それが「消費財」である限りにおいて、めっちゃ美しかったり醜かったり、ものすごく正しかったり邪だったり、とにかく耳目を集めなければ「お話」にならない。
逆に言えば、それを「消費者」が読む、視る、クリックするうちは、いつまでだって同じ「物語」⎯⎯“ナラティブ”が、ちょっとした脚色を加えつつ店頭に列び続ける。
そういうものだと諦めたうえで、上手にお付き合いしていく他ないのかも・・・
うっかり鼻で笑ってしまったニュース。
●白河の清きに魚もすみかねて もとのにごりの田沼恋しき
愛知県水産試験場によると、アサリが激減した理由は、「海がきれいになりすぎた」ことだといいます。
これまで、国や県などは、海をきれいにするため、海に流す排水の「窒素」や「リン」の量を規制してきました。
しかし、その影響でアサリなどの餌となる植物プランクトンが減り過ぎてしまったことで、アサリの数も減ってしまっていると話します。
そこで愛知県は減ってしまったアサリを増やすためある実証実験を進めています。
下水処理場の「矢作川浄化センター」では、実験的に「窒素」と「リン」の量を規制値の上限まで緩和し、エサとなる植物プランクトンが増えるよう放流しています。
何と言いましょうか、大いなる自然を前に、所詮、人間のやることなんて、どこまで行っても「浅知恵」だねと。
でもって、100人中94人くらいが「普通の病気って何よ」と思ったニュース。
●過ぎたるは猶及ばざるが如し
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(73)は2日、共同通信のインタビューに応じ、感染症法上の位置付けの5類移行に「社会を動かす時期に来ているとの考えには賛成だ」と理解を示す一方、高い感染力があることから「まだ完全に普通の病気にはなっていない」と指摘した。今後の感染症対策に生かすため、政府対応を徹底的に検証する必要性も強調した。
えっと・・・「政府対応を徹底的に検証する必要性」がある、というのは、至極ごもっともで。
ただ、そうおっしゃるのであれば、是非ともそこに、尾身さんご自身の発言を含めてくださいな、と思います。
それこそ「5類になったからといって感染者がすぐにゼロになることはない」といった類のやつね。
「専門家の取りまとめ役」として最大限の危機感を持つのは、まあ、良いでしょう。
けれど、それで、じゃあ自分(達)の責任においてやるべきことを精一杯やってくれたのかと振り返れば、そうではなく。
むしろ、達成できるはずもない「完全」とか「ゼロ」とかを持ち出し、現実がそうでないからと不安を煽り、自身は責任をとる必要のない「お願い」「お奨め」という体で、各種感染防止対策を強要・強制をしてきたのではなかったか、と言わずにいられません。
まあ、でも、この際、人のことは良いんで。
●3日、3ヶ月、3年・・・
さて、5月8日をもって、新型コロナウイルス感染症は、季節性インフルエンザと同じ、いわゆる5類扱いとなります。
それだって、病原体そのものとして、まだ買いかぶり過ぎだと思うんだけど。
ともかく、自粛も、新しい生活様式も、もう終わりにしても良いんですよね?
もちろんね「まだゼロになってない、終わってない」という言い方もできるし、「気を緩めると第2波につながる」なんて脅す人は絶えないですし、そういう話を「不安」に思う人もいるでしょう。
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「アフターコロナ」とか「with corona」とか言って、何か新しいことを始めなければいけないかのような空気がありますが、そんな必要は全くありません。
ウイルスはずっと昔から在るんです。
感染しないよう努力するのは当然としても、それで誰かが不幸になるんじゃ意味がない。感染予防は、楽しい日々、幸せな歳月を生きるための手段でしかなく、その範囲内でこそ意味があります。
武漢ウイルスも、従来型コロナウイルスや季節性インフルエンザ同様、ありふれたウイルスです。
なので、それらと同じ程度に警戒すれば良いのです。
各人感染予防に努めましょう。それで感染したなら仕方ないじゃないですか。
お年寄りや、体の弱い人、そのご家族、医療・福祉関係の方々には特に気をつけてもらわなきゃですが、その他は、もう従来の生活様式で良いんです。
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もちろん、そうは言っても「不安」だから、3密避けたい、新しい生活様式で頑張るっていう人がいたって構いません。そういうことで「安心」するなら、それはそれで幸せなことです。
ただ、少なくとも、新しい生活様式に従わないこと(マスク着けないこと)くらいで他人を叱るのは間違ってる、かもしれない、と考えるくらいの冷静さは保ってほしいなと思います。
安心基準は人によって違うんですから。
さあもう、「こんなん、意味ないだろ」と少しでも疑問に思っているアナタ、街へ出かけましょう、ついでにマスク外しましょう。
「空気」を変えられるのは「空気を読まない」人だけ。
「世間」を変えられるのは「世間知らず」だけ。
大丈夫、10人に1人、というところまで頑張れば、流れは変わります。
あれ? と気付いた方、素晴らしいです。
そう「第2波」ではなく「第9波」のはずですね。「新しい生活様式」は微妙に死語っぽいし。
実はこれ、3年近く前、2020年の6月段階で書いたものなんです。
だから、どうしたってことでもないんですが、色々と失われたモノは、あまりにも多いなあと。
この3年間を思えば・・・
感染症診断ツールとしてPCR技術を使ったこと。
発症者ベースではなく検査陽性者ベースで人数を数えたこと。
「最新」論文の摘み食いが横行したこと。
半端なデータをもとに、マスク着用、ワクチン接種、各種行動制限、その他諸々の感染防止策が、責任者不在のまま、なし崩し的に「強制」されたこと。
何より、今もって、それらが「概ね正しかった」とされていること。
故に、未だに、異なる見解、別の事実、不都合な指摘等が、誤った医療情報、デマ、フェイク、陰謀論として「表通り(新聞・TV等、オールドマスメディア)」から締め出されていること。
・・・などなど、オカシナこと、腹立たしいこと、山積です。
ほぼ3年間、メディアがずっと「コロナ怖い」を続けてきた反作用で、ワタクシも「コロナは特別じゃない」を書いてきたなあと。
ついでに「そろそろ終わり」とか「もう卒業」とかも、度々書いたなあと。
それはそれで感慨深いものもあったりして。
●「検証」は任せた(誰に、かは知らんけど)
そして、今思うに・・・
人間なんて、ちっぽけなもの。
全て(例えば細菌・ウイルスのこと)を知ろうと努力するのは大切。
けれど全て(たとえば免疫のしくみ)を知ることなんてできはしない。
中庸とか謙虚とか。
如水とか諦念とか。
いろんなこと、わきまえた生き方をしよう。
思わず欲しくくなる(見たい聞きたい)商品(情報)であればあるほど、しっかり吟味しなければならない。
それができていれば、この「禍」は初めから無かっただろうし、あるいはせめて、もっと早く終わっていた。
・・・のではないでしょうか。
こちら、第121回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード(令和5年4月19日)にあった資料です。
〈「新型コロナウイルス感染症のこれまでの疫学と今 後想定される伝播動態」に関連する図〉の一部なんですが、つまり「コロナは普通の病気じゃない」「第9波はもっと怖いかも」ということを示すためのモノ、のようです。
資料3-7-② 押谷先生・鈴木先生・西浦先生・脇田先生提出資料
でも、ワタクシなんぞは、マスクして行動制限してワクチン打って、それでも感染者数・死亡者数ともに増えてるってのは、つまり、それもこれも効果なしの証拠じゃないの、って思う。
一方で、この数字は、ほぼPCR検査に依存しているわけで。だから、検査母数が増えただけでしょ、という捉え方もできてしまう。
新型コロナ騒動の何がいけないって、とにかく、一定条件のもとでの一貫したデータが無さ過ぎるってことです。
「コロナ怖い」「マスク・ワクチン効果あり」という方向性が先に決まっていて、それに都合の良い数字ばかりが報道され、時には作為的な、いっそ捏造と言っても良いグラフだって出回りました。
逆に、その方向に反する数字が出始めると、データ収集をやめるか、少なくとも公表をやめてしまうとかもあったり。
つまるところ、皆がそれぞれに、情報リテラシーを身につけるしかありませんね。当たり前の話なのですけれども。
5月8日以降、PCR検査・抗原検査が有料になることで感染者数は多少増えるとしても小幅に留まるでしょう。それでも、コロナ騒動が続いた方がトクな(スポンサーに阿り、あるいは利権に群がる)人々は「いや、水面下で感染者は増えている」とか「コロナによる死亡者は見えなくなっているだけ」とか、いっそ「まだまだ無症状の後遺症がある人もいる」とか言うんだろうなあ。
ってことで。
新型コロナ騒動、新型コロナ[対策]禍の「後始末」「検証」は任せたよ。
「誰に?」とか「何故、キミがそれを言う?」とかのツッコミは無しね。
ゴールデン・ウィーク。人出自体は、かなり戻ったかな。
豊橋近辺では、屋外なら、そうね1/4から1/3くらいはノーマスクでしょうか。屋内では、まだちょっと、多く見ても1/10凸凹くらい?
ま、人のことですし(大人に関しては)どうでも良いですけどね。
こちら、ふらふらと訪れた東三河ふるさと公園の睡蓮。
花言葉は「清純な心」「信頼」「信仰」だそうです。加えて「滅亡」というのもあったりして。
意味深です。いろんな意味で。