「うら返しの創造」(努力でごほうびをもらう考えかた) | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

いのうえむつみさんの本の中で、一番痛切に刺さったページが右ページです。

 

 いつも、このあせりにはまってばたばた動きまわっています。しまいに、とうとう、疲れると、ばったり、投げすてる(副交感神経が凍結するというポリヴェーガル理論!)。

 

🌟中心となる標語は、斜め下の「がんばったからごほうびあげるね〜〜」。これが、行動の基本モチベーションになっています。

 うんと努力したら、叶えられる。

 それはat the expense of(対価を払うことで)それが得られる、というすがり方です。

「勉強したら、いい点が取れる」

 という合理的な考えとは少し違います。

 

「これだけがんばったのだから、(天が)真情を汲んで報いてくれるだろう」

 です。

 泣き落とし、の変形かもしれません。

 

 だから、願い事があるときは、全然手が抜けません。ぎりぎりまでがんばらないと、天に(あるいは手を抜いたことをわかってしまう自分に)通じないと思っています(思えば入試などのとき)。

 

🌟この対価思想(がんばったから、ごほうび)は、いったいどこから出てきたものか。

 子供のときは「がんばったから、ごほうび」はむしろ嬉しいことでした。無理と思えることでも、気持ちで「がんばる」ことで、天に通じて泣き落とすことができる、と信じられました。

 が、そのうちに「がんばらないと、ごほうびは出てこないよ」という裏返しになりました。

 

🌟「何もしなくても、手に入れていい。」

 

 こそ、宇宙論の真諦のはずなのですが、この世界に長く浸っていても、なかなか自分を洗脳できません。

 自己肯定感も、この「何もしなくても受け取っていい」と、同じ根から生じるのだと思われます。

 これが体に入れば、ほとんど悟りの状態に近づく。

 

 エイブラハムいわく「「いい気分でいる」ことほど大切なことはない」(これが「最適化」につながる)

 

🌟昨日はオンライン会議だったので、大学の個人研究室でオンラインしながら、そこらへんを片付けていました。ちょっと後ろめたい。ゴミ袋も買ってきたので、古い雑誌を詰めたり。マイクと画像をオフにしていて、耳だけオン。

 楽をしちゃっているーー悪い気がする。良い報いがこないかも。やっぱり苦労を対価に、なんかいいことが来ると思っていることに気づきます。

「労苦・犠牲→ごほうび」思想

 

🌟そのうちに、ごほうびがこない場合に、なぜ、自分は労苦しているのか、あれ? とわけがわからなくなります。

 なにやってるんだろう、と、まわりに対する怒りに転化。

 

「楽しい努力」でワクワク、情熱をもっている場合には、たしかにバシャールの言うとおり

「結果は気にならない」はず。

 まとめると

 

①「労苦」だと認定した「労苦」「努力」「無理」をするのをやめてもよい(オンラインでズルをしてもよい)。

 

②やっておけば、あとでいいことがくる、と、あてにしない。(自分が労苦と認定したことに対しては、こない、と見切る。なぜなら同じ労苦の波動が戻ってくるはずだから)

 

③そして「裏返し」にはりついている、「やらないといいことがこない」を捨てる。(無意識さんか何かに投げる)

 

🌟「いい気分でいることほど大切なことはない!」(上の本の左ページ)

水族館の一角で、周囲が目に入らず、このままじっと見つめ合うカップル......5分以上この姿勢でした。

 飼育員さんによるペンギン相関図が後ろに貼られています。