後で責任追及されないよう、あくまでも「お願い」と「推奨」とでちょろまかし、下々の忖度と同調圧力を利用して「上手くやった」つもりの政府。そのツケが一気に来た、といったところでしょうか。
マスクの着脱について「個人の判断に委ねる」→「家庭に委ねる」→「決めてない」と来て・・・
●あげく、→「推奨しない」!?
で行こうなどと、なお責任回避に走るという・・・
ホント、面倒ばかり増やしてくれて、迷惑千万。
それこそ、学校現場の先生などは、どうしてくれようかと怒りに震えているのではないでしょうか。
ま、確かに、これまで「推奨」だったんだから、それを「推奨しない」へと変えるのは、方針転換のアナウンスとしては正しい・・・かもしれない。
でもね、とにかく、
理由を説明してください!
それが無理なら(実際、無理なのでしょう)、「いつでもどこでも」のマスク着用には、言うほどの予防効果はありませんでしたと、
潔く間違いを認めてちょうだい!!
それもこれも、コロナ怖い(儲かる)の世論に乗っかるばかりで、科学を顧みることがなかった政府の自業自得、自縄自縛ですわ。
顧みることがなかった、どころか、統計データに関しては、悪用による印象操作、捏造に近い手違い、不都合な結果が見え始めると公表しなくなる、といったことまでやってますからね。
●「手品」(呪い)のタネ
つまるところ、
「自分が無症状でも人を感染させてしまう」
「マスクの着用でそれを防ぐことができる」
という2つのエセ科学が、未だ多くの人に呪いをかけているのです。
端的に言いましょう。
前者は「嘘」です。
いえ、ホントは本当です。
ただ、新型コロナだけがそうだ、というのが嘘で、インフルエンザを始め、他の感染症でも普通にあることなのです。
重要なのは、それが「いつでもどこでも」起きることではなく、そういうこと「も」ある、くらいのものだということです。
後者も嘘です。
いえ、ホントは「ほぼ嘘」です。
確かに、マスクは飛沫を防ぎます。
でも、いえ、だから、無症状者が飛ばす飛沫に他者を感染・発症させるほどのウイルスが含まれているのであれば、飛沫感染について(だけ)は、一応防いでいることになります。
こちらで重要なのは、無症状でも大量のウイルスを出す、いわゆるスーパースプレッダーにしても、「いつでもどこでも」いるわけではない、ということです。
もう何回も書いてますけど、マスクに感染予防効果ありとして示される各種論文や富嶽の恐怖映像等が示すのは、
「50センチという距離で15分程度、咳を浴びせ続けた時、マスク着用と不着用との間で感染確率に有意差が出ますよ」
くらいのものです。
50センチと言えば、もうすぐチューする、あるいは、思いのほか近くで目が合ってびっくり頬を染めちゃう、くらいの距離ですからね。
そんな物凄い条件に当てはまるようなことが、実生活の中で、そうそうあるはずないでしょう。
こういう条件やら前提やらのついた論文は、いわゆる「ユニバーサル(いつでもどこでも)マスク」による予防効果のエビデンスにはなりません。
●「マスク着用のルール」なんて無理
(ホントは初めからでしょって言いたいところですが、オミクロン以降・・・)
新型コロナが、何を犠牲にしてでも防がなきゃならないほど危険なものでないこと。
「みんな」が「いつでもどこでも」な勢いでマスクを着用する意味も必要もないこと。
その2点を認めてください。
少なくとも、
新型コロナはとにかく怖い(怖くない)、
誰も「感染」してはならぬ(そうでもない)、
マスクの着用で「感染」は防げる(防げない)、
そこら辺、科学的根拠が薄弱、あるいは曖昧模糊としたまま、大多数が納得できる「ルール」なんて作れないんですよ。
コロナの「感染」をゼロにするのと同じくらい無理なことです。
・・・みたいなことを3ヶ月ほど前にも書きました。
が、今もなお「ルール」を求める人がけっこういて困ってしまいます。
自分(と「大切な人」?)の体のことなのに、
何故、人に決めてもらおうとするのでしょう?
ルールなら、怖くもないコロナのためにマスクを着けるのですか?
ルールなら、コロナが怖くてたまらないのにマスクを外すのですか?
将棋界での鼻出しマスクによる反則負けについて「ルールはルール」という人もかなりいます。
だったら、いわゆるブラック校則はどうなんですか。
ルールに従わない棋士が悪いと言っているその同じ人が、生まれ持った髪質や体質で辛い思いをし苦しむ人を慮って「そんなルールを決めた学校がおかしい」と憤っていたのではないですか。
というか、将棋連盟は「政府の方針・基準に則った対応をする」と言いながら、「マスク等の着用が困難な方に対する国民の皆様のご理解を」「本人の意に反してマスクの着脱を無理強いすることにならないよう」といった厚生労働省の「お願い」は無視しているわけで。
●ちゃんと「大人」をやろう
(ごく稀にいる警察気取りの人は別として)多くの「心優しい」人々は、無用のトラブルを避けるためにルールを欲しているのでしょう。
マスクを着ける着けないで揉めたくない。だから「ルール」がほしい。「ルールですよ」で軋轢・摩擦・衝突を防げるなら、多少の我慢は何でもない。
大多数の(マスクが気にならない)人にとって、その方がラクだから。
でも、決して少なくない(マスクは無理という)人が、辛い思いをしています。
あらゆる薬・サプリメント・健康法が、人によっては、またその量・組み合わせ・取り組み方によっては、毒にもなり健康を害することだってあります。
まずは、そういった個人差を認めることが「大人」の始まりです。
無症状でも感染することがある。
それは、そうかもしれない。
でも、伝染らないことのほうが断然多い。
マスクをしていれば伝染さない。
検査陽性ベースで言えば、そうかもしれない。
でも、感染ってしまうことだって少なくない。
外した時に感染った、では説明できないほどの「感染者」がいる。
マスクをしてないからといって、
大切な人を蔑ろにしているわけではなく、
他者への配慮が足りないわけでもない。
人に負担をかけないよう、ただ、自分に正直でいたいだけ。
たまに拗らせて死ぬ人がいても、
風邪を引くのは仕方がない、と大抵の人が考えてきた。
時々それがきっかけで死ぬひとがいても、
インフルエンザに罹ることだって、多くの人が観念してきた。
真に新型コロナだけは特別で、
本当に新型コロナだけは絶対ダメなのか。
発症ベースで言えば、
もともとほんの僅かな「感染」の可能性を、
さらに僅かに減らすために、
皆が皆、いつでもどこでもマスクを着用する必要があるのか。
親しい人となら、思うところを自分の言葉で話して折り合いをつければ良い。
そうでないなら無理をせず、お互い、静かに距離をとれば良いではないですか。
「大人」の人間関係って、そういうものでしょう。
そこら辺を、初手から自分で考え直して、
そして答えが出たら、思い切って行動しませう。
何であれ、自分で決めて、自分で責任を取るのが大人です。
大人がちゃんと大人をしないと、子供はしっかり子供時代を生きられません。
もう遅過ぎるなんてことはない。
まだ間に合う、大丈夫、取り戻せる。
と信じてます。
愛知県知事選挙投票日。
さて、どうしたもんでしょうかねぇ。
(1月21日中日新聞)
(1月22日中日新聞)
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