何であれ、基本自分は悪くないと、そして自分以外(社会とか、国とか、時代とか)の責任だと考える。けれど肩書だけは申し分ない。オールドメディア的に、これほど使い勝手の良い人はいないから・・・
前回記事で、面従腹背の人、前川喜平氏についてちょっとばかり触れましたが・・・
その流れで「本の森」、氏の著作『面従腹背』から、私的に「はー、そーですか」なところを引きましょう。
●「なかったことをあったことにする」
まずは、出版社サイトによる書籍紹介から。
「あったことをなかったことにはできない」
安倍晋三首相と親密な関係といわれる学校法人加計学園が、国家戦略特区に獣医学部を新設した問題で、官僚トップの事務次官を務めた著者がなぜ「総理の意向があった」と記された文書の存在を認めたのか。
「公正・公平であるべき行政が歪められた」として、安倍政権下で起きた加計学園問題をはじめ「権力私物化」の構造を糾弾する。
そして、「道徳の教科化」や「教育勅語」の復活など、安倍政権が進める教育政策に警鐘を鳴らす。
さらに、文部科学省という組織の中で、「面従腹背」しながら行政の進むべき方向を探し続けた38年間の軌跡を振り返る。
「あったことをなかったことにはできない」⎯⎯それはそう。
しかしながら、その「あったこと」が、そもそも「なかったこと」だったとしたらどうだろう。
むしろ「なかったこと」を何が何でも「あったこと」にしようとした一群の人々がいたのではないのか。
そこからして、既に眉唾物な本だと思ってしまいました。
●言葉の含意を強引に方向転換
それでは以下、「切り取り批判」をしていきましょう。
まずは、「はじめに 面従腹背しながら進む」からです。
「面従腹背」は、あるテレビ局のインタビューを受けたときに、私の座右の銘だと言って口にした言葉だ。実際に、私は38年の公務員生活においてさまざまな局面で面従腹背してきた。一個人として、一国民として、全体の奉仕者として自分が進むべきだと思う方向が、組織の進む方向とは異なるとき、そして自分の力では組織の動く方向を変えられないとき、取るべき道は組織に従って残留するか組織に従わず離脱するかの二者択一になるだろう。組織に残る以上は面従せざるを得ない。しかし自分の裁量の及ぶ限りでは自分の考える全体の利益に近づくよう努め、機会が来れば組織の方向そのものを転換しようという思いを抱いているという意味で腹背する。私は、組織と対立したり、組織から離脱したりすることなく、あくまでも組織に残り、面従腹背を繰り返しながら、文部科学省という組織の中で行政の進むべき方向を探し続けてきた。(P.14~15)
「面従腹背」⎯⎯表面上はリーダーや上司に従っているフリをして、しかし心の中では従ってない、そういう状態を指す言葉。
これまで、それを良い意味で使う人はいなかったと思います。
要は、自らの言葉と態度で、周囲(主に立場上目上)の人々を騙している、という状態を示すのだから、当たり前です。
ところが「頭がいい」人の口にかかると、この引用のように、あたかも素晴らしい処世術であるかのように思わせられるのだから、ちょっと怖いことです。
文章の長さにちょろまかさないよう、気を確かに持たなければなりません。
●「葛藤」の跡が見えない・・・
「第1章 文部官僚としての葛藤」から。
「組織への違和感」節、小見出し〈職務命令で「建国記念の日」式典に潜入〉には、こんなことが書かれていました。
言うまでもなく、紀元節は初代天皇とされる神武天皇が橿原宮で即位した日だとされている。もちろん史実ではなく神話であるが、日本書紀の記述をもとに明治政府がこの即位の日を割り出したところ、紀元前660年の2月11日だとされた。実際にはこの頃の日本は縄文時代だったのだが、この神武即位を史実として扱うのが皇国史観である。紀元節は、天皇を中心に国家統合を図るための1つの象徴として定められたものであり、天皇を現人神と崇め、日本という国の根拠を神話に求めようとする神話的国家観に基づくものであって、個人の尊厳と国民主権を基本とする日本国憲法の原理とはまったく相容れない。(P.30)
「縄文時代」「皇国史観」「神話的国家観」・・・いずれについても、それをどのように捉えているのか、人によってかなり幅のある言葉です。
そういう想像力が働かないままに「個人の尊厳」とか言われましてもねえ。
「あー、この人は、自分と他人との見方が相容れない。どうやったら、分かりあえるのだろう」的な葛藤に苦しめられたことなんてないのだろうなと。
何しろ「頭がいい」人は「頭が悪い」人の見方を(大抵)認めませんからね。
●「子どもの権利」・・・
「第2章 面従腹背の教育行政」から。
「教育課程行政」節、小見出し〈拒否は子どもの権利である〉には、こんな「レポート」(?)がありました。
その点、「天晴れ!」と感服する人物がいる。菱山南帆子さんという人だ。お目にかかったことはないのだが、たまたまネットで「あらしを呼ぶ少女」と題された彼女の講演録の動画を観た。彼女が小学校5年生のとき、卒業式で君が代を歌う場面で歌うことを拒んで着席したのだそうだ。「『そんな歌を強制されて、たまったもんじゃない』と思って、『私は座るぞ』ということで、座ることにしたんです」「校長先生からは『国の大切な歌だから歌いなさい』なんて言われて、『関係ない』って思って、『何でそんなこと強制されなきゃいけないんだ』なんて思ったんです」「生徒の中では私一人、日の丸・君が代拒否して座りました」(P.99)
この「少女」の行動が、真に自分自身の判断によるのか、(親を含む)何者かに扇動されてのことか、それは分かりません。
分かりませんが、「納税の義務」を果たしていない小学生は、いわゆる「生存権」の部類以外、権利を主張する立場にないよ、と言いたくなりますね。
そういうことを知らしめるのが教育だろうと思います。
てか、自らの「面従腹背」は素晴らしいことであるかのように吹聴しておきながら、見ず知らずの人の「面背腹従」を褒め称えるってのは、いささか卑怯な振る舞いではなかろうかと、思わないでもないです。
してみると、面従腹背が座右の銘というのも、単なるヘタレの言い訳でしかないような気がしてきますね。
●「眼横鼻直」ですか、そーですか。
「おわりに 面従腹背から眼横鼻直へ」から。
私自身は、すでに官僚を辞めて1年以上になる。政治家と付き合う必要もなくなったし、やりたくないことをやらされることもない。檻の中から解放された気分だ。やりたいことをやり、言いたいことを言って過ごしている。新しい友人もたくさんできた。
だから「面従腹背」は、もはや私の座右の銘ではない。あるとき「座右の銘は?」と訊かれたので、はて今は何だろうと考えて、ふと出てきた言葉が「眼横鼻直」だった。「がんのうびちょく」または「げんのうびちょく」と読む。鎌倉時代に宋の国から曹洞宗を伝えた道元禅師の言葉だ。眼は二つ横に並んでいる。鼻は縦についている。当たり前のことを言っているに過ぎない。ありのままでいいということだ。第二の人生は、眼横鼻直でいこうと思っている。(P.222~223)
ここに関しては、「はー、そーですか」という以外にないのだけれども。
ただ、道元禅師の言う「眼横鼻直」は、「やりたいことをやり、言いたいことを言って過ごす」のとは、ちょっと違うんじゃないかという違和感はあます。
●「腹」(いわゆる裏アカ)でこんなことを・・・
さて、この本は2018年5月の出版なのですが・・・
巻末で、前川氏がまだ官僚だったとき「右傾化を深く憂慮する一市民」というアカウントで「言いたいことを言っていた」と胸を張って(?)います。
ソコに示されていかつてのポストからも引用しておきましょう。
2013年1月24日
愛国心はならず者の最後の拠り所。個人の尊厳を踏み躙るイデオロギーとは徹底的に闘わなければならない。
「愛国心」が「ならず者の最後の拠り所」で「個人の尊厳を踏み躙るイデオロギー」だったとは、まさに驚愕です。
2013年12月27日
靖国問題はまず日本国民の問題だ。国民を戦争へと駆り立てる装置だった靖国神社は、戦後真っ先に廃止すべきだったのだ。神殿を解体し鳥居を外し、「九段公園」とでも名付けてお花見の名所にすればよかったのだ。
「靖国問題はまず日本国民の問題だ」は正しい。けれど「国民を戦争へと駆り立てる装置だった」は「個人の感想」に過ぎません。
したがって、それを前提とした結論も「個人の感想」に過ぎません。
2017年4月7日
教育勅語は、天皇家をご本家とする家族国家の観念に立っている。家父長制家族制度とも一体のものだ。忠と孝とで国民を家族国家に縛り付ける道徳だ。それを「我が国体の精華」などと言っているのだ。そんな虚構を信じ込ませる教育など、「教育」の名に値しない。
「家族国家の観念」「家父長制家族制度」・・・「家族は親の敵でござる」とでも言いそうな勢いですが、余程「家族」に恵まれなかったのね、と思ってしまいます。
●お金と時間は有意義に使いましょう
とまあ、そんなわけで「読みどころ」の多い書籍ではありました。
そうは言っても、身銭を切るのはもったいないので、図書館で借りました。
最後に目次を。
時間がもったいない、という方は、これだけで読んだ気になるのもOKだと思います。
目次
はじめに~個人の尊厳、国民主権
公務員としての匿名性/尊厳のある個人として/主権者である国民として/文部省・文部科学省での38年/面従腹背しながら進む
第1章 文部官僚としての葛藤
組織への違和感
青臭い議論を交わした二人の先輩/職務命令で「建国記念の日」式典に潜入/部下は家来ではない/「お役所言葉」への違和感
陳情から学んだこと、大学教員として考えたこと
陳情から学んだ現場感覚/学問の世界を謳歌した大学教員の経験
動かない組織の中で
中学校入学資格/教育上の例外阻止/中高一貫教育/国際バカロレア課程/高校専攻科からの大学編入学
やりたくなかったユネスコ憲章改正
ユネスコの「政治化」/「個人」から「国」へ、執行委員会の改革
第2章 面従腹背の教育行政
教員免許更新制
教員の適格性を審査できるのか/10年経験者研修制度の導入/教員免許更新制の落とし穴/研修の本来のあり方
教育課程行政
「ゆとり」と「脱ゆとり」/義務づけられた国旗・国家の指導/公立学校は締め付け、私立学校は野放し/拒否は子どもの権利である/全国学力テスト
八重山教科書問題
二転三転して経緯/「是正」すべき「違法状態」は存在しなかった/共同採択地区の縛りをなくす
第3章 教育は誰のものか
政治と教育
「不当な支配」とされた政治家の行為/文科省が名古屋市教委に質問状を送付/子どもの学習内容は誰が決めるのか/学問によってのみ真理・真実に到達できる/政治介入を防ぐ審議会の役割/審議会の形骸化
臨教審のパラドックスと教育基本法改正
中曽根首相と臨時教育審議会/個人か国家か/「個」と「公」の再構築/教育改革国民会議の報告から教育基本法改正へ/ストッパーとして公明党/改正教育基本法の成立
道徳の「教科化」
2018年4月から小学校で「道徳科」が本格実施
安倍内閣が教育勅語の「復権」を閣議決定
「考え、議論する道徳」を実現するために
第4章 特別座談会 加計学園問題の全貌を激白
前川喜平(前文部科学事務次官)
寺脇研(京都造形大学教授)
倉重篤郎(毎日新聞専門編集委員)
おわりに~面従腹背から眼横鼻直へ
面従は一切なし Twitterなら何でも言える
ほぼ独り言の「腹背発言集」
前川氏の[X]アカウントは、退官後、裏ではなく表になったわけですが・・・
こちら、そこそこ世を騒がせたポストのようです。いろんな意味で。
はてさて、その後、前川氏が「毎日交番の前で」「白い紙の表と裏に赤い丸を書いて、破って」いるなんて話は聞きませんが・・・
「眼横鼻直」ではあっても「有言実行」とは行かないようです。
こんなのもありました。
あれま、です。
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何だろう、ペナルティを恐れてか、文末にボカシ表現連発なのですが・・・
だとしても、それなりに手続を経てその任に就いている一国の首相に対して「駆除すべき害獣」ですか、ですよ。
いや、もう、
ずっと「面従腹背」していたにしてもですよ。
何でこんな人物が事務次官にまでなれたのか。
文部科学省の人事ってのは、一体どうなっているんでしょう。









