養老孟司さんに聞く「コロナも多様性の一つ」(『読売新聞』令和2年3月28日)より抜粋紹介です。養老先生曰く…

 

「みんな生き物を軽く見ているんだよ。そんな簡単じゃない。特にコロナウイルスのように微細なものは、構造はわかっても、人間にどう影響するか未解明です。」

 

「みんな、自分という人間のことがお留守になっている。その人間には、同じウイルスに感染しても体質や遺伝的に亡くなる人もいれば、元気な人もいる。それが生物多様性です。」

 

「そもそも生物が色々あることを、多様性の一言ですますのがおかしいし、人間には都合がよくない新型コロナも多様性の一つ。登場してしまったからには、共存するしかない。だって自分の一部ですから。」

 

「例えば、田んぼだって自分ですよ。なぜなら、そこで稲が育ち、米になり、それを食べて自分の体になるんだから。そうすると田んぼは将来の自分でしょう。物質は循環しています。ですから、ウイルスだって、存在してしまったからには、もはや人ごとではない。」

 

「敵だから潰せという話になると、外出できず、人とも会えず、経済は止まる。しかも、いくら人工的に安全な環境をつくっても、自然は多様で絶えず変化するから、頭で考えたシステムでなんとかなると思わないほうがいい。」

 

「ただ、世の中も自然も、思うにまかせぬものですから、起こったことはしょうがない。その結果をいかに利用し、生き方を見直すかで先行きは違ってくる。日本の敗戦経験と同じだよ。稲を丁寧に育てれば秋には収穫があるでしょう。それと同じで、まずは身のまわりにある自然を手入れして、住みやすい社会をつくることから始めたらどうでしょう。」

 

以上です。如何でしょうか?

 

次に「宗教法人 生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」で教えて頂いた谷口雅春先生のお言葉を紹介します。

 

「いかなる細菌も真菌もヴィールスも、すべて〝生〟あるものは、神のいのちを宿してこの世に出現せるものであるから〝神の子〟である私を害することは決してないのである。宇宙の一切の生命は、唯ひとつの神の生命に生かされ、唯ひとつの神の智慧に支配され、導かれているが故に、生き物たがいに相冒し合いて病いを起すなどということはあり得ないのである。もし細菌、真菌、ヴィールス等にて病いを起すことがあるならば、それは自分の心に何か不調和が存在し、天地一切のものと和解していない事があるのが影をあらわしているに過ぎないのであって、決して如何なる生物も、実相においては自分を害するものではないのである。それ故、私は常に如何なる微生物をも恐れることなく、常に自己の心を反省して天地一切のものと和解するのである。神とその実現であるところの天地一切のものを礼拝し奉る。」(「天下無敵となる祈り」『聖経 真理の吟唱』)

 

「われ今、存在の実相を観ずるに、いかなる微生物といえども、存在する一切の生物の生命は神よりいでたるものであるから、すべての微生物も生命を有する限り神の子であり、いかなるヴィールスも、細菌も、真菌も、原虫も、人間を侵害して病気を起さしめることはあり得ないのである。それゆえに、人間が微生物に侵されて病気に罹るなどということはこれまた夢であり、幻であるに過ぎないのである。夢よ覚めよ、幻よ覚めよ。覚めて汝が〝神の子〟として永遠に病まざる老いざる金剛不壊の真身を有することを自覚せよ。」(金剛不壊の真身を自覚する祈り」『聖経 真理の吟唱』)

 

「わが全身の細胞悉く、神の輝く 生命に充ち満たされて、ひとつひとつの細胞ことごとく稀有の宝石の如く〝生命の霊光〟を放っているのである。その光眩しくして如何なる病原体もわが身体に近づくことなく、若し近づけば、生命の光に同化せられて、わが身体に栄養を与うる善良なる微生物となってわが健康を養うのである。」(「わが内奥秘密蔵の光を呼び出す祈り」『聖経 続真理の吟唱』)

 

「どんな微生物でも〝わたし〟が生かしているのである。あなたが病菌であるといっておそれている微生物も本来〝病菌〟ではない。それは〝わたし〟が生かしているのである。その病菌と見えている者が、実は、あなた達の間違った〝心の思い〟や〝生き方〟を警告して、それを是正させるために〝わたし〟が姿を病菌の如くあらわしていることがあるのである。」(『神 真理を告げ給う』)  注:ここの「わたし」とあるのは「神」のこと。

 

「神さま、あなたは天地の万物をお造りになりました。わたしも神の子としてあなたがお造りになりました。それだから私は天地万物と兄弟姉妹であります。だから敵は一つもありません。みんな味方であります。すべての人も動物も植物も田畑の野菜も、果樹園の果物もみなわたしの味方であります。どんなバイキンもビールスも味方でありますから私を害することはできません。ああ、この世界ぜんたいが私を生かしてくれています。ありがとうございます。」(「天下無敵の祈り」『理想世界ジュニア版』昭和52年11月号)

 

講話「永遠不滅の生命」

https://www.youtube.com/watch?v=CxwERhp344s

 

講話集

https://www.youtube.com/channel/UCg32EssRDkFCfYQdn_igonw/videos

 

 

【追記】

 

①歌人で細胞生物学者の永田和宏さんのインタヴュー記事より

(読売朝刊、令和2年4月25日)

 

「我々の遺伝子にもウイルス由来のものがあります。例えば、胎盤が機能するのに必須のシンチシンというたんぱく質はウイルスに由来します。人間は、ウイルスの助けを借りて子どもを産むということです。『ウイルスは敵』と思いがちですが、ウイルスの情報を自分の遺伝子の一部としてため込んでいるのが人間という存在。人間はウイルスとずっと共生してきた。ウイルスは撲滅しようとしても駄目で、いかに共生を図るか。ウイルスとの共生はいまだ道半ばかもしれません」

 

②青山学院大学教授で生物学者の福岡伸一さんのお話より(朝日新聞4/6)

 

「ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。

 なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。

親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。

 それゆえウイルスという存在が進化のプロセスで温存されたのだ。おそらく宿主に全く気づかれることなく、行き来を繰り返し、さまようウイルスは数多く存在していることだろう。」

「かくしてウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまっでも、これからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。」

(「動的平衡」とはー生物のあらゆる組織や細胞は日々新たにつくられ更新され続けている。常に変わりつつ一定のバランス状態を保っている。こうした生命の在り方を1937年にシェーンハイマ―という学者が「動的平衡」と名づけた。)

 

 

☆新型コロナウィルスをめぐる報道について

https://ameblo.jp/hetimanomatihe/entry-12596793798.html