感染力が強く致死率も高い感染症が発生、危機に陥った人類はそれをマスク(防護服)とロックダウン(行動制限)で耐えワクチンで撃退する・・・

 

   偽物(フェイク)に騙されたいという人はいないが、騙された人の話を聞くのはだれもが好きなものだ。

 

 

・・・ということで、例によって隠者になりきれないくせに半隠遁、中途半端な逃避行の「本の森」です。

 

 

今回はこちら『ホンモノの偽物』

 

 

本当のことはいつだって、偽物が教えてくれる!?
 
ウォーホルなしでつくられたウォーホル作品は本物か?
高クオリティーすぎて、それ自体で価値のついた“オリジナル贋作絵画”とは?
バナナ味とバナナの違いが明らかにする味覚の真実とは?
いんちき化石を信じた18世紀の博物学者の顛末とは?
天然ダイヤモンドと人工ダイヤモンドはどちらが道徳的か?
ネイチャー・ドキュメンタリーは本当に“自然”なのか? and more…!
 
真贋のグレーゾーンを行き来する事物を通して浮かび上がる、歴史と文化の実相に迫ったノンフィクション!

 

 

 

冒頭引用は、その「序 ウォーホルのいないウォーホル」から。

 

 

実際、少なからぬ人が「あいつ、騙されてやんの」と他者をバ○にするのは大好きです。その一方、大抵の人は「騙された」「騙されていた」と認めるのが嫌いです。

 

 

さらに言えば、好き嫌いとは別に「騙された」と気付くのに、人それぞれ早い遅いがあるのも事実で。

 

何なら、どれだけ時間が経っても頑なに「騙されている」ことを認めない人までいたりして。

 

 

誤解されるといけないのですが、この本自体は、此度の「新型コロナウイルス感染症」の(いろんな意味での)「大流行」と直接関係ありません。

 

ありませんが、さて(老若男女問わずバタバタと人が死んでいくという意味で)「ホンモノ」のパンデミックだったのかと言うと・・・さて、どんなもんでしょう。

 

 

⚫ 「ホンモノ」と「偽物」の間

 

では「序」からの引用をもう少し。

 

   結局、この世界は表面だけではうまく分類できないものであふれている。本物であると同時に本物でない、中間的なものでいっぱいなのだ。これは「ホンモノの偽物」と呼ぶことができるだろう。わたしたちはそれを真正だと思うこともあるし、思わないこともある。それは物議を醸し、興味をかき立て、難問を突きつける。そしてそれはいたるところにある。

 

そうなのよ。

 

「どこからが“新型”でどこまでが“変異”なの?」とか「“ただの風邪”というそれ自体が定義不明なんだけど・・・」とか、考え出すとクラクラしてきます。

 

   この世界には「ホンモノの偽物」があふれているし、本物とそうでないものを分ける線がはっきりあるわけではない。「ホンモノの偽物」は真正性のグラデーション上にあり、そこからはさまざまな物議が新しく生まれてくる。偽造には、文化の現状を揺るがす不気味な力があり、物事がホンモノとされていく過程に一石を投じている。
 古代ローマの風刺家ペトロニウスはわたしたちにこう教えている。「世界は欺かれることを望んでいる。ならば欺かれるがよい」。美しい歴史の皮肉で、ペテロニウスがこの格言を実際に、厳密に述べたのかどうかははっきりしない。とはいえその心は生きている。

 

 

実際、ホンモノと偽物との境界は曖昧で、それを利用する人は後を絶たないわけで。

 

例えば・・・

 

 

PCR検査が「感染者」を発見するのは確かです。その意味で「ホンモノ」。

 

けれど「陽性者」が全て感染しているわけではなく、感染させるわけでもありません。その意味で「偽物」。

 

 

マスクが飛沫を防ぐのも確かです。その意味でこれも「ホンモノ」。

 

けれど、ほんのわずかでも「飛沫」が飛んだら感染するというわけではありません。その意味で常時着用が必要というのは「偽物」。

 

 

日本において「コロナ枠」が小さ過ぎ、簡単に満杯になるというのは本当。その意味で医療逼迫は「ホンモノ」。

 

けれど、コロナ枠を大きくするか、あるいは枠自体を取っ払うかすれば、(発症者ベースで季節性インフルエンザに遠く及ばない)コロナごときで医療逼迫なんて起きるはずもない。なので世に言うところの医療逼迫は「偽物」。

 

 

ロックダウンを始めとする各種行動制限が、感染を遅らせるということは一応ないでもない。そこは「ホンモノ」。

 

けれど、それで感染自体を防げるかと言えば、それは無理ですよ、というのが歴史上も経験上も事実。その意味で、二言目には緊急事態宣言を求める人は「偽物」。

 

 

ワクチンが発症・重症化を防ぐのは、えーと、まあ、そうかもしれません。その意味では「ホンモノ」。

 

けれど、そもそも重症化する可能性の低い人まで「大切な人を守る」ためとかいう(冷静に考えたらいささか気持ち悪い)理由をもって、打て打てなんて言う人は、たぶん「偽物」。

 

まして、世界各国の実情を見るに、オミくんにはほとんど効いてない、打ってても打ってなくても関係ない(むしろ悪い方向で関係してる)と思しき現行ワクチンを、それでもブースター接種しろなんて「偽物中の偽物」です。

 

 

・・・えーと、相当にクドいので、この辺で。

 

あ、あと本当の専門分野は別なのに、ウイルスや感染症について「専門家」として「個人の感想」レベルのことを垂れ流す人達も「ホンモノの偽物」と言えるでしょうか。

 

 

⚫ 「正しく恐れる」?

 

ワタクシ的に、新型コロナウイルスに関するアレヤコレヤは、種々諸々アンタッチャブルな「設定」に頼った「物語」であり「偽造」であろうと考えてます。

 

ジャンルとしてはSF(サイエンス・フィクション)?。

 

けれど、そう考えない人が一定数いるのは仕方ないし、そうですね、いっそ気持ちよく欺かれて、それで楽しめて幸せにもなれる、と仰るならそれも良いかなと。

 

 

ただ現状、例えばテレビ・新聞だけが情報源という人、どこまでも頭の固い人、ちょっぴり頭の不自由な人、自己都合でモノをいう人・・・は別として「コロナはもう良いんじゃない」という人も、確かに増えてきたと思います。

 

いわゆる「空気」に変化の兆しありです。

 

ワタクシの希望的観測というだけではなく、皆さんそれぞれ、周囲の方々の口の端に上る言葉も違ってきたのではないでしょうか。

 

 

この際、もともと「季節性インフル未満」だった新型コロナが、オミくんに至っていよいよ「ただの風邪」、しかも、優しい部類の風邪コロナになったと言い切っちゃっても大丈夫なんじゃないでしょうか。

 

それを否定する人の理論は、もはや「かもしれない」と「可能性はゼロではない」とで、ようやく支えられている状態だと思います。

 

 

でも、だから「感染」しても良いという話ではなく「予防対策」が全て無駄ということでもありません。

 

必要なのは、俗に言う(ホント「俗」だと思うんだけど)「正しく恐れる」というヤツです。

 

お年寄りや体の弱い人は「風邪を拗らせて」死んじゃうことだってありますから。

 

世界中「因果関係は評価できない」にも関わらず検査陽性をもって、何から何まで「新型コロナに感染・死亡」としています。つまり、それは検査能力・件数に依存したもので、つまるところ「数字の独り歩き」でしかありません。他に論じる術がないから仕方ないから使ってますけどね。

 

なので(個人でできる)うがい・手洗い・鼻うがい・換気くらいは、したら良いと思うし、ワタクシ自身やってます。

 

ただ、それを(社会的に)人様にまで強要しようとは思いません。

 

「他人がみんな感染源に見える」なら自分の方から(!)距離を取れば良いし、何なら自分が(!)出歩かなければ良いだけの話です。

 

 

メディアの報道でも、マスク常時着用の弊害とか、対象を選ばないワクチン接種への懐疑とか、海外の反ロックダウン・ワクチン強制デモとか、はっきりそれと分かるレベルで増えてきました。

 

良いことです。

 

 

⚫ 「正しく怒る」!

 

ところで、そういう報道に対しては「前から分かってたじゃん」とか「今さら?」「今頃?」とか「お前が言うな」みたいな批判が必ず出ますよね。

 

ええ、その気持ちは、非常〜〜〜に、よ〜〜〜く、分かりますよ。

 

でもね・・・

 

偽物を偽物だと指摘するだけじゃ足りません。

 

それだけじゃ何も変わらない。

 

今大切なのは・・・

 

マスクしたくない人がしなくても良くなること。

 

ワクチン打ちたくない人が打たなくてもよくなること。

 

・・・です。

 

「物事を改めるのに遅すぎることはない」ですから「言うことが変わった」くらいはは広い心で許してあげましょう、とワタクシ自身は思うようにしています。

 

 

許しちゃいけないのは、オミくんの弱さ自体はそれなりに認めつつ、それでも、取ってつけたように「マスク着けましょう」「ワクチン打ちましょう」で話を結ぶ人ですよ。

 

そういう人に対しては「(未だに)結論はソコかい💢」と怒って良いんです。

 

 

あるいは「慎重の上にも慎重を期す」という旗を自ら掲げ「しっかりやれ」と部下に指示しながら、批判が出るとあっさり前言撤回、「自分は知らなかった」と澄まし顔のトップです。

 

最初に厳しい対策をぶち上げておいて、不都合があるとあっちで取りやめこっちで骨抜き、臨機応変の「いい人」を装ってるわけで、現場・当事者は大迷惑ですよ。

 

結果、個々の対応は「聞く力」を発揮したもののように見えて、その実、政策全体を俯瞰すれば整合性がなく支離滅裂。

 

何で支持率が上がるのか、謎過ぎます。

 

事ここに至っても、なお、そんな結果になる(ように仕向けてる)世論調査を含め、ちゃんと怒らなきゃいけないと思います。

 

 

個々の事例や最新情報もさることながら、今、自分達の立ち位置を知り、置かれた文脈を考えて反応しましょう。

 

“風邪”であっても「正しく恐れる」のは当然として、いろんな人の“変化”については「正しく怒る」時なんです。

 

 

ということで、

 

「本の森」へ戻って、以下「結 大英博物館に見られるように」から。

 

   真正性は、これまで見てきたとおり、流動的で、ひとつのものが偽物とされたり本物とされたりを繰り返すこともある。その偽物がよいものか悪いものか、あるいはその「本物」が問題のあるものか否かを判断するには、ニュアンスに気づく細やかさと、そのモノの歴史的なコンテクストの理解が必要だ。モノそのものには倫理性はない。コンテクストがすべてである。また、モノの材質に目を向けるだけでは十分でない。そのまわりのストーリーと歴史に目を向ける必要があるのだ。

 

うんうん。

 

  「ホンモノの偽物」は、いかに、なぜ、どのような状況で、わたしたちは物事を真正だと受け入れられるのか、そして受け入れるべきなのかということを探る機会を与えてくれる。何かを真正だと決めつける前に、あるいは偽物だと否定する前に、そのモノの目的や意図、コンテクストと、わたしたちが何をホンモノとして受け入れるのかについて考えるべきだ。それが重要なのは、つまり、モノのステータスはつねに変化し、つねに進化しているからだ。
 ローマの哲学者ペテロニウスが言ったように、偽物は世界を欺くだろうが、だからといって、わたしたちの「ホンモノの偽物」に重要な文化的歴史や意味がないということはない。その真正性の物語はまだまだ広がり続けている。

 

「新型コロナウイルス感染症物語」の文化的歴史や意味は、遠い未来(できるだけ早く来てほしいんだけど)如何なるものとして振り返られるようになるのでしょうか。

 

 

では、最後に目次を。

 

 

【目次】
 

序 ウォーホルのいないウォーホル
 

第一章 厳粛なる嘲り
第二章 噓石の真実
第三章 炭素の複製(カーボンコピー)
第四章 異なる味わいの偽物
第五章 セイウチカメラを通して見ると
第六章 大いなるシロナガスクジラ
第七章 そしていま、それは本物だ
第八章 旧石器時代を生き返らせる技法

 

結 大英博物館に見られるように
 

謝辞
訳者あとがき
参考文献

 

 

 

🍥 🍥 🍥  🍥 🍥 🍥  🍥 🍥 🍥  🍥 🍥 🍥  🍥 🍥 🍥  🍥 🍥 🍥  🍥 🍥 🍥

 

先ごろ、安倍元首相が「2類を5類へ」と発言したことに対しても「今更?」という批判がけっこうありました。

 

安倍さん批判も、安倍さん嫌いも、別にかまわないんだけど、これに関してだけは、はっきり誤解です。

 

辞任会見(’20年8月)で安倍さんはこんなことをちゃんと言ってました。

 

 

新型コロナウイルス感染症については、感染症法上、結核やSARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)といった2類感染症以上の扱いをしてまいりました。これまでの知見を踏まえ、今後は政令改正を含め、運用を見直します。

 

 

 

そう、2類相当扱いというのは、当時はまだ「政令」だったんですよ。

 

けれどその後、2類相当扱いで生じた利権に群がる人達の巻き返しがあったのか、いつの間にやら「新型インフルエンザ」に準じる扱いにすると「法律」に書き込まれてしまいました。

 

なので、コトは当時よりも難しくなっているのです。

 

なのでいっそ・・・

 

「オミクロン株は、既に新型コロナとは別物です。だから新型インフルエンザ相当の扱い(2類相当)は止めます」とでも言った方が早いかな?

 

・・・と思わないでもありません。

 

 

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こと、コロナに関しては、ひたすら前のめりで頑なで、ホント(私的に「購読やめちゃうぞ」ってところを、まだギリギリ堪えてる感じで)困っちゃう産経新聞。

 

で、すら、【オミクロン株「インフルに近付いた」 専門家指摘、特徴は】といったタイトルで記事を出すようになりました。

 

が、その結びがこちら。「何でだよ〜」です。

 

 ただオミクロン株の感染力を踏まえると、今後感染拡大が各地で急速に進み、医療提供体制に影響を与える可能性は否定できない。宮下氏は「沖縄と比べて人口規模の大きい関西では、社会に及ぼす影響はより大きくなるだろう」と推測。隔離期間の短縮などの対応とともに、さらなる変異株の出現に備えて、ワクチンの追加接種(ブースター)と飲み薬の開発を進めることが重要だと訴えた。

 

 

 

こちらは、知る人ぞ知る東海地方ローカル局。「今頃」ではなく、かなり以前から「物語」に棹さすことなく、真摯な報道をしてます。

 

 

 

そうね、まずは「必要」かどうかを科学的に説明し、納得させてくれないと。

 

それ無しに、ワクチン接種はもちろん、マスク着用も、各種行動制限も、“推奨”とか、まして“強制”なんて・・・えーと、遠い未来(できるだけ早く来てほしいんだけど←大事なことなので繰り返してみた)の検証に堪えられないでしょう。