夏めいて明るい青天でした。
靖國神社の社頭には、いつも戦死した軍人さんたちの遺書が掲げられています。
習い事の稽古場のすぐ近くが靖國神社で、そこに行って、博物館のような遊就館で食事をしたり、展示(いまは「兵食」)を見たり……することがよくあります。
そして、いつも帰りがけに門のそばに掲げてある、「遺書」のガラスコーナーの前を通ります。
見ると……いつも、うっ、と涙が出てしまうのです。
毎回違っていて、きょうはこんなでした。
こういうふうに両親あてのものもあり、妻や子あてのものもあり、いつ戦死したかも書いてあります。
この遺書のコピーは下の引き出しにたくさん入れてあって、持ち帰り自由です。年配の男性がよくあけて、一枚、大事そうに持ってゆきます。
きょうのは二十歳の陸軍少尉の若者でした。なので少しヒロイックな気負いがあるのですが、もっと淡々として「子どもをちゃんと育ててくれ。あとは頼むぞ」というような既婚者のものも多いです。慟哭の思いがこもっている。
🌟この展示のどこがせつないか、というと、ここで戦死したすべての人に
「○○ノ命」と神の位であることが示されていて、きちんと大事にふりがながふってあること。
「○○ノミコト」
さんになっているのです。
🌟大日本が神国だとか、そういうプロパガンダや煽りの文言はありません。ただ、そういう状況の中で、国のために、神になった人たちがいる、ということが証しされている、コーナーです。
🌟せつないのは、「必勝」とか「敵国粉砕」とか、「殲滅」とか、そういう、怒りのエモーションが全くないこと。これが戦国時代ならば、憎い敵を倒す、という興奮やスローガンがもっとあったでしょうが、ここにはない。
🌟もちろん、当時の国内に「うちてしやまん」とか「鬼畜米英」「神国ニッポン」のアジテーションや思想統制はあったわけですが、この場所には個人が自分の身内に対して捧げる純粋な別れの言葉しかない。
この「ミコト」さんたちが靖国の上にふぶく桜なんだな、と思います。
神社とはこういう場所なのだ。
靖國という立場の寺院だからかもしれませんが、すべての死者が「ミコト(命)」になっている。
ただそこに頭を垂れたいと思います。
🌟外国でこういう社があったら、そこの戦没者に対しても同じ気持ちになると思います。そういう純粋な、人間のぎりぎりの裸の気持ちが、私たちをはっとさせます。
🌟海軍カレー(薄味)とか、いろいろレトロな食べ物があります。淡々と、かきあげうどんもおいしいです。
こんなのも飾ってあります。修学旅行の男子学生もたくさん来ていました。