シエさんとの今までこと① | Happy☆Mycolor

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シエさんとの思い出を大切にこころにしまい、新たな一歩を踏み出しました。
私の日々を、自由につづっていけたらと思います。

こんばんは☆

昨日はとっても暑かったですね~~!

梅雨はどこへ行ってしまったんでしょうか・・・。


さて、前にも書いていた通り

シエさんのことを紹介します。


シエさんは私の父の母で、私が7歳の頃から一つ屋根の下で一緒に住み始めました。

当時、私の両親は離婚をし、必然的にシエさんが私の「育ての母」となりました。

以来ずっと我が家の母親代わりとして家族を支えてくれていました。

シエさんはすっごくすっごく強く、頑固で、泣いたりする事を決して許してはくれず

また、向こうから謝ることも決してしない。

そして、あまり笑ったりすることもない。ブツブツ1人で文句を言ってたりもした。

正直、私の中ではあまり好印象ではありませんでした。

私が泣いたりしても「泣くんじゃない!!!」の一喝で終わらせようとする

そんなシエさんに対して、小さかった頃の私はいつも「私のことなんか嫌いなんだ」って思って

いました。

そんな風になかなか打ち解けずに過ごした年数は・・・

私が25歳くらいまでだったので、単純計算で18年間。

まーー、こうやって書くと、一生打ち解けずに終わる人もいると思うので

短いですかね??

そんな25歳の時に何があったの?って感じですが。

転機は、シエさんが腰椎圧迫骨折をして入院した時でした。


当時、私は夜間に医療の学校に通っていたので、毎日お見舞いに病院に寄ってから学校に行き

退院後も、毎日毎日マッサージをしたり、具合が悪いとすぐ病院に連れていきました。

医療の勉強をしていたおかげで、今まで無頓着だったのにそういうところにすごく敏感になったんです。

(無頓着ってのも問題か?!)

そこから、だんだん信頼関係が結べてきて、色んな話もするようになりました。

今まで頑張りに頑張ってきた人が、心を許して少し弱みを見せてくれ始めた時でした。


それからは平穏無事に過ごしており、シエさんも普通に歩くことも出来て、料理したり、洗濯したりと

日常生活なんら問題ありませんでした。

特に、台所は「私がやる」っていう感じで、料理が得意でした。

限られた食材でうまく何品も用意してくれて

おかげで私は3年前まで、殆ど料理したことなかったんですけど・・・。


そんなシエさんに襲った次なる怪我。


「大腿骨頚部骨折」


そう。今度はお年寄りが寝たきりになる要因ナンバー1と言われる骨折をしてしまいました。

今から3年前のことです。

シエさんは強い精神力の人なので、最初は「痛いけど、こんなの折れてない。歩けるし」

と言って病院にも決して行こうとせず、少し歩いたりもしていました。

ですが5日位経って、さすがに本人も何かおかしいを察知したのか

初めて病院へ受診することを受け入れてくれました。

そこで知ったこの結果です。


すぐにオペに向けて、入院、検査が始まりました。

シエさんは入院して2週間ほどでオペ日になり、私と父は当日病院に。

「大丈夫だよ!」「頑張ってね」とシエさんを励まし、泣いている父を励まし

無事にオペ室に入るのを見届け、緊張で嫌な待ち時間をかき消すべく

食事に行きました。


「今頃どうなっているかね~??」なんて話しながら食事をしていると

そこに看護師さんがかけ寄ってきました。


「○○さんのご家族の方いらっしゃいますか?!?!」


・・・私達だ。


「ハイ」と名乗り出ると・・・


「○○さん(シエさん)が手術室で急変したのですぐ来てください」

と言われました。


目の前が真っ暗になりました。



<つづく>