麻耶さんの作品を読むのは2作目ですが、なぜこの「鴉」を選んだのか・・やはりインターネットでミステリー小説と検索して出てきたからです。
麻耶さんの作品といえば、「メルカトルシリーズ」が有名なようですが、私はこの本にメルカトル鮎が出てくるとは知らないで読んでいたので、途中で出てきたときにはビックリしました。(インターネットで調べたときにメルカトルの事は書いてあったのかは全然記憶にありません。)
世界観はよく分からない・・というかどこか現実とは違うずれた世界観でしたが、これが「麻耶さんらしさ」なのでしょう。
地図にない村といえばまるで都市伝説ですが、行政や警察どころか電気、水道すらないまさに”陸のクローズドサークル”ができています。
村の様子は最初は信仰、伝承、迷信、暴力、抑圧、対立といった、ミステリー小説によくある閉鎖的な村のテンプレート言うべき展開が目白押しです。
そして横溝正史のような、閉鎖的な村に隠された信仰や伝承の名を借りた殺人事件を暴き、村の理不尽さを解決させる内容かと思っていました。
確かに暴くことは暴いたのですが、結局村のその後は全く描写が無いし、おそらく何の解決にもなっていないと思われます。それは閉鎖的な村を書くことが主題ではないからでしょう。
この物語は珂允と襾鈴というだけあって兄弟の確執が主題なわけです。
そこで読んだ感想は、見事なまでに「信頼(が全く)できない語り手」の珂允にだまされました・・というよりそんなのアリ?といった感じです。
物語中で二重人格者は人格で顔つきが変わるとさらりと書いてありましたが村人が襾鈴=珂允と気がつかない訳がないと思います。
茅子にしてみたら、勝手に櫻花(珂允)の妄想により離婚を突きつけられてかわいそうにもほどがあります。
それで珂允が松虫と結ばれたらそれこそ茅子が浮かばれない(死んでいませんが)ですから、珂允の自業自得といえなくもないです。
それに櫻花と橘花は読んでいるときは兄弟と疑っていませんでした。
橘花が殺された~と思ったら数ページ後に出てきた時は、なんで生きてたの?と疑問でしたから、読後にすぐに他の方の解説のサイトを見て納得しました。
ちなみに主人公が自覚がない(?)ままの一人芝居は今まで私が読んだ中では、二順人格ではありませんが、岡嶋二人さんの「そして扉が閉ざされた 」や乙一さんの短編集「zoo 」の中の「zoo」を思い出します。
そしてメルカトルでは他の作品は分かりませんが、この物語では謎の多いよく分からないけどスゴイ人物といった印象です。
私の中では珂允の身勝手さに唖然としたためメルカトルがいまいちかすんでしまいました。
トリックの根幹の村人全員色盲にも驚きました。閉鎖的な村で外との交流がないため遺伝的に色盲が受け継がれていったんでしょうね。
そして大鏡なんてそもそも存在しない、もしくは子どもなのに賢い朝萩かもと思いましたが野長瀬だったのにも驚きでした。
さてひねくれものの私はだいたいいつもどうでもいい事を考えてしまいます。
外につながる一本の紅葉の道は、外につながっているから、そこから山の木々とは違う種類の木の種子が広がって、1本の道のようになった・・のでしょうか?
それなら外の接点から種類の違う木は放射状に広がるのでは?と思いますが・・
それとも外に出るための昔の誰かが目印としてわざわざ一直線になるように植えたのでしょうか?
それに四方が山に囲まれているとはいえ、今まで誰も乗り越えなかったのでしょうか?
私は山について無知ですが、道のない斜面を登って山は越えれないものなのでしょうか。
そしていくら大鏡の教えで縛り付けたとはいえ、何世代にもわたり隔絶させることが可能なのでしょうか。
外人も今までちらほら来て、しかも乙骨や襾鈴のように受け入れられているのに、今までよく鎖国状態が維持できたなと不思議です。
日本の法律が及んでいないような陸の孤島が現実にあったら、それはそれでロマンがありますが。
タイトルにもなった鴉(カラス)は集団で人を襲わないし、巣に近づいたとか、雛が危険と判断したなどの理由があって襲うと聞いています。
そもそもこの物語にカラスの襲撃はあまり意味があったとは思えません。千本木家に助けられるきっかけとなったのと、珂允が死ぬきっかけとなったんですから、重要といえなくもないですがちょっと無理やり感があります。
しかし破傷風って動物からも感染するんですね。
結局は麻耶理論の前では全てが「そうなんだ!」と思うしかないのかもしれません(笑)。
(個人的評価)
トリック ☆☆☆☆
驚き ☆☆☆
珂允の身勝手さ ☆☆☆
村人の蒙昧さ ☆☆☆☆☆