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Happy☆Mycolor

シエさんとの思い出を大切にこころにしまい、新たな一歩を踏み出しました。
私の日々を、自由につづっていけたらと思います。

さて、胃潰瘍が発見されたシエさんは治療の優先順位として

まず胃潰瘍を直してからの骨折のオペということになりました。


命を取りとめてくれた、それだけで感謝ですが・・・

私はすごく心配でした。

それは、胃潰瘍のせいでオペが遅くなる=離床が長引く=廃用症候群を引き起こす

ということでした。

寝たきりにならないためにはまず肝心なのが「早期離床」

なのに、その道が絶たれてしまい、私は気が気じゃありませんでした。


点滴ばかりの日々。そして原因不明の高熱が続きました。

しばらくしてようやく口から食事を取れるようになりましたが

やはり熱が下がらないのと、電解質異常でオペを見送った回数4,5回。

シエさんが入院してからは毎日お見舞いにいっていましたが

その、電解質の異常を何とか治したくて、自分なりに調べて食材を持っていって

頑張って食べてもらったりもしていました。


本人もベッドでの臥床が長引くにつれ、活気もなくなり、何のことやら意味不明のことを話し出す。

認知症状が一気に進みました。

あんなにしっかりしていた人がまさか・・・と思いました。

そして、毎日毎日泣いていました。

泣いている、弱ったシエさんを見たのは初めてでした。

早く手術したかったことと思います。

そんなシエさんを見ても、ただ私はそばにいてあげることしか出来ない・・・・。

そんな自分の事をすごく無力と思い、職場で泣いたこともあります。

でも、職場の上司が「あなたがただ居てあげること、あなたの顔を見れることが一番力になってるのよ。

大丈夫よ!」って言ってくださって、どんなに私も救われたことか!!


この頃、シエさんとの間で印象深い食べ物は・・・ハーゲンダッツの「グリーンティ」でした。

ヨーグルトやゼリーなどもあげていましたが、「アイス食べたい・・・」と言われて初めて食べさせたのが

このアイス。

「美味しい・・・」って顔もほころび、私もシエさんもすごく幸せなひとときでした。

これは今でも覚えていて、「よく食べさせてくれたよなぁ~」って言ってくれます^^。


そんなこんなで、電解質異常は改善したものの、なかなか熱が下がらず・・・

とうとうドクターに、「ここままだとオペを行ってもハイリスクです。オペをせずに保存という手もありますが、寝たきりのままでしょう。どっちみち臥床が長いので、オペをしても歩けないかもしれません。どちらにするか相談して選んでください。」と言われました。


私もこれには悩みました。

なぜなら、シエさんはかなりの「心肥大」で、心臓も決して強くはないということを

入院中に知ったからです。

もし、オペをしたら疲労は凄まじく、危険かもしれない・・・

でも、もう一度歩いて今までどおり好きなように生活もして欲しい。人工骨頭が入ってしまえばすぐ立って

歩く練習をするだろうからオペさえ上手くいけば・・・

色んな気持ちが錯綜しました。

でも・・・一番大事なのは本人の気持ち。

シエさんにどうするか尋ねると・・・

「手術する!!歩けるようになりたい!!」

そう返事が返ってきました。

この頃は認知症状があったため、日を変え何回かたずねましたが同じ返事。

リスクの事ももちろん説明しましたが、持ち前の頑固さで「絶対受けてやる!!○○(ドクターの名前)には

負けない!」とかなり強気。


こうなったら、一緒に闘うしかないと思い

シエさんの気持ちをドクターに伝え、オペを待つ日が再び続きました。


すぐにオペ室にかけつけた私達。

私は最悪の状態を想像せざるをえませんでした。

なかなかオペ室から出てこなくて、控え室で待つ時間が異様に長く感じました。

その間、私は全身の力をこめてずっとずっと念力みたいなのを送っていた覚えがあります。

ひたすらずっと神様にお願いしながら、パワーをシエさんに向けて送っていました。


しばらくして、ウィーンとオペ室からの扉が開き、中からベッドに乗せられたシエさんが出てきました。

すぐにかけ寄る私達。

そこには、もぞもぞ動いているシエさんの姿。

「・・・生きてた!!!」

それだけでどんなに嬉しかったことか!神様ありがとう!

本当に本当に神様っているんだって思ったときでした。


ドクターの話によると、シエさんは全身麻酔をかけようとするところに

いきなり大量の吐血をしたとの事。それも輸血をしなければ危険な状態だったというくらいの量を。

すぐに輸血が始まり、原因を探るべく内視鏡科のドクターがかけつけ胃カメラが挿入される。


すると、発見されたのはなんと胃潰瘍!!それも何箇所かあった様子。

すぐクリッピングされ、出血はすぐ止まったとの事。

もちろん、骨折のオペは中止。


全くの予想外でした・・・。まさか胃潰瘍になっているとは!!

話を聞くと、胃潰瘍ってほんの短時間でもなってしまうらしい。へたすると3~4時間とか。

骨折するまで、胃痛の症状とか全くなかったので、出来たのは骨折後なのか?

そうすると、それほどシエさんにとってストレスがかかっていたのか・・・。


ドクターに「麻酔の前で良かったです」と言われました。

そういう土壇場での自己表現?がなんともシエさんらしいな~って感じです。

顔を見ると、オペ前より顔色が良好!行く前は真っ青だったのに。

「いやぁ~~びっくりしたよぉ~。でも吐いたらね、スッキリしたよ☆」と

家族の誰よりも本人が一番元気な感じで、思わず笑ってしまいました。


「そう簡単には死なないわよ」

って言っているようでした。持ち前の精神力がシエさんを生かしてくれたのかな?


<つづく>


こんばんは☆

昨日はとっても暑かったですね~~!

梅雨はどこへ行ってしまったんでしょうか・・・。


さて、前にも書いていた通り

シエさんのことを紹介します。


シエさんは私の父の母で、私が7歳の頃から一つ屋根の下で一緒に住み始めました。

当時、私の両親は離婚をし、必然的にシエさんが私の「育ての母」となりました。

以来ずっと我が家の母親代わりとして家族を支えてくれていました。

シエさんはすっごくすっごく強く、頑固で、泣いたりする事を決して許してはくれず

また、向こうから謝ることも決してしない。

そして、あまり笑ったりすることもない。ブツブツ1人で文句を言ってたりもした。

正直、私の中ではあまり好印象ではありませんでした。

私が泣いたりしても「泣くんじゃない!!!」の一喝で終わらせようとする

そんなシエさんに対して、小さかった頃の私はいつも「私のことなんか嫌いなんだ」って思って

いました。

そんな風になかなか打ち解けずに過ごした年数は・・・

私が25歳くらいまでだったので、単純計算で18年間。

まーー、こうやって書くと、一生打ち解けずに終わる人もいると思うので

短いですかね??

そんな25歳の時に何があったの?って感じですが。

転機は、シエさんが腰椎圧迫骨折をして入院した時でした。


当時、私は夜間に医療の学校に通っていたので、毎日お見舞いに病院に寄ってから学校に行き

退院後も、毎日毎日マッサージをしたり、具合が悪いとすぐ病院に連れていきました。

医療の勉強をしていたおかげで、今まで無頓着だったのにそういうところにすごく敏感になったんです。

(無頓着ってのも問題か?!)

そこから、だんだん信頼関係が結べてきて、色んな話もするようになりました。

今まで頑張りに頑張ってきた人が、心を許して少し弱みを見せてくれ始めた時でした。


それからは平穏無事に過ごしており、シエさんも普通に歩くことも出来て、料理したり、洗濯したりと

日常生活なんら問題ありませんでした。

特に、台所は「私がやる」っていう感じで、料理が得意でした。

限られた食材でうまく何品も用意してくれて

おかげで私は3年前まで、殆ど料理したことなかったんですけど・・・。


そんなシエさんに襲った次なる怪我。


「大腿骨頚部骨折」


そう。今度はお年寄りが寝たきりになる要因ナンバー1と言われる骨折をしてしまいました。

今から3年前のことです。

シエさんは強い精神力の人なので、最初は「痛いけど、こんなの折れてない。歩けるし」

と言って病院にも決して行こうとせず、少し歩いたりもしていました。

ですが5日位経って、さすがに本人も何かおかしいを察知したのか

初めて病院へ受診することを受け入れてくれました。

そこで知ったこの結果です。


すぐにオペに向けて、入院、検査が始まりました。

シエさんは入院して2週間ほどでオペ日になり、私と父は当日病院に。

「大丈夫だよ!」「頑張ってね」とシエさんを励まし、泣いている父を励まし

無事にオペ室に入るのを見届け、緊張で嫌な待ち時間をかき消すべく

食事に行きました。


「今頃どうなっているかね~??」なんて話しながら食事をしていると

そこに看護師さんがかけ寄ってきました。


「○○さんのご家族の方いらっしゃいますか?!?!」


・・・私達だ。


「ハイ」と名乗り出ると・・・


「○○さん(シエさん)が手術室で急変したのですぐ来てください」

と言われました。


目の前が真っ暗になりました。



<つづく>