ハッピーさんの真価を見ました!
この四字。
「一秒受容」とは、あっ失敗した、あっ、どうしよう、よかった、これグッド、えっ など、思ったことをその瞬間に
「一秒受容」してしまうこと。
🌟これはどういうことかというと、思いとは一秒だけのもの。それをその瞬間に「受容」つまり
「おしまいにする」完済する
感じです。そうすると、毎瞬が新しい。
🌟たとえば————むにゃっ、と来た不快な感覚は、それをつかんでいじりたくなります。ああでもない、こうでもない、あーいやだ、この感覚を、どうしよう。
これを「一秒」で「受容」する。
なぜなら、一秒だとジャッジが入らないから。
「○○という人、モノが嫌い!」
も、一秒で受容。でも次の瞬間に「好きかも」になったら、それも「一秒受容」する。前のことに縛られない。
すると、受容されつづける瞬間が永遠に連続————
🌟一秒だったら、どんなことも受容できる
今はそれ、今はそれ、それ、それ、それだけ。
🌟たとえば、むかついた一瞬。 でも、その自分がいや、の否定も含めて、これも一秒で受容できる。刹那で完結する。
否定する思考も、受容も、前向きも、怒りも、なんでも受容してしまう。一秒だから。「それ」
細切れの連続→つまり何も背負わなくていい。
🌟すべてを一秒で終わらせる。
はっとしました。稲光を浴びたような。稲光は一瞬です。
その瞬間は「それ」だけ。毎瞬が、ちょっとずつ変わっている。はっきりいえば、その「刹那」が連続するだけ。
🌟ここで思い出します。
バシャールが言うように、人間は、「罪悪感」「後悔」など何かを感じて、その瞬間瞬間がつながっているように誤解するけれど、実は隙間、隙間、で切れている。
🌟だから「今はそれ」
(一秒をとりあげてつかんで、これはこうなのだ、この人はこうなのだ、と考えるのではなく、次の瞬間は、まったく別もの。)
🌟この「一秒受容」の切れ味はすごいです。すべてを細切れの中で生きるとは、バシャールのいう映画フィルムの比喩。
一枚ずつ切れているのに、つながっているように映写してしまう……
一枚ずつフィルムを切っていこう!
きょうはいた靴をしまっておこう。
あのコピーと書類をひとつの袋に入れておこう。
さっきのメールに返信しよう。
ふっ、ふっと思いついたことを一個ずつ完済してゆく生き方です。
何かをやりながら「あとでやろう」とか「あれのついでにまとめて買おう」と考えるのではなく、今だけを「潰してゆく」プチ、プチ……