望みを見つけて発し続けなくてもだいじょうぶ・「最適化の世界」(並木良和)へーー | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

「最適化」が新しいキーワード。あ、これはまさにぴったり、自分が求めていたもの?

 

 このワードを見た瞬間に思ったこと。

 

(自然な「望み」というのはポコポコ出てくるものではないので、「望め望め」と掘って探しまわるのはしんどいな、という気分が近頃ありました。ひと昔前の啓発本のように、ジャンル(仕事、健康、家族、財産)ごとにリストを作って、自分に足りないものを探して望むのはーーどこか無理な筋トレを課しているような。

 時代が変わってきたような感じがします。)

 

 方向としては、SDGSとちょっと似ているのかな。矢継ぎ早に新しいものを開発、ゲット、リノベーション、刷新、という、最近まで現代人が目指してきた、ファイトに満ちた右肩上がりの生き方ーー

 に、ちょっと疲れたか......の、私たち向けて出てきた一冊。

 

🌟そもそも「望む」こと自体、かなり意識的エネルギーが必要です。

 ただ「好き」「いい気分」に、ふと自然になっていけばいいのではないだろうか。

 

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と思って、本書を読み始めたら、ほぼその通りのことがすべて書かれていました。うーん。

 

🌟並木さん自身、引き寄せに疲れてきた、との発言も。やればできるのだけれど、「引き寄せ」(それ自体はただ、磁石のSN極が引き合うようなニュートラルな宇宙原理)について、いくつか世の中で蔓延している、誤解と陥りやすい方向性が目についてきた。

 

それら、「引き寄せ」の落とし穴とは......

 

①「今、ない」という不足意識から発する。

②思うとおりにコントロールしたい(できると思う)支配欲につながる。(そういう風潮で、地球のエネルギーが重くなってきている。ピラミッド的な権力構造を生む)

③努力、がんばり、意地を必要とする→疲れ

 

 そしてそれらの「引き寄せ」頼みは、「本来の自分とずれ」「自分でないものに「なりたいと望む」ことから生じるエネルギーロス、エネルギーの使い方の空回り、あるいは消耗を引き起こしています。

 

🌟本来の自分でいれば、実は宇宙が自分をフロートし、サポートしてくれ、ひとりでに周りが整ってくるはず=これが最適化

 

🌟流れに身をまかせる、という言葉も出てきます。これ、私は昔から苦手、というか「サレンダー」ということが怖かったのです。何を望んでいるのか、いつも意識化していないと、集合意識や自分の潜在コンプレックスに知らないうちに流されていってしまう、と。つねにアラート!

 

🌟だとすればーー

「自己最適化」のためには、まず「自分はオーケー。大丈夫」と思ってあげられないといけない(今回これに気づいた)。それがあってこそ、リラックスすれば、自分のまわりにすべてが整ってゆくんだ、と思える。

 

「目標や目的は不必要」とも本の中にあります。「それは悪循環の始まり」だと。

「目標・目的」はおうおうにして外的なリストになり、それが自分の望みの本体(世間の価値観に過ぎなかったりするのに)だと思って、それに「呑まれて」あくせくしてしまう。そして

 

「努力や頑張りは、じつは、常に自分から離れて存在する在り方なんです。

 僕の視点で言えば、それは「眠り」の世界にいることです」p.83

 

「引き寄せようとがんばる」ことと「リラックスして最適化」の違いについては、次のように明確に書かれていました。

 

「「思い通り」というのは、「自我」の働き、自分の思い通りにコントロールしようという動きです。

 けれども、考えてみたら、自分で思い通りにしようとしなくても、最適化の状態になっていれば、本当の意味で思い通りになるのです。

 その「思い通り」というのは、「引き寄せの法則」の場合には、「自我」または「エゴ」、そして「ない、という不足の意識」がベースになっています。

 でも「最適化」の場合には、そのベースは「魂」なんです。「ハイヤーセルフ」と言ってもいいでしょう。「大いなるサムシンググレート」という人もいるかもしれません。だから、その意識は、「常に満たされている」わけです。」(p.97)

 

🌟「自分」の本体は「魂」である、というのは、最近の奥平亜美衣さんの本でも基本トーンです。脳ではなく、魂がのぞんでいることはかならずひとりでに実現してゆく、というふうに。 

 

「魂状態の自分」であれば、大丈夫!

 

巻末にグラウンディングとセンタリングの図解があります。

今回のセンタリングは、間脳の中に部屋を作って、そこから他者を全員排除し、部屋も掃除する、という素敵なメソッドでした。

🌟「最適化」が発動すると、すべてを楽しめる。

「味わう」といったほうがよいのかもしれない、とあります。

 この場合「外的にイイとされること」(昇進した、結婚した、成功した、大金が入った、など)が起きたから楽しい、というのではなく、それらと関係なく、ひとつひとつがひたすら内的な体験として祝福として味わえる、というような感じ。

 

🌟「あなたは何をしたいのか?」と絶えず問い詰められるような感じもあった「引き寄せ」成功理論。

「えーと、海外のどこかに行きたいわけでもないし」

「エステを体験するとか、何か始めたいわけでもないし」

「何かを実現して、自分に自分を証明したいわけでもなく」

「......だったら(が起きたら)いいな、とは思うけれど、熱中するわけでもなく」

 

 要は「平安」「満足」「楽しさ」「これでいいのだ感」が欲しい、というのがここのところの気分でした。

 それ、「最適化」へのイントロ状態!

 

🌟そういえば、朝、この本を読みかけてから、大学に行ったら、自分の部屋の一角だけ10数冊本が落ちていました。

 地震があそこにだけ共振したのか(そもそも土日に地震なんかあったっけ?)と思ってひろってみると、ちょうど修士論文中の学生さんに勧めようと今朝、思いついた本がその中から出てきました。

 おお、絵に描いたような「最適化だ!」

 

 不足感をもって必死の衝迫感で望むのは逆効果。

(寝ても覚めても思い詰めてるのが実現への道、と私たちは長らく思ってきましたが、「念を凝らす」のは自分をすりへらし、むしろ自縄自縛になるのでは。

 下手をすると、自分への呪詛になる、とこの本にもあります。)

 

🌟結論・イメージの進化としては、

 

 前傾ストレッチしてえいっと引き寄せる、のではなく(投げ縄的引き寄せ)→ここに直立していれば、いろいろなものが自分のまわりに吹き寄せられてくる(最適化)あっ、楽かも......

 

 地の時代から風の時代へ!です。

↑既刊本の宣伝の帯つき(笑)