「私を主語にして考えて」ミナミさん+大木ゆきのさん、そして「自分の名前にありがとうを言う」 | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

お正月からたくさん、「主語で考えよう」という記事や本に出会いました。

 何かを決めるとき、どうしても「立場」(ひとこと言っておかねば)とか「役割」(みんなをサポート)とか「義理や道理」(あそこへ顔を出しておこう)で考えてしまう。

 そしてそれができている人を「責任感のある立派な人」と思う。

 ・・・・・・のをやめたい。「さくや」さんの早口が以下。

 

 

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「すごくシンプルに”私”で全部考えればいいんじゃない?

社長でPTA会長で母で嫁である私は・・じゃなくて

私はこう考える・・でいいんじゃない?

私はこれをしたい、

私はこれはしたくない。

私はこれが好き、

私はこうなりたい。

全部”私”を主体として考えればいいんじゃないの?

そしたらものすごくシンプルに考えることが出来るようになるわ。

悩みもなくなるわ。

そして、いま自分が何をしたいのかが分かって来る。

いろんな修飾する言葉をつけて考えてしまうから、本当は自分が

何を望んでいるのかが分からなくなってしまうの。

あなたは”私”という主語がある。

主語を大切にしてね。

いつも”私”は何がしたい?って考えてね。

私がしたい事を最優先にすることが出来れば、あなたの中が

すごく平和になる。

平和じゃないのは自分の中が波立っているから。

”私”はイヤだけど、でもPTA会長としてはしなければいけない、

と考えるとあなたの中が波立って来る。

平和ではいられない。

だから、不機嫌になったり、誰かに八つ当たりしてしまったりするの

誰かのために、誰かを幸せにするためにって言いながら自分が

波立って八つ当たりするなんて本末転倒よね。
・・・・・・・・・・・・
あなたの中が波立つと周りも不穏な感じになる。

あなたの中が平和で楽しくなると、周りも平和で楽しくなる。

ならば、平和でいることが一番よね。

だから、”私”を主語にして考えて。

”私”を常に主語に出来ると修飾する言葉なんてどうでもよくなる。

○○の私・・それがどうした?って思えるようになる。

そして、あなたの中が平和になる。

常に”私”でいてね。

常に”私は”と考えてね。

”私”は宇宙に一人しかいない・・それを忘れないでね。」

 

🌟続いて、大木さんの記事は「大木さんはどうして○○さん(第三者)のようなことをしないんですか?」と問われても、自分にはなんにも響かない、というもの。「私はこうしたいんだけど、大木さんはどう思いますか」という質問ならわかる。それは質問者が「自分を主語に」しているから。

 

🌟たしかに・・・・・・省みてみると、どうしても、ひとに何かを打診したり、説得しようとする場合、「ふつうはこうですよね」「世間的にはこういう人が多いですよね」と搦め手から、ものを言ってしまうことが多いです。

「私はそれではないんですが」が言えない!

 

🌟『自分の名前にありがとうを唱えると、奇跡が起こる』(愛場千晶)コスモ21 刊という本が出ています。「名前」はもう、逃げられない自分自身です。だから向き合うのはちょっときつい(笑)

 

 で、この本の姉妹編『自分の脳に(扁桃体)にありがとうを唱えると不安脳・病気脳とさよならできる!』(愛場千晶、コスモ21 2021.11刊)という新刊を読んでみました。ヒーラーと、脳神経外科のお医者さんとのコラボ本で、「扁桃体」にはショックやトラウマや罪悪感がたまっている(というか汚れてしまって、過剰活性化している)ので、それを(瞑想的に)「光らせる」という趣旨です。

 ↓扁桃体はこんな形で、それをイメージすればよいそうです。

 うーん、スマートにわかりやすいとは言えない論理ですが、「(体調やいらだちや不安など手に負えないと思うもの=をどれか特定し)の原因につながっている扁桃体」に感謝」すると、即消える、癒やされる、らしいです。

(「不眠の原因につながっている扁桃体」とか、「上澄みだけでわかった気になる原因につながっている扁桃体」とか細かく指定し、その扁桃体に向かって、ありがとうと言います)

 

 それを唱えて、扁桃体がイメージ中で光ったときに、なにか大きなものが洗い流される感じ、生まれかわったような感じ、これが原因だったのだとすっかり腑に落ちる感じ、があるという人の体験がいろいろのっています。

 これまでの思い癖が変わったり、重病が消えたり。

(コレ松果体ではなくて、扁桃体です。「不安など情動を伴う記憶が入っている場所」)

 人によっては、3歳のときのトラウマ経験が思い出されたり、私は親に愛されてないと思ったときの瞬間がよみがえったり、それが「病気になってもかまわない」という今の観念につながっていると気付いたり・・・・・・

 

 流れは普通の瞑想と同じかもしれませんが、

「扁桃体を光らせる」でがらっと変わる、というところに私は興味を覚えました。

 各年齢のときの扁桃体をイメージして、光らせる、という指示があります。

 どうも半信半疑ながら、幼児期4歳くらいから5歳くらいにかけての「扁桃体」とイメージしてみました。すると、右側がくすんで、というかうっすらほこりをかぶっていて、左側だけ充血しているような感じが。

 あー右側を光らせようと、イメージして、磨いてみました。ぴかぴか。

 すると————

 ふしぎに「元気になった」感じ(体がというより意欲ややる気)がガッと波動砲のように頭をつきぬけてきました。

 

 これは何だかわかりません。暗示なのか扁桃体とつながったのかもわかりません。しかし、これまで松果体が大事なんだ、と思っていたのに加え、まったく新しい気づきです。

 お正月からいろいろおもしろい情報がやってきています。