「そっとしておく」と「ほっておく」は違います。庶民には庶民に必要な姿勢というものがあり、政治には政治の役割というものがあるのです。

 

 

 

前回、理解増進であれ、差別禁止であれ、いきなり法律でどうこうする話ではないでしょう、というようなことを書きました。

 

 

 

市井の一国民としては、当事者や当事者家族に関して、基本「そっとしておく」のが良いのでは? というのがワタクシの考えです。

 

もちろん、それは政治として「放っておく」ということと同じではありません。

 

 

そんなわけで、前回、チラと紹介したこちら本からの引用で、そこら辺のところを補足しておこうかと思います。

 

 

 

 

首相秘書官の「差別的発言」(オフレコ破り)によって、俄に注目されているLGBT関連法案ですが・・・

 

松浦さんは、こんな指摘をしています。

 

   〜〜〜テレビは万人にわかりやすく伝えなければなりません。だからどうしても弱者テンプレ報道になってしまいがちなのです。感動ポルノに陥らないためにはどうすればよいか。これからのメディアの課題だと思います。(P.50)

 

正直、メディアの人間に何を言ってもね、と思いますが、とりあえず、報道の受け手として、殊にセンセーショナルなものは賢く受け流すようにしないと、色々流され踊らされる、ということだけは確かです。

 

 

   国会議員やLGBT活動家は政治的動員のためにLGBTの怒りを利用します。政治とはそういうもので、それをやめさせることは難しい。でも私たちは、アジテーションに惑わされないために鳥瞰的視点で物事を見る訓練をすることはできます。「ひょっとしたら、私たちの怒りは搾取されているのではないか」とワンクッションおいて考える癖をつけたいものです。(P.95)

 

 

松浦さんご自身含め、LGBT当事者や当事者家族に対する警告でしょうか。

 

 

けれど、特定の人達の激しい怒りによって、一般国民が、本当は、ほぼ関係ないのにめっちゃ関係あるかのように錯覚してしまう、ということも、まま、ありまして。

 

実際、そういったことが過去、幾度もありました。

 

その度に、無駄だったり、あるいは、むしろ有害だったりといった碌でもない法律がつくられたりしてきましたからね。

 

 

そんなわけで、当事者ならではの指摘が多い、かといって、当事者でなければ分からないだろうという傲慢なところはほとんどない、良い本だと思います。

 

なので、他にもたくさん読みどころがあります。

 

が、あと一箇所だけ。同性婚とパートナーシップ制度について、です。

 

   右派の立場から同性パートナーシップ制度に理解を示すのが、文芸評論家の小川榮太郎氏と埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏です。二人は同性婚には一貫して反対をしています。結婚は単なる社会保障ではない。同性結婚はタブー以前に、観念すら近年まで生じなかった。社会的承認の是非については長い時間をかけるべきというのがその理由です。しかし、もう少し突っ込んで話を聞いてみると、同性パートナーシップ制度については頭から否定することをしないのです。  
 
 小川氏は同性愛者について「割合からすれば、日本で少なくとも数百万人いるわけですから、これほど多くの人が制度的にまったく位置づけられなくてもかまわないというのは保守ではありません。今後、十分検討していく必要があると思います」と私との対談で答えています。  

 長谷川氏は同性愛者に特化した渋谷区の同性パートナーシップ条例について産経新聞に聞かれ、これには反対との答え。しかし記者から「渋谷区の条例案の背景には、同性カップルがパートナーの入居や病院での面会を断られることがある」と言われると「これは今回の問題とは切り離して考えるべき問題。むしろもっと一般的な形で、身寄りのない友人同士が同居して暮らしている場合、家族に準じた扱いを可能にするといったことも必要かと思う」とフランスのPACS的な政策なら賛成であることを明かしました。(P.99~100)

 

 

同性婚とパートナーシップと、いずれを取るかはともかくとして・・・

 

 

ここはね、確かに制度として、つまり法律でもって、彼ら彼女ら(と、その他の人ら)の「立ち位置」を定めないといけないのだろうと、ワタクシも思います。

 

それは政治にしかできないことで、かつ、それこそが「政治の役割」ですから。

 

国民の、その場限りの怒りを利用するのではなく、あくまでも、当事者と当事者家族の、日々の暮らしを守るために、です。

 

 

サミットまでなんて制限時間を設定すると間違えます。

 

リベラル案件ではなく、むしろ保守の課題として、じっくりと取り組まなければならない問題だと思います。

 

 

では、最後に目次を。

 

 

第1章 『新潮45』騒動とは何だったのか
 

1‐1 寄稿した当事者の立場から語る『新潮45』騒動の実態
 リベラル派のダブルスタンダード
 私が「対話」にこだわる理由
1‐2 「LGBT=リベラル」という認識は誤り?
 寄稿までの経緯
 小川榮太郎氏との対話
1‐3 LGBT活動家による「正義の独占」問題
 異論を許さぬ対立型左派ポピュリズムの限界
 マスコミ主導の「LGBT物語」も共同幻想
 ゆっくり変えていくことが必要
 恫喝で人の心を動かすことはできないと知るべき


 

第2章 LGBT活動家の言葉は、常に正しいのか
 

2‐1 左に傾きすぎたLGBT運動を中道に戻したい
 不都合な真実
 もっと不都合な真実
2‐2 同性婚についての考察
 解釈改憲での同性婚は弥縫策にすぎない
 フランスの場合
 アメリカの場合
2‐2 アメリカの保守派は同性婚についてどう考えているか
 動物婚、多重婚等との線引きの難しさ
 LGBTは弱者なのかという問題提起
 同性パートナーシップ制度の可能性
 リバタリアンが推奨する結婚民営化
【補足】札幌地裁「同性婚訴訟」判決
2‐3 苛烈するトランスジェンダーVSフェミニズムの戦い
 トランスジェンダーは包括的概念
 トランス女性の女性トイレ、女性更衣室、女湯等使用
 トランス女性の女子競技出場
 排除された元プロテニスプレイヤー、ナブラチロワ氏
 トランスジェンダーはフェミニストよりさらに遅れてきた近代主義者
 いつだって女子が私を助けてくれた


 

第3章 LGBTをめぐる報道と現実の落差
 

3‐1 LGBT運動とアンティファ
 アンティファ思想に染まったLGBT活動家
3‐2 当事者からも疑問の声が上がったアウティング禁止条例
 ノンケはカミングアウトの実態がイメージできていない
3‐3 LGBTは、本当に不幸なの? ~LGBTにあこがれる若者の増加~
 電通ダイバーシティ・ラボのデータの恣意性
 若者の間ではLGBTであることはアドバンテージ
3‐4 LGBT差別解消法案の孕む危うさ
 何が〝差別〟なのかあいまい
 政治利用される恐れがある
3‐5 LGBTは「被害感情」でしか連帯できない?
 LGBT活動家、左派学者、左派メディアによる利益共同体
3‐6 論争「岸和田だんじり祭りはLGBT差別か」
 尾辻かな子議員に全国から批判の矢
 自民党案のほうが問題意識が上
【補足】LGBT理解増進法のその後


 

第4章 保守の立場から説く、新しいLGBT論
 

4‐1 アメリカ国務省主催、第1回LGBT研修生として私が学んだこと
 IVLPという人物交流プログラム
4‐2 国家を強くするLGBTの存在
 キング牧師のいた国で
 さまざまなマイノリティとの出会い
4‐3 家族の解体ではなく、家族こそが大事~『キンキー・ブーツ』が語りかけるもの~
 左翼運動の変形としてのLGBT運動では社会変革はできない
 極端から極端へスウィングする国


 

第5章 日本が持つアドバンテージを活かす
 

5‐1 少年愛者を切り捨てた国際レズビアン・ゲイ協会
 少年愛者は「性的嗜好」だと手にひら返ししたLGBT
5‐2 「保守と革新」の対立を乗り越えるためのヒントは日本にあり
 アニミズムの伝統
 もともと男女の境界を自由に行き来していた日本の風俗
5‐3 表現規制とLGBT~映画『ミッドナイト・スワン』はトランス差別?~
 体の自由が心の自由へとつながる
 政治運動の延長として作られたわけではない映画が伝える凄み
 「同性愛は高尚で性欲の問題ではない」は誤魔化し
5‐4 慶應大生のXジェンダーがミスターコンにエントリー
 「単なる線引きのやり直し」ではいけない
 正しさを叫んでいるだけではまっとうな社会はやって来ない
 対話の糸口を見つけ出せ


 

第6章 LGBTに対する理解を深めるために
 

6‐1 LGBTが故郷を去る理由
 固定化されやすいスクールカースト
 「ゲイバレ」を恐れる秋田のゲイ
6‐2 国権論としてのLGBT
 リベラル派が非難する「ピンクウォッシュ」とは
6‐3 LGBT天皇が誕生する日
 同性婚について考えることは国家の鋳型について考えること
6‐4 日本で初めてのLGBT法成立なるか!?
 何をもって差別とするのか
6‐5 「フェアな社会」の実現に向けて
 いまだにLGBTをEテレの福祉枠で取りあげるNHK
 LGBT政策を前進させてきたのは野党ではなく自民党

あとがき LGBTの歴史の1ページとして残したい記憶~国会議員とゲイ~

 

 

 

 

 

 

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人それぞれで向き合うべき理解への意志とか差別意識とか、そういうところに立ち入るのは政治・行政の仕事ではありません。

 

そこはおそらく、文学の仕事。

 

新聞、テレビの報道で「分かったつもり」になるよりは、そっち方面から「ちょっと触れる」くらいの方が良いように、個人的には思います。

 

 

ということで、あくまでも独断と好みによる小説の紹介。

 

 

そうとは知らず手にとったもの。読みすすめるうち「そっちか」と戸惑ったりもしたのだけれど、いつの間にか、そういうこと抜きに「ふつう」に共感している自分がいました。

 

 

夫との関係に苦しむ泉はある日、電車のホームで思い悩む女子高生と知り合う。互いの悩みを相談するうち二人は惹かれ合い、共に暮らす決意をする──。新たな家族の形と幸せを問う感動長編。

 

 

 

 

テレビドラマや映画にもなったのでご存知の方も多いでしょう。まずは、ちゃんとエンターテインメントになっているので、その部分で楽しめると思います。

 

 

繋がれない僕らは、それでも、あたりまえの幸せを手に入れたい。

 

同性愛者であることを隠して日々を過ごす高校生・安藤純は、BL(ボーイズ・ラブ)好きの同級生・三浦紗枝の告白を受け入れ、付き合うことに。しかし、純には身体を許す既婚の中年男性のパートナーがいて……。純、紗枝を応援するクラスメイト、唯一純の苦悩を受け入れ共有してくれるネット上の友人「ミスター・ファーレンハイト」……周囲との軋轢の中、すれ違う二人が導き出した理想の関係とは? 決して交わることのない少年と少女が、壊れそうな関係を必死に守ろうとする姿を追う感動の青春群像劇。

 

 

 

 

上の続編。何か「いいのか、それで」というくらいにライトノベル風のベタな恋愛ドタバタ劇で笑ってしまいます。その分番外編はずっしりと重いです。

 

 

そして、わたしと彼は理想の居場所を見つけた――「カノホモ」待望の続編!

 

BL好き女子・三浦紗枝との偽りの恋愛を終わらせ、大阪に転校した同性愛者の少年・安藤純は、クラスメイトの前でゲイであることをいきなりカミングアウトした。自らもゲイである五十嵐明良は、そんな純に苛立ちを覚える。一方、BLを楽しめなくなったことに悩む紗枝は、以前から仲の良かった高岡亮平から告白されるも返事に逡巡し、いまだ純への想いを消化できていない自分に気づく。やがて紗枝は大阪へ向かい、二人は再会するが……。同性愛の少年と腐女子のその後の物語。ミスター・ファーレンハイトの壮絶な過去を描く番外編も収録。