1都2府4県+北海道を除き、緊急事態宣言解除となりました(愛知県大村知事は、例によって“名古屋飛ばし”がお気に召さないらしく、県としての緊急事態宣言は続行すると息巻いておられますが)。

 

これから暫くは「まだまだ怖いし不安」という人と「もう良いよ日常生活取り戻そうよ」という人とが鬩ぎ合いながら、それでも双方、仲良く政府に文句言って過ごしていくんだろうな、と思います。

 

 

そんな折ですが、今回も、武漢肺炎騒動(武漢ウイルス「禍」には違いなんだけれども「騒動」と言った方が実情に合ってるような気もしてきたので、こう表現してみました)それ自体からは一歩引いて「本の森」。

 

時節柄「緊急復刊 !!」された、金森修さん『病魔という悪の物語』です。

 

 

帯に・・・

 

チフスのメアリーを知っていますか?

100年前のアメリカを震撼させた衝撃の実話。
伝染病の恐怖と闘う現代人が、今読むべき歴史的教訓の書!

 

これは、明日の私たちだ──

料理人として働いていた彼女は、腸チフスの無症候性キャリアとして、本人に自覚のないまま雇い主の家族ら50人近くに病を伝染させた。

「毒婦」「無垢の殺人者」として恐れられた一人の女性の数奇な生涯に迫る。

 

そして帯裏表紙側には・・・

これは、ある一人の女性の生涯の物語だ。その女性は、料理がとてもうまい人だった。子どもの面倒見もよく、雇い主からは信頼されていた。だから、料理に存分に腕をふるい、雇い主にも信頼されてそのまま生活していけたとすれば、貧しいながらも、それなりに幸せな人生だったろう。だが、その女性には過酷な運命が待っていた。三七歳になったあるとき、突然、自分自身には身に覚えもないことで、公衆衛生学にとっての注目の的になり、その後の人生が大きく変わっていく。突然、自由を奪われ、病院に収容されるのだ。─「はじめに」より抜粋

 

とあります。

 

※版元ドットコム:病魔という悪の物語

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784480687296

 

 

ちなみに、目次概略はこんなです。

 

 

はじめに(ある料理人の運命 料理を介した死? ほか)

 

第1章 物語の発端(事件以前のメアリー チフス患者の発生 ほか)
第2章 公衆衛生との関わりのなかで(腸チフス チフスと戦争 ほか)
第3章 裁判と解放(法的な問題 「チフスのメアリー」の露わな登場 ほか)
第4章 再発見と、その後(自由になって 恋人の死 ほか)
第5章 象徴化する「チフスのメアリー」(一般名詞化するメアリー 勝ち馬に乗る歴史 ほか)

 

おわりに(エマージング・ウイルス エイズ 他)

 

 

何とも、ソソるじゃございませんか。

 

というわけで、以下、めぼしいところを拾っていきましょう。

 

 

メアリーの「拘束」時を知る医師の言葉として・・・

 

 〜〜〜とにかく、メアリーの拘束劇に立ち会ってみてつくづく印象付けられたのは、公衆衛生局という部署がもつ権力の巨大さだ。公衆の健康のためには、公衆衛生局は、個人の権利や所有権にまで踏み込むことができる。公衆衛生局にできないことなど、ほとんどない。その委員会は、司法権、立法権、行政権すべてを同時にかかえもっているのだ、と。(34頁)

 

恐いことではあるのだけれども、そうでなければ迅速な感染症対応は難しい・・・というところまでは大方の理解がある、のかな? 我が国では、実際に法体系を整備しようかという話になると途端に「安倍政権のもとでは話もしたくない」とか言い出す人がいてそれに賛同する人もいるわけだけれども、ナゾです。

 

 

メアリーについて、最初期の社会的反応・・・

 

 〜〜〜彼女が拘束された1907年3月のわずか数カ月後には、いくつかの新聞が彼女に触れている。新聞にとっての彼女の中心的イメージは、腸チフス菌を体にかかえたまま料理を続ける女というものだ。だから、彼女は「コミュニティにとっての敵」であり、「一般市民の健康への重大な脅威」だ、というような言葉が紙面をにぎわせる。(45頁)

 

ワタクシ自身、愛知県蒲郡市の方に対して、それに近いことを言った覚えが・・・結局、亡くなってしまい、ちょっと後味悪い感じがしないでもない。

 

 

健康保菌者(メアリーがまさにソレ)の危険性という構図・・・

 

 劇場で隣に座る紳士が、速達をもってきてくれる配達人が、にこやかに微笑む妙齢の女性が、元気なように見えても、その実、恐ろしい細菌を体に隠しもっているのかもしれない。あそこにも、ここにも、「危険性」は歩き回っている……。腐敗臭を放つゴミや猫の死骸なら、存在自体がいかにも危険だという宣伝をしているようなものだから、避けるのはたやすい。だが、本当に危険なのは、危険そうには見えないのに、知らないうちに他人に病魔を撒きちらす健康保菌者なのだという構図が、徐々に完成していく。(63頁)

 

武漢肺炎の場合、発症前もしくは無症状でも感染力があるとされています。それゆえ、皆等しく「自分が感染しているとして、さらに人に感染させない」行動を要請され、それに反する行為が厳しく糾弾されたりもします。正直、それが良いことなのかどうか・・・何しろ100万人あたりの感染者数が一番多い東京でさえ約360人、1万人の中にやっと4人ですよ。しかも累積で、です。仮に感染者20倍説が本当だとしても、やっと1万人中80人、1000人中8人の感染者、という確率でしかないんですけれども。

 

※【都道府県別】人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移

https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/japan.html

 

 

文化的錯綜の影響、客観的科学的判断力の鈍化・・・

 

 翻って考えてみるなら、メアリーもまた、移民の一人だった。たしかに、黄色人種ではなく、白人ではあった。だが、貧しくカトリック系のアイルランドの移民だ。これが彼女に対する処遇になんらかの影響を与えなかったはずはないと考えて、まず問題ないのだ。

 要するに、公衆衛生とか防疫とかいっても、純粋に客観的な科学的判断だけに基づいているのではなく、この種の社会的で文化的な因子との錯綜のなかで、その具体的な成り行きが左右されるということだ。その意味では、メアリーもまた、その文化の織り目のなかに組み入れられた、一本の細い糸のようなものにすぎなかった。(72頁)

 

第一波の震源地たる武漢湖北省・浙江省だけでは納得できず、とにかく中国全土からの入国を拒否しろと言っていた人達が、第二波が始まりつつあった時、イタリアのみならず全欧州からの入国拒否を同じ強さで主張したかと振り返ってみれば、そんなことは決して無いわけで。

 

結果的には中国からの第一波よりも、欧州並びに米国からの第二波流入による感染の方が多かったんだけど、反省どころか、そういう事実を認めない人も結構いて、ちょっと悲しくなってます。

 

(ワタクシ自身、経済上の中国依存―輸出入・観光等―は減じていくべきだと考えてきましたし、今もそう考えております。念の為)

 

 

弁護士の言い分・・・

 

 第一、百歩譲って、メアリーが感染源だったとしても、彼女が死に追いやったといわれているのは一人だけ。ところが1907年にはニューヨークだけで4000人以上ものチフス患者が出ている。いったい、どういう見方をすれば、彼女個人が「公衆にとっての脅威」などといえるのか。危険は、むしろ市のあちこちに散らばっているというべきではないのか。(82〜83頁)

 

感染者や感染者を出した組織が猛烈な勢いでバッシングされたりするんだけど、そういうのはホント良くないと思う。そりゃ中には不注意を叱りたくなるような事例もあるかもしれないけれども、どんなに気をつけていても感染する時はする。彼・彼女が感染したのはあくまでも「たまたま」であり、アナタが感染してないのも、やはり「たまたま」でしかないんですから。

 

 

メアリー再度の拘束に世間は・・・

 

 だが、今度は、わけが違っていた。メアリーは、今後食事を作る仕事に就くことはないという誓約書まで書いたにもかかわらず、それを守らなかった。それに、監視の手を逃れて行方をくらました。さらに、偽名を使って仕事をしたということは、自分が悪いことをしているという認識をもっていたことを意味している。

 これは、知らないうちに人に病気を感染させるということから重大な一歩を踏み出すことに等しい。彼女は、今度は意図的に、人を病気に罹らせることも厭わないという行為にでたということだ。(95頁)

 

感染したことを知りながらバスで移動した、という事例には、これまた凄い批判が起きました。けれど、そうやって礫を投げる人達の中で、仮に自分が感染してしまった時、自ら隔離を望み、そのうえで交友関係・行動履歴全て包み隠さず話します、と断言できる人が、一体どれだけいるんだろうかと思ったり・・・

 

 

「typhoid Mary」から「Typhoid Mary」へ(typhoid≒腸チフス)・・・

 

 〜〜〜メアリー・マローンは、周りにいる誰かに病気を移して殺したりする人という、具体的で特殊な意味から離れて、いつどこにでも出現しうる一般的かつ抽象的な加害者という意味となり、一般名詞に近づいた。またそれと同時に、Typhoid という名前を生まれつきもっている、どこかの陰気な女性という固有名詞性も身につけた。それは、具体的な歴史的個人の顔をもたない、一般的な「毒婦」のようなもの、周囲に毒害や病気を垂れ流す脅威そのものを指す言葉になった。(120〜121頁)

 

世は常に「象徴」や「仮想」を必要とするものでして。良くも悪くも。

 

 

不安や恐怖に駆られ、繰り返される人の性、人の業・・・

 

 いまや、明らかだ。腸チフスがもたらす社会的災禍は、いまでは昔とは比べものにならないくらい小さいものにすぎない。だが、恐ろしい伝染病が、いつ社会に蔓延するかは誰にもわからず、もしそうなれば、電車で隣に座る人が、恐ろしい感染の源泉に見えてこないとも限らない。〜〜〜

 そして、この生物学的な恐怖感が私たちの心の奥底に住み着き、いつその顔を現すかはわからないような状況が、人間社会の基本的条件なのだとするなら、未来の「チフスのメアリー」を同定し、恐怖を覚え、隔離し、あざけり、貶めるという構図は、いつ繰り返されてもおかしくはない。(137頁)

 

そこでクラスターが発生したという事実はないのに(別件での憤りゆえ?)槍玉に挙げられたり、咳・くしゃみをするでもなく大声で喋るでもないのに、ただマスクをしていないというソレだけの理由で叩かれたり・・・本当は不安から、あるいは嫉妬含みからなのに、数を頼んで、安心して正義を叫ぶの図は、あんまり気分の良いものじゃないなあと思ったり思わなかったり・・・

 

〈現在のところ、パチンコ店においてクラスターが発生したという情報はなく、三密の発生しやすい場所という部分で、他の施設と混同しての発言となってしまいました〉

 

※東京都医師会:5月13日開催の記者会見における発言の一部訂正について

https://www.tokyo.med.or.jp/18877?fbclid=IwAR1vTPFCMUDCyAZwlWtREEX1RcC7G_oyyMVTzBnWAsfJZw2eXjMKjNkhCQE

 

(個別の業界・店舗を擁護しようというつもりはありません。ワタクシ、パチンコいたしませんし興味もありませんので。これも念のため)

 

 

 

とまあ、そんなわけで、色々と相対化を促したり冷静になれよと諭してくれるような本でした。

 

 

最後に人の口を借りてモノを言っちゃいましょう。

 

 もし、あるとき、どこかで未来のメアリーが出現するようなことがあったとしても、その人も、必ず、私たちと同じ夢や感情をかかえた普通の人間なのだということを、心の片隅で忘れないでいてほしい。

 そして、実在の一人の人間が、文化的象徴の装甲で鋼のような体になり、どれほど揶揄され、貶められても、一滴の涙も出さないような姿に見えたとしても、それは、本物のその人とはずいぶん違う仮象ではないのか、と疑うくらいの心の落ち着きを、ずっと持ちつづけてほしい。(139頁)

 

 

 

 

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おまけ。例によってマスク嫌いの与太話でござる。

 

 

米国CIA発のオハナシですが、

 

<中国はWHOの「パンデミック宣言」を遅らせて、その間に自国で必要な医療品を数十億点も緊急輸入した疑いが浮上。世界はそのために今もマスクや防護服の不足に悩まされている可能性が高い>

 

NewsWeek日本版

CIA:中国はWHOに圧力をかけて世界中のマスクや防護服を買い漁った?

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/05/ciawho.php

 

のだそうで。コレ自体、米国諜報活動の一環という可能性もありますが・・・

 

したらさ、WHOが、マスクを使ったり口元を覆ったりすることは「感染拡大抑制の一助になる」し「悪い考えではない」とか言い出したのは、中国の感染状況が落ち着いてマスク生産が回復し始めた頃のことだっだわけだし、彼の国の「マスク外交」を後押しする狙いがあったんじゃないの? 世界各国、まんまとソレに乗せられてるだけなんじゃないの? とか勘ぐってみたりする今日このごろです。

 

 

※参照過去記事:実はワタクシ、マスクが・・・私憤8割・公憤2割

https://ameblo.jp/hermitofthemask/entry-12590650996.html