「適切性と一致する」コツ————「私ってバグなんで・・・・・・」(!) | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

「適切性と一致する」シリーズの最新記事です。視聴者から寄せられた質問やコメントに対して108さんが応答。

 この中で、これぞ「適切性と一致する」のコツ!と思われる投稿に出会いました。

 

🌟108さんが以前に「私自身がバグである」と思えばよい、と言われたそうなので、それを取り入れてみた、という投稿者さん。

 

「○○ができない=ダメ 視力表が見えない=目が悪い 聴力検査が聞こえない=問題あり

 というふうに、何かと人生では悪い(bug)とされてしまうことが多々ありますが、そこはもう「私ってバグだから」と思ってしまうことにしたら、「荷が下ろせました」」

 

🌟ココ、捨て身の投げ技のような・・・・・・どうせ、バグなんだから、バグでよいのだ、(ドクタードルフィン推奨のバカボンパパ)と開き直ったら、

「バグだから、わからなくて当然で、それでよい!」と「荷が下ろせて」、なんの努力もしないのに、あれこれのことが裏目、ではなくて、逆に3件とも全部よいほうに転んだ、という体験談です。ダメだろうと思っていたのに、逆転して良い結果が出た。

 

🌟「バグなんで、事態もわからなくてよくて、そのままで「適切性と一致する」」としたのだそう。

 

 もう考えない。

 

 ただ「適切性と一致する」にしたら————(これはまた別の女性の例ですが)いつもは訪問販売嫌いの旦那さんが、欲しかったものが安くなっているのを、セールスマンに説得されて買ってくれたり(高級車に近い値段だそうです)・・・・・・

 

 「不足を疑う」よりも「適切性と一致する」が楽ですごい、という意見は、他にもいくつか出てきました。

 

🌟 朝早くから、スポーツ施設の使用許可をくじびきで取るために並んだ人の話。

 並んだ順番に整理券が出るのではなく、並んだ順番にくじをひき、くじ番号の早い人から申し込めるので、先に来ていても関係がない・・・・・・。

 くじを引いたら、11番だったので、もう、希望日はとれないな、と思ったそうなのですが、「適切性に一致する」と思いつつ、いくつか候補日を書いたら、なぜだか全部取れてしまった。

 ふつうの頭脳の計算だと、11番目じゃムリだ、となるのですが、それとは関係なく「適切性と一致する」と思ってみると、そういう抜け道?か、自然にそこへ行けてしまった。

 

🌟さっきの「バグなんで」の人は「これまでの、バグが産出する重苦しい不快な思考ではなくて、適切性と一致する、軽やかな思考に移行できるようになった」と書いておられました。

 

🌟【自分が悟ったこと】

 人間の思考は常識や経験にがんじがらめになっている、それ自体「バグ」。判断だって過つことばかり。でも「何もわからなくてもよくて、ただ適切性と一致する」というスタンスになったときに、すべてがうまく転換してゆく・・・・・

 

🌟思考は敵か?という質問もありましたが・・・・・・

本日さらに新しいシリーズも登場。

 

 第一回なので、説明も丁寧。毎日同じようなことをしている、と思う私たちですが、一瞬一瞬の差異を体験しよう。

 

🌟🌟(ほぼほぼこんな中身)

 大人になると、何かが起きたとき、出会ったときに、これは以前のこれこれの事件と似ている、同じ部類の経験だ、と思って解決策や反応を、過去からするっと転用してしまう。同じに均してしまう。

 でもコドモは、一瞬一瞬、打ち込んで、違う体験をしている。

 それは「充足」の世界。

 

 「全力で一瞬一瞬を体験できれば、充足の世界でしかない」

 

 道徳的・宗教的なニュアンスではなく、ただ「コドモのように一刻一刻違う世界を体験するだけ」

 

🌟この体験の仕方をすれば、「不足」を見る思考が、いかに類例的でアバウトで、過去の平均値で今を生きている産物だ、とわかる気がします。

 (毎瞬、毎瞬、一番ワクワクすることをやり、結果や後先は考えない、というバシャールの提言もコレではないか。)

 

 今日はうちへ帰ってきてから、衝動的にいまやりたいことをやる、を続けてみました。ちょっと早いけど、今日はいま食べたいから食べる。サラダにドレッシング要らないかも、と抜いてみる、「食後に運動すると血糖値が上がらないんだった」と思いつくや、youtubeのインストラクターさんの「食後」ミニ動画をすぐやってみる。皿を片づけたあと、ふとゴミが気になったので、即捨てにゆく。と、玄関先に宅配便が来ているのが目につき、開けると、ちょうど切れていたものばかり。

 続いてなにげに、廊下で目についた冬物マフラーを洗えるか洗えないかで、分類し、洗えるものは洗濯場に置く。洗えないカシミヤなどはクリーニング・バッグに入れる。

 

 一瞬一瞬を「ふと」の数珠つなぎ状態で体験すると、実に「充足」ばかりです。頭で考えて、これをやり、次に計画どおりこれをやろう、だと、ぽかっとスキマの空白時間、空しい時間、退屈な手持ちぶさた時間ができてくるのですが、この「ふと」方式に従うと、勝手に充足し、「適切性と一致」しています。

 たしかに「考えなくてもいいのだ」・・・・・・

 

🌟以前に「ひとりでに最適化される」という並木良和さんの本のレビューをしましたが、なるほど同じことなのかと思いました。

 

「勝手に最適化する」時代がやってきたようです。