久しぶりに大嶋信頼先生の安心呪文に立ち返りました。
どうしても、日頃「がんばる」方向に行きそうになります。
それ、やらないとまずいでしょ。
それをやっておけばあとであわてない。
あれも、
これも。
遺漏ないように。
と思っていると、だんだん疲れてきます。
無意識さんの存在を忘れて、意識でがんばっている・・・・・・。すると、なにかを達成のあとで、むなしさが。
意識ががんばりきれないときは、「おっくう」になります。
🌟例えば、あす稽古だから日舞の練習をしておかないと。
これが、ものすごく、おっくうです。
なぜかというと・・・・・・
邦楽のリズムに切り替えられません。西洋音楽で育っているので、リズムのあたまに規則正しく拍が来ます。1,2,3、4、それーっ、であるのですが、
邦楽は、んん〜ん、ハッ、ふう、(一瞬息が止まる)だ〜〜っ、というような粘度の高い、どこが小節の頭か、わからないリズム。
一番わかりやすい長唄でも、ハッ、の部分は、先生がいっしょに踊ってくれるときは、ついていけるのですが、自分ではその裏拍が、生産できません。
三味線の間合いが読めない(笑)。
日常が、西洋音楽の間合いなのに、なめくじのように頭もしっぽもわからない邦楽の世界に、なかなか自分を落とし込めません。
🌟で、大嶋先生は、「おっくうなこと」があると、それは無意識さんに委ねてしまう、と。
すると、なぜかちゃっちゃとできてしまう・・・・・・
ひとつあがっている例は、大嶋先生が好きで録画したヴィデオなのに、見るのがおっくうだ、というケース。これはわかります。予約したときは気分が「見たい」に接しているのですが、あとになると、タイミングが違って「おっくう」になります。
無意識さんに委ねる、というのはどういうことか?
——————————————————(引用)
「無意識に委ねちゃおう!」と思って億劫なことを始めてみると「あらあら!こんな簡単にすらすらと進むじゃないですか!」で楽ちん!
自分で物事を考えてやろうとするとあんなに気持ちが重くなって、手がつけられない状態になっていたのに、無意識に委ねちゃうと面白い感じになります。
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どうやら「無意識に委ねてしまおう」と思うだけで、よいようなのです。
あとに出てくる例でも、面談の約束で、気が重かったのが、「無意識に委ねよう」と思うと、楽しみになってこなせてしまったと。
🌟おっくうだ、「せーの」と思ってやることは、最初のプッシュにものすごくエネルギーを使います。静止摩擦のようです。
でも「無意識さんに委ねよう」と思うと、たしかに、気分がふっ と「まっさら」になります・・・・・・
(叶っても叶わなくても、やってもやらなくても、あ、どーでもいい、という感じです。)
🌟で、これを使ってみます。
すると、出さなければならないメールとか、直さなければいけないパワポの図版とか、いままで「え〜ん」と思っていたことが、つるっと「他人ゴト」になります。
あっ、そう、というだけです。
無意識さんとは他人なのか!
🌟これを使って頭を他人ゴトにしてみると、あっというまにメールが出せるし、図版が直せました。
「無意識に委ねる」を
わたしなりに翻訳すると
「あっそう・・・・・・」
(または木枯し紋次郎「あっしには、関わりのねえことでござんす」)