんて声が上がったのでしょうか、これもダメになったのです。
先生も葛藤されるのはわかりますけどね・・・。私からしたら、そもそもの問題解決は「先生が子供を惹きつける面白い授業をすること!」なのですけどそんなこと気の毒で言えないので言っていません。
型にハマるのがいい子?
高度成長期時代は工場でベルトコンベアに流れてくるものを黙々とできて、皆が同じように同じことをすることで経済が成長して豊かになりました。みんなが同じだと豊かになれる、豊かになると幸せになれると皆が信じていられた時代です。ベルトコンベアに流れてくるものを皆が自分の考えをもって独創的なことをしたら同じものが作れなくて製品は大変なことになります。だから「型にはまった」それぞれが考えて違うことをしない人材が求められました。それで豊かになったのでその時のその教育は正しかったのだと思います。
そしていざ豊かになってみて、みんなが豊かになるという共通の目標が達成されてしまったら(もちろん今でも貧富の差はあります)みながおはじ方向をみられなくなりました。ベルトコンベアでしていた仕事は人件費の安い海外に流れたり、ロボットが人間より正確にやってくれるようになり、そうなった場合人間に求められるのは「考える力」になってきています。
言われたことを言われた通りにできることより「考えて動く」ことを求められるようになっています。
でも、学校はまだ「型にはまってはみ出さない」教育を目指しています。
それも仕方ないのですよね。だって先生たちはそのような教育を受けて育って、その学校という世界しかしらない。
だからそれが正しいことで「社会にでたら」うちの三男のようなわがままは許されないと一生懸命矯正しようとしてくれます。
私は甘い
ただ、言われたことを言われたようにだけしかできない人は「使えない」奴になってしまいますし、本人も「考えさせられる」ことが辛くなって社会についていけなくなったりします。なので先生の言うことを聞けるのがいい子なのだろうか、ちゃんと授業を聞いて勉強しているのが正しいのだろうかという疑問が私自身にあります。
これは主人と意見がわかれて喧嘩になりました。私は甘い。子供は甘い方の言うことを聞くと言われました。
ケンカの内容についてはまた違う記事でかこうかなと思います。
なんにしても、型にハマるのがいいとは思わない。先生には迷惑をかけているけど、だからと子供に言うことを聞けと言う気にもなれない。自分で事業をやるようになってだれも答えを教えてくれないし、答えなんてない世界にるので余計にそれを感じるから。
言われたことを言われた通りするって考えなくて済むから楽なんです。考えるってしんどいです。
でも、自分というものを考えた場合、その方がストレスはありません。
責任は全部自分にあります。
考えてもらおう
ここまで書いてきて思いました。
教室を出ることについてもう少し私もどうして欲しいか考えて、子供にも「なにがしたいか」を考えるような投げかけをしていった方がいいだろうなって。授業を聞けとは全く思いませんが、ただ単に「嫌だから」でなくもう少し自分に向き合う力をつけてもらうのもいいのかもしれないです。
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