”バシャール:探し物のありか”————「なくした」次元から「ある」次元へ | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

 

🌟探し物ほど私がしょっちゅうしていることはありません。翌日猛暑だというので、一昨夜も薄いスカートを探していて、あれ、ここにセットの薄いツーピースがあったはず。

 と探しまわり、積んだものをどかして、下を掘ります。

 

 すると、こんなのあった、と探していないものが見つかるのがしばしばです。

 

 が、悲しいのは、探しているものが見つからないこと……無くした……

 

🌟なぜ、見つからないのか? それは無くした場所で探しているからだ、とバシャールは意味深なことを言っています。

 

貴方の失くしたもの(無くしもの、亡くした人、失したこと)は、”今ままで通りの貴方”で見つけることはできません。つまり、『失ってしまった』と捉える視点で何も見つけることはできないのです。それよりも、『満たされた自分』になります。すなわち、『何かを失くした場所から探し物は見つからない』という意味は、『失ってしまった』と捉える視点で何も見つけることは出来ない、という意味で言っています。

 

🌟たしかに、「なくした」という波動が色濃くたちこめる場所(ぜったいここに置いたと思う)や気分でいると、必死に探せど、雲をつかむようになぜか見つからない。

 

🌟おかしいなー。

 

🌟これは、本でも同じです。一昨日、某出版社からメールで「○○さんの「論集」」の本の書評お願いできますか。というものが来ました。

 また、やっちゃった!! と私はとっさに思います。なぜなら、その本、もらった覚えがあるけれど、どこに行ったかわからない……

 

🌟すみません、著者からいただいた覚えがあるけれど、整理が悪くて、一冊貸してください、と恥じ入りながらそこへメールを出すと、翌日、じかに著者からレターパックが送られてきました。えっ、こんな分厚い本、知らん……

 見たことない! もらった覚えのイメージの本とは色も厚みも違っていました。

 

 なぜ、「もらった覚えがある」と思ってしまったのか。ナゾです。

 

🌟「なくした」、という波動を私はしょっちゅう出しまくっているからのようです。

 あるはずなのにナイ! という痛い波動です。

 

 で、スカートのほうは、どこへ行ったのかわからない……という状態で「思い切」ったところ、翌日とんでもないところの押し入れの上段の敷居にひっかかっていました。

 

🌟まとめると、どちらも「思い切った」ところで、探すのをあきらめ、「なくした波動」が帳消しになり、そして「なくても、いいか」から、逆転の結果にシフトしたという……

 

「なくした」波動〜〜〜

 

 で、ものを探す、取り戻そうとするのは、見当違いだ、ということがよくわかりました。

 

🌟なくした波動→そんなはずない、と固執するのではなく→なくした波動自体をデリートする。

 

 その「困った波動」が消える状況に移行。

 

 飼育員さんが去ってしまった(と思われる)扉口でさらにいつまでもおやつを待ちつづける一羽のペンギン。未練。

 これだなぁ