その継承について、時分の人気や世論調査など言うに及ばず、日の浅い成文法や今日的価値で語るものではありません。海外との比較も意味を為さず、参照すべきものの優先順位筆頭は、あくまでも「前例」です。

 

 

 

しきしまの大和の国は 言霊の幸(さき)わう国ぞ ま幸(さき)くありこそ

 

解説は要らないでしょう。柿本人麻呂ですね。

 

 

●言霊の幸わう国

 

というわけで、ワタクシ的に素敵本の紹介。

 

 

 

歴代の天皇は何を思われ、何を祈られてきたのか ――。
皇室と日本を知るための必読書

 

むらぎもの心のうちに思うこと
いひおほせたる時ぞうれしき
(心の内に思うことを一首の歌に
正しく表現できた時の何とうれしいことか)

明治天皇

古来、人々は和歌を通して
心を通わせてきました。

和歌にはその人の一瞬一瞬の
心の機微が収められており、
何千年、何百年前に読まれた御製を通して、
天皇の大御心にも触れることができます。
 
本書では、神武天皇から上皇陛下まで
九十五方・約二七〇首を、
御事績や詠まれた情景なども含めた
解説とともに紹介。

国民文化研究会の総力を結集し、
六年半もの歳月をかけ推敲されただけあって、
その内容は実に味わい深く、趣があります。

歴代天皇の詠まれた御製を年代順に辿ることで、
二千六百年余の歴史を貫く日本の息吹を
自然と体感できることでしょう。

折々の御製に込められたその祈りは、
日本の躍進、先の戦争、大災害など、
我が国が歩んできた道をまざまざと映し出します。
 
日本とはどんな国なのか、
何が日本を日本たらしめているのか――。

日本と皇室を知るための必読書として、
綿々と紡がれてきた日本の心を、
本書から一人でも多くの方に
感じていただければと願います。

全三百頁に及ぶ歴史的著作です。

 

 

 

歴代の天皇、皇族方が歌を詠まれる。

 

それがきちんと今に伝わっている。

 

そのうえ、「歌会始」は一般国民を交え今なお続いている。

 

 

我が国は、そういう国です。

 

 

●5代4人目の「女性天皇」

 

さて、こちら元明天皇の御製です。

 

ますらをの鞆の音すなり物部の大臣盾立つらしも

りりしい勇者の鞆(とも)の音がする。物部の大臣が盾を立てて武術の鍛錬を始めたのでしょうか。

 

 

 

万葉集にある歌ですが、『歴代天皇の御製集』の解説を引用します。

 

   元明天皇は、第38代・天智天皇の第4皇女。皇太子草壁皇子の妃で、文武・元正両天皇の母君。文武先帝の大宝律令(701)体制を引き継がれて、慶雲4年(707)7月にご即位、翌和銅元年11月には大嘗祭を斎行なさった。

 

   皇后でなかった女性が天皇になることは前例が無いことなので、天照大御神による天皇認証の祭儀・大嘗祭で御神意を得られるか否かが、天皇には大きな不安となっていられたにちがいない。この御製に和して、ご不安の天皇を励ます御名部皇女(元明天皇の同母姉)の次の一首が万葉集に添えてある。

 

 

そうなんだ、ですね。前例が無いというのは、やはり重大なことだったのでしょう。

 

で、励ます同母姉の御歌がこちらです。

 

吾が大君ものな思ほし皇神の継ぎて賜へる我なけなくに

わが大君。ご心配めさるな。皇祖神の天照大御神が大君に続いて与え賜うたこの私がいないわけではありませんのに。

 

 

 

なるほど、なるほど。

 

もう少し解説を引用しましょう。

 

   〜〜〜天皇は、大嘗祭の前日に、大嘗宮で習礼(予行演習)を行われた。その直後に大嘗宮内に「鞆の音」が繰り返し響き渡った。物部一族の長・左大臣の統率のもと、柴垣の外に並ぶ数十名の者達による祓い清めの「弦打ち」である。天皇はその「鞆の音」にいよいよ緊張を感じられたのであろう。御製からは皇統を継ぐことの厳粛さが、御名部皇女の歌からは臣下として妹天皇を支えようとする姉の強い意志が伝わってくる。

 

「皇統を継ぐことの厳粛さ」「臣下として支えようとする強い意志」・・・う〜む、です。

 

 

念の為、断っておきますが、前皇太子妃とはいえ父方は天皇の血筋であり「男系」です。そこのところの「前例」は普通に(!)踏襲されています。

 

後には、即位前の身分が、皇太子だったり内親王だったりする女性天皇もおられますが、やはり男系という一線は当たり前のように(!)守られています。

 


 

●10代8人目の女性天皇

 

後桜町天皇、今のところ、最後の女性天皇です。

 

皇后でも、皇太子妃でもなかったのですが、それでもやはり、男系であることに変わりはありません。

 

 

では『歴代天皇の御製集』の解説と御製を。

 

   後桜町天皇は、第115代・桜町天皇の第2皇女。弟君の桃園天皇が22歳の若さで急逝され、皇長子英仁親王がまだ5歳であったため、中継ぎの役割を担われて23歳で踐祚された。英仁親王のご成長を待って31歳で譲位されたが、即位された後桃園天皇は、父君と同じ22歳で崩御され、次に即位された光格天皇もまだ9歳であられた。後桜町天皇は、譲位後もなお上皇として、このお2人のお若い天皇の後見役を長きにわたってみごとに務められた。

 

 

まず「述懐(明和6年-1769-御年30歳)」から。

 

おろかなる心ながらに國民のなほやすかれとおもふあけくれ

愚かなわが心であるが、その心なりにまことをつくして国民がさらに安らかであってほしいと願う毎日であることよ。

 

  「おろかなる心ながら」という深いご自省のお言葉から、後桜町天皇の謙虚なお人柄と国民を深く思われる真心とを窺い知ることができる。

 

屋上屋を重ねる必要はありませんね。

 

 

次に「朝(享和2年-1802-御年63歳-、聖廟御法楽)」から。

 

朝な朝な心のかがみみがきそへて祈るまことは神や知るらむ

朝ごとに心の鏡をさらに磨いて祈るまことの心を、かならずや神は知ってくださるであろう。

 

   毎朝、心の鏡を磨かれる後桜町上皇のご努力は、1首目の「おろかなる心」のご自覚と深くつながっている。心の鏡にかかる曇りやにごりを少しでも無くそうと努められ、民のために祈られるお姿はまことに尊く、有り難い。皇祖天照大御神の「宝鏡奉祭の御神勅」(「皇孫よ。この八咫鏡を見る時はまさに私を見るようにしなさい。この鏡を私だと思って近くに祀りなさい」という教え。『日本書紀』所蔵)がお心におありだったのであろう。

 

歴史の中に神話が生きている。凄いことです。

 

 

●女性天皇はいたけれど・・・

 

「男系・男子」は明治に決まったこと、なんて腐す人がいますが、間違ってますね。

 

「男子」についてはそこで明文化されたことだとして。

 

「男系」は、神武天皇から。多少譲って、少なくとも継体天皇から、ずっと維持されてます。それが当たり前のこととして(!)、明文化するまでもなく(!)「決まっていた」からに他なりません。

 

 

何とかして「女系」(女性ではなく!)を認めさせようとする人達は、他にも種々諸々姑息なロジックを多用してくるので⎯⎯それが真に皇室の弥栄を願ってのことなのか、あるいは、秘かに皇統断絶を狙う深謀遠慮なのかは知りませんが⎯⎯うっかり乗せられないようにしませう。

 

前例を踏襲する余地がまだあるのに「前例がないなら作ればいい」なんて言い出すのは、つまり革命の思想ですよ。そんなのは保守じゃありませんからね。

 

 

歴代の女性天皇 : 

過去の10代8人はいずれも 父方に天皇の血筋を引く“男系”

 

 

 

 

●女系は天皇になれません!

 

マスメディアの報道は、持ち上げる時はひたすら持ち上げ、潮目が変わると、今度はどこまでもこき下ろす、というのが常です。

 

今は「愛子天皇」を願う声ばかりを大きく扱ってますが、実際そうなった日には、何を言い出すか分かったものじゃありません。

 

実際、美智子様も雅子様も、秋篠宮家も、ある時は上げ、またある時は下げてきました。

 

その度に、皇室と国民との間の「紐帯」が、どれほど傷つけられてきたか。

 

しばしば指摘されるように、メディア界隈の片隅には、あるいは中心には、愛国者のフリをして人心を惑わす者や、保守の仕草で皇統断絶を企む輩が潜んでいるのです。

 

 

報道とは言っても、つまりは人の噂に過ぎません。

 

そんなもので、誰かを愛したり愛さなかったり。

 

人は、少なくともワタクシは、

 

そんなものを、愛とは呼びませぬ。

 

 

🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥

 

 

過去記事です。長いです。お時間あれば。

 

 

ワタクシにとって、皇室は開かれてなくても一向に構わない。

 

普段は、机の引き出しの奥の方に仕舞っておいて、何かちょっと困った時に、そっと取り出して眺めて触って、自分の“帰るべき場所”を示してくれれば、それで良い。

 

あるいは、それこそ、年の初めと春秋の祭りでお参りする神社の如く在っていただければ、それも良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世論調査にしても、大抵は世論誘導の道具。

 

ちょっと前になりますが、何だろね、な記事です。

 

 

(中日新聞5/2-2面)

 

 

危機感を煽って前例のないことをやらせちゃう、の応用でしょうか。

 

 

〈皇族以外の男性と結婚して生まれた子が皇位を継ぐ「女系天皇」は「賛成」「どちらかといえば賛成」が計84%だった〉

 

とありますが、実際の「問」はこうです。

 

問10 女性天皇を認めた場合、あなたは女性天皇が皇族以外の男性と結婚して生まれた子が皇位を継ぐ「女系天皇」を認めることに賛成ですか、反対ですか。

 

「女性天皇を認めた場合」で誘導してるじゃないですか。しかも3つ前の質問で女性天皇を認めるかと、いかにも単純な聞き方してますし。

 

問7 あなたは、女性皇族も皇位を継ぐ「女性天皇」を認めることに賛成ですか。反対ですか。

 

うん、そりゃ認めちゃうでしょ。ワタクシだって認めます。(今の)女性皇族は男系ですからね。

 

 

〈戦後間もなく皇室を離れた旧宮家の男性子孫を皇族にし「男系・男子」の天皇を維持する考えには、計74%が「反対」「どちらかといえば反対」とした〉

 

とある方について実際の「問」は、

 

問11 戦後の1947年に皇族を離れた旧宮家の男性子孫を皇族にし、「男系・男子」の天皇を維持する考えがあります。あなたはこの考えに賛成ですか、反対ですか。

 

「考えがあります」って、おい、聞き方。

 

だったら女性天皇を認めるの方も「考えがある」、「この考えに」賛成・反対で聞きなさいよ、です。

 

 

ついでに指摘しておくと、問11で反対した人に理由を聞くと「旧宮家が皇室を離れて70年以上経過し、その子孫が皇室に入るのは違和感があるから」が31%、「女性皇族が天皇に即位できるようにすればよいから」が60%、となってます。

 

したら、もともと旧宮家でも何でもない男性が(女性皇族と結婚して)皇室に入るのは良いんですか? 天皇の父となっても違和感を感じないんですか? 眞子さまの夫となった一民間人について、あれほど批判してたのに?

 

そこら辺を思うと、女系を認めよう(女性皇族と結婚した男性、もしくはその子供を皇族として皇統を維持しよう)という人達が、旧宮家を皇族復帰させることに関しては言を弄し頑なに反対するというのは・・・もうどうにも解せません。